第16話 はじめての封伐
らったったー、すぷらったー。
バッタバッタと封伐されていく『蝗禍』を前に、もはや血の色が気持ち悪いとかの感情がマヒし始めてきている。
父、強い。
「む」
あらかた狩りつくしたところで、『蝗禍』の方に変化が起きた。
撤退し始めたのだ。
森の奥へと逃げていく怪物に対し、父は追いかけるべきかどうか逡巡した様子で、俺に語り掛けた。
「ソラ、父さんは逃げた『蝗禍』を封伐してくるつもりだ。屋敷まで一人で戻れるか?」
戦闘が長引くにつれて少しずつ正門からそれていったが、裏を返せば、正門から現在地点に至るまでの『蝗禍』はすべて封伐済みということでもある。
山賊を狩りつくした後の山道のようなものである。
だったら、俺一人でも帰れるんじゃないかな。
「大丈夫」
「強い子だ。すぐに戻る!」
そう言って、父は逃げて行った怪物の後を追いかけていく。
国会議事堂をひとっとびできるキック力を有する化け物の後を追いかけられるあたり、父も大概人間をやめていそうだ。
正門に至るまでの『蝗禍』の死骸が累々たる道を歩いていく。
(うげぇ、きっしょ。否が応でもこういうの見えちゃうあたり、封伐師の目は融通利かないよな)
前世では、母に縁を結んでもらうまで『災禍』を目視したことが無かった。
つまり、一般人には見えない相手なのである。
いま現在においては、その方がよっぽど幸せだった。
緑色の血だまりをぴちゃぴちゃと鳴らしながら、正門に向かって歩いていく。
「あ、あれ?」
正門の前まで来た。
中に入ろうとして、奇妙なことに気付く。
「見えない壁が立ちはだかってるみたいだ……なんで」
屋敷の門、境界面を探る俺は傍から見ればパントマイムの達人に見えただろう。
そんな折、ふと、足元に転がる死骸を見つけた。
……これか!
ちょうど門をまたがるように、『蝗禍』の死骸、後肢が突き刺さっている。
(くそ、『災禍』の死体が結界内に入らないように完全封鎖状態ってことか⁉ だったら、この、結界に刺さっている肢さえ抜いちまえば――)
ぞくりと、背筋に嫌な怖気が走った。
展開していたままだった、半秒先を見通す未来視の映し出す世界がぐるぐると輪転していた。
直感に従って、その場を飛びのいた。
横に転がり込むように離脱を試みた俺の衣服をかすめて、巨大な害虫が門に向かってとびかかっていく。
「『蝗禍』……! 一匹残ってたのか!」
まずい。
(父さんは群れを追って遠くへ行った。結界は『蝗禍』の死骸で封鎖されてる。母さんが来るのは難しいと考えた方がいいかもしれない)
結界に弾かれた『蝗禍』が翅を広げて姿勢を制御し、俺に向き直る。
ドクロの眼窩みたいに大きな黒い瞳が、じっと俺をのぞき込んでいる。
漂う死の匂いが、突然、水草のしげる川のように鼻腔を強く刺激した。
「う、うああぁぁぁぁっ!」
門から離れ、林に飛び込んだ。
この化け物のキック力は脅威だ。
そしてその脚力から繰り出される突進も、俺を殺して有り余る威力を有している。
林の中であれば、木々が遮ってくれるのではないだろうか。
その巨体故、木々の合間を縫っての追跡は苦手なのではないだろうか。
脚力が強いと言っても、それは前方への突進のみで、ジグザグに動く獲物を追いかけるのには不向きなのではないだろうか。
そんな、自分に都合のいい御託を並べて、分け入り、駆ける。
無意味だった。
「がぁ……っ」
爆音が轟く。
(木々をなぎ倒しながら突進してくるとかありかよ!)
ふとよぎったのは父の言葉。
――『災禍』は理不尽だ。
――そんなのありかよって攻撃を平然と行ってくる。
まさしくそうだ。父は正しかった。
俺は言葉の意味を理解して、しかし教訓はまるで学んでいなかった。
封伐の手段を持たない人間の手に負えない怪物。
故に彼らは災害の意味をこめ、『災禍』と呼ばれる。
そのことに、遅まきながら気づいた。
バッタの化け物は、鋭い歯を見せつけながら俺との距離を詰めてくる。
俺を食らう瞬間を、いまかいまかと手ぐすね引いて待ちわびている。
ざけるな。
「――たまるか」
ふつふつと腹の底が煮えくり返る。
勘違いしていた。
前世の記憶をもって転生したものだから、いつからか、自分は特別なんじゃないかって思っていた。
人より早く霊力の存在に気付いて、総量をあげるトレーニングを積んで、その結果が実って。
歴史上類を見ない存在だと言われて、俺はすごいんだと、増長していた。
全然すごくなんてない。
親がいなければ『災禍』に抗うすべも持たない。
前世と何も変わっちゃいない。
それでも。
ささくれた樹皮に親指を突き立てた。
先ほどの突進で樹皮の一部がずりむけた針葉樹のそれは、指の腹を切るのに十分な鋭利さだった。
どくどくと流れる血で指の腹を真っ赤に染めて、バッタの怪物とにらみ合う。
「――死んで、たまるか!」
バッタが地を蹴りとびかかる。
俺に狙いを定めて、地面すれすれの水平跳びだ。
だからとっさに、跳び箱の要領で上に飛び、
バッタの頭に手をついて、飛び越えた。
「……っ」
不格好だが種は撒いた。
バッタの化け物の額には、俺の血で小さく、一文字の筋が入っている。
(縁は結んだ)
思い出せ。
俺はこれまでに何度も体験してきたはずだ。
母は前世から、よく俺と縁を結んでくれていた。
夜泣きした時も、おむつを濡らした時も、縁を結んで俺の感覚を理解し、適切な対応をしてくれた。
だから、すでに知っているはずだ。
母と長く縁を結んできた俺だから、見てきたはずなんだ。
母に刻まれた術式を、感覚を共有する術を。
あとはそれをなぞればいい。
その先に感覚共有の術式は存在しているはずなのだから。
「遠見」
結んだ縁を足掛かりに、『災禍』相手に無理やり俺の視界を叩き込む。
「術式応用、未来視」
俺が見るのは、片目で半秒後の未来、そして、
「二重発動――旧式!」
もう一方の目で10年後の未来だ。
ひどい頭痛が襲い掛かり、苦悶の声を漏らす。
だがそれは、俺だけに訪れる激痛ではない。
『グギャアァァァアァァァァァッ!』
緑の怪物が、針金を噛みきるような声を張り上げる。
(一瞬のうちに脳裏に叩き込まれる数千数万の並行未来! 昆虫のちっぽけな脳みそで処理できるものならしてみろッ!)
実時間にして、おそらく半秒。
しかし体感としては永遠にも思える無間地獄の果てに、俺は何とか耐えていた。
しかし、怪物は、
「ハァ……ハァ」
その場に、どさりと力尽きた。
「勝った……」
一歩間違えれば死の激戦。
潜り抜けた先に、勝利の余韻なんてものはなく。
生き残れた喜びを、ただひたすらに噛みしめた。




