国母とは
「国母とは何でございましょう」
いきなり、息子の妃の一人、朱音に尋ねられ、先王の正妃眞澄は視線を朱音に向けた。
「王太后様は、第二妃、第三妃、側妃のお子を性別も区別なく皆愛おしみ、同じ宮に住まわせ側近や教育者も差配されたとお聞きしました」
「えぇ、そうですよ。羅高は王の第四子、第三妃胎でしたが、子の中で一番視野が広く、民を慈しむ事が出来たので王に推挙したのです。勿論、それは他の子ら皆納得した上での決定ですよ。他の王子も王女も皆国の為に働き州を収めておりますし」
「王の寵愛を競う妃の掌握、お子様方の後継者争いも起こさせぬ王太后は、まこと、国母と皆が讃えておられます」
眞澄は朱音に視線を向けたまま、彼女が何を言いたいのかと内心首を傾げた。
真澄の宮に訪れた朱音は出された茶に視線を向けて湯気がもう出ていない事に、時間の経過を思い出したように顔を上げた。
「私、この度受胎いたしました」
「まぁ、めでたい事」
朱音の言葉に真澄は笑顔を浮かべた。余り大きく表情を変えることをしない真澄にしては珍しい程の喜色に側仕えの織まで喜ばしく感じた。
「王にはもうお伝えしたのかしら?」
「いえ、未だでございます。今、王様は南南東第三州に視察に行かれておりますので。ご報告はお帰りを待ってから、 と」
「伝書の鳥を飛ばしなさい、そうね私の鷹を使うと良いわ。速くて確実ですもの」
「ありがとう存じます。……それではお言葉に甘えさせていただきますわ」
真澄が本心から喜んでいるのを感じて朱音はほっと吐息を漏らした。
華永慶国は今国王で御代を百七十一代目、国としての歴史は他の国々の中でも古く、五千年を超える。
華永慶国は空の高見から見ると大きな花の様に見える国である。王都は花芯のように大きな円を描き、周囲を四つの州で囲まれその州はまるで花びらのように緩やかな菱形を描いている。山脈や大きな河で縁取られて区切られた四の州は東西南北のそれぞれ第一州と呼ばれる。第一州どうしの間からこれまた四つの菱形の花びらめいた州があり北東、南東、南西、北西第二州、第一州と第二州の間から先端の花びらを覗かせる八つの州を北北東第三州、東北東第三州……と呼ぶ。
なぜこのような形になったのかは不明で、州を超える毎に見えない壁があるようだと多くの者たちが言う。おかげで州の堺で州管の領地争いは無い。不思議な事に正式な手続きなしに州を超えると体調不良に陥る事もあり、流民も存在しない。
州それぞれで気候も異なり、暑さ厳しく冬の短い州や寒さ厳しく夏の短い州もある。そこでの特産物もそれぞれで国の中で流通を上手く流し民を飢えさせたりせぬよう、大きな諍いを起こさぬ様務めるのが州管を始めとする貴族の務め、その貴族の働きぶりに応じて報いるのが王の務めと、真澄は王の子たちに幼いころから教育を施していた。
永い歴史の中でも一、二を争う程の国母と真澄を褒めたたえる者たちは国民のみならず、隣国や海を隔てた遠い国でも多く居る。
朱音は羅高が王子の一人、まだ王太子にもなって居ないころから妻の一人となった東北第二州州官に連なる貴族の出である。
完璧な真澄に怖れを抱きながらも夫に使えてきた。輿入れから二年、夫である王子が王太子となり、その翌年王の崩御により即位をして更に二年。なかなか懐妊しない事に内心焦っていたのもあって宮医師方の診断に心は浮き立った。
しかし、そうなると途端完璧な真澄と自らを比較して恐ろしさが増した。
「私、自ら産んだ子が、これから産まれる王の他の子よりも劣って居たら己を律して国の為の後継者を王に進言出来るのか、不安で」
「まぁ、そのような不安を? そうですね、それに関しては私は己の胎を痛めた子が居ませんから、朱音の気持ちをしっかりと理解は難しいかもしれません」
真澄は侍女の集露に視線を向けて茶の入れ替えを指示する。
「刺激の少ない薬草茶を」
「畏まりまして、ただいまお持ちいたします」
集露の指示でしずしずと部屋を出ていく侍女を眺めた後、真澄は滋養に良いものを手配し朱音の送るようにも声をかける。
「お気遣いまことにありがとう存じます」
「良いのですよ。私も羅高になかなか子が恵まれない事が不憫でならなかったのです。第一子が王妃の間に生まれるだけでも世の安泰につながる慶事。なかなかに朱音も心苦しい日々を過ごしていた事でしょう、身体を労うのですよ」
「ありがとう存じます」
真澄の言葉に朱音は頬を上気させ涙ぐみながら頭を下げた。
完璧と言われ、非の打ち所の無い姑を持つことに実家の母は朱音を送り出す時に少しだけ心配をしていたけれど、こんなに心を砕いていただけて果報者だと朱音は家に手紙を出すほどに喜んだ。
朱音はその後無事に王子を産んだ。そして続けて王女を産む。
王の羅高は第二妃との間に王子を二人、側女との間に王女を五人儲けた。
「真澄様の様に他の妃が産んだ子であっても、どの子も王の子。分け隔てなく育てなくてはと思うのですが、妃から子を取り上げるのかと苦情を貰い、どうすれば良いのか」
思いつめたような様子の朱音に、真澄は優しく微笑んだ。
「私から妃に説明をいたしましょう。宮に来るようにお伝えなさい」
「ありがとう存じます」
叱責されても仕方が無いと言うのに、何と優しいのだと朱音は真澄にますます尊敬の念を抱く。王に使え、支え、次代の素晴らしき王を育てる。それが己の進むべき道だと朱音は強く強く思った。
「私の方から、王太后様に申し上げるわ、実の母である私が子を育てて当たり前なのだと、王妃の宮に子を預けるなど、無体な事だと」
「悠愛様、次代の王に相応しい教育を等しく王子、王女皆に恙無く行う為には、王太后様の御示しあそばれた方法は本当に素晴らしいものなのですよ、王を教育くださった先生達もまだ現役を退いてはいらっしゃらずお役についてくださるとの話ですし」
「教育の時だけ宮に向かえば宜しいではないですか、生活すべてを王妃の宮で過ごす必要はございません」
真澄の暮らす暮優月の宮へ向かいながら、だんだんと声が大きくなる悠愛に朱音は内心ため息をついた。このまま真澄の前に出してしまっては不敬を働いてしまうのではないかと思ってしまう。
彼女は西の第一州貴族の娘なので、第二州、第三州よりも身分は上だとそう思っていて、王妃である朱音を少し見下しているのだった。
子を手放したくは無い母の気持ちは理解出来るが、ここは後宮。王の為に、国の為にを考えて貰いたいと朱音は言葉を尽くしたが悠愛は受け入れようとはしない。
真澄の侍女が三人、宮の扉の前で朱音達を待っていた。
さすがに朱音に怒りをぶつけていた悠愛だったが、しゃなりと優雅に侍女に笑みを向ける。
「王太后様の声掛かりによりまかり越しました。西の第一州州官の第一孫、王の第二妃にして第二子と第五子が母悠愛にございます」
「ようこそお越しくださいました。案内を務めまする、北の第一州全州官が妻、王太后真澄様側にて侍女官主集露と申します」
集露は悠愛を扉の奥へ誘いながら、朱音には戻るように促す。
「王太后様が良いようになさいますので、ご心配はございません」
微笑まれて朱音は真澄ならばなんとかしていただけると、そう確信して己の宮へと戻った。
「悠愛様が里下がりを?」
羅高が盃を傾けながら朱音に第二妃の話をする。
「母上に言われて、子をそなたに預けることは納得したものの傍に居れば辛くて堪らぬと言うので、里へ帰した」
朱音はあの気の強い悠愛を説得した真澄をますます尊敬するとともに、里帰りを選択した悠愛の行動に首を傾げた。なんだか彼女らしくないとそう思ったのだ。
しかし、王は気にした風でも無く朱音の肩を抱き寄せる。
「そなたが母上の覚えめでたき妃で良かった。第三妃を第二妃に繰り上げ、第三妃として北北西第三州から選ばれた者が入内する」
「畏まりましてございます」
今度はもっと大人しく、共に王を支える事の出来る妃であればよいと朱音は思いながら羅高の求めに応じて帯を解いた。
その後新しく入内した第三妃との間にも他の側妃の間にも王は子を成さず、朱音は九人の子供の養育に努めた。
第一子である己の子と第二子である裕愛の子、二人はともに甲乙付け難い王子であった。他の子たちはどちらかと言うと補佐に回りたいと王の位を望まず一歩ひき、王子二人のどちらを王太子にするかで朱音は悩んでいる。
「第一王子は優しく慈悲深く民を慈しむ事が出来ますが、決断するに少し時間がかかり、第二王子は視野が広く人を動かすに力強く頼りになりますが、厳しすぎるのでは無いかと思う部分もあり、どうしたものかと」
「王は何と?」
「まだ王太子を定める必要は無いので数年様子を見よと」
「成程ねぇ。あの子も四十を超えたと言うのにのんきな事ね。自覚を促せねばならぬかも」
「自覚、でございますか?」
訪ねてきた王妃の思いつめた表情に真澄は何事かと身構えたが、国を思っての悩みを吐露する王妃に良い後継者になったものだと笑みを向ける。
「えぇ、王にはしっかりと自覚を持っていただかねば。そうだわ王妃、今度の満月の夜にこの宮を訪ねていらっしゃい。この国の王妃が必ず知らねばならぬ秘密を明かしましょう」
「秘密でございますか?」
「えぇ、私もあと数年で七十の年を重ねます。いつ天に召されても良いように全ての仕事を貴方に伝えておきたいの」
朱音はそんな秘密がまだあるのかと驚きながらも、敬愛する真澄に後継者として認められた事が嬉しく、必ず伺うと約束をして宮を辞した。
「王もご一緒に?」
暮優月の宮を訪れた朱音は羅高の姿に目を見開いた。手を差し出されたのでその手の上に自身の手を重ね、真澄と共に宮の奥へと足を進める。
「母上が、共に来よ、と。そう仰せでな。王妃の秘密をそなたに継承すると聞いた」
「はい、そのように仰せでした。まだまだ知らぬことが多い事お恥ずかしい限りでございます。王太后様には今後もご指導戴かねばと感じ入ったところでございます」
「……然様か」
その後羅高は黙り込み、朱音は首を傾げながらも、初めて向かう宮の奥の様子に視線をゆったりと左右へ向けた。
奥へ奥へと何度も方向を変えながら進み着いた部屋は大人が五人座ったら窮屈に感じそうな程の小部屋だった。しかしながらその床は見たことも無い程に白く輝く石で出来ており継ぎ目が一切無く、そして天井は見上げても分からぬほどに高く遠くにあった。
「この宮の中心は、王都でも中心となる場所。王都は国と言う花びらの中心なのですよ」
先に部屋で待っていた真澄の言葉に、朱音は頷きながら周囲を見回す。部屋の中には真澄と羅高と己だけ。
供の者は部屋の外で待機している。扉がゆっくりと締まると上空で微かな音が響き、部屋の中央に光が届く。
「空の満月の光が中に入ってきたのです。月は母を表し、この国の国母は王妃の事。国母は第一に国を慈しむ心が必要です」
真澄の声が部屋の壁に反響して幾重にも重なったように朱音には聞こえた。
厳かな声だと思い、思わず冷たい床に膝をつき、頭を垂れた。隣で同じように羅高が膝をつく。
真澄は月の光の中心に立ち、優しい顔をして王と王妃を見つめた。
「この国は四つの第一州、四つの第二州、八つの第三州つまり十六の州で囲まれた国。十六は聖なる数字四を互いに乗じた数でもあります。十六年に一度、四の月の満月の夜、この月明りの真下はこの国を守護する神々へと経路を開きます。神々へ奉じるは、王族の血潮、最たるは国母の血」
「え?」
真澄は袂からゆっくりと小刀を取り出すとその刃を自らの手首へと滑らせた。
「きゃあああ」
悲鳴を上げる朱音の口元を羅高が覆う。
「静かに、神々への儀式を邪魔するで無い」
羅高の言葉に朱音は目を見開き、信じられないと夫の顔を見る。
真澄の手首から夥しい赤い液体が床に落ちる。落ちるが瞬き一つ二つの間に色味が消える。床に吸い込まれていくようだった。
「王の子を産んだ貴族の娘、または王妃が十六年に一度この場所より血を捧げ、神々に末永くの国の安寧を願う。三十二年前は私に託して前王太后が命を捧げました。十六年前は悠愛を、そしてこの年は私を」
真澄はゆっくりと膝を折り、力なく床に横たわる。側に寄ろうと動いた朱音は羅高の腕に拘束されてその場から動けず、ただ目を見開くのみだ。
「私の命はこの国の神々に捧げ、本当の国母となるのです。この国が永久に栄、民が飢えず争わず、家族を愛し、隣人を信じ、笑顔の花が咲き誇る国であれかし……」
「真澄様、王太后様」
朱音の頬を涙が幾筋も伝い、拘束する羅高の衣を濡らした。
「胎を痛めた子をたてるも良いでしょう。そうでなくとも良いでしょう。国の安寧を願って最善の判断が出来ると私は貴方を信じていますよ、朱音」
静かに目を閉じた真澄はそのまま月明かりの中、生を終わらせた。
「こんな、こんな事が」
「これが我が国の秘事、代々続く祭事の一つなのだ」
「わ、私も……十六年後には真澄様と同じことが出来るでしょうか」
「……せよとも申さぬ、するなとも申さぬ。この行いが正しいのか、本当に神々の御心にかなった行いなのか判じる事は私には出来ぬ」
羅高を見上げた朱音は、王の顔色が血の気が失せて紙の様に白くなっている事に気が付いた。
「私の生みの親である母は気性の激しい方で、随分と王太后にもきつく当たる人であった。身分も顧みず、王の寵愛は自分にあると言って憚らず。本当ならばそのような女の子など、可愛く思える筈もなかろうに、分け隔てなく慈しみ、愛を与えてくださった。本当の母よりも母と思っておった。この国の祭事とは言え失うのは辛い。これは国の安寧を願う王として神々に背く心なのか」
涙を流しては居ないが心の中で羅高が泣いているのを朱音は感じて、初めて夫の頭を己が胸に抱き寄せた。
朱音自身も羅高にかける言葉が見つからず、ただ互いにひしと抱きしめあい王太后の喪失を哀しんだのだった。
羅高が第一王子を王太子とし、西第一州と北東第二州から貴族の娘が第一王子に輿入れしたのは翌年の事であった。
ジャンル迷子です。
創作の国の紹介作品って感じで、人物が思いっきり動いてはいないからヒューマンを選択できないし。
異世界恋愛とは言えないし。いや、子作りしているし恋愛で良いのか?でも甘さ全然無いし。
難しいですよね。
'23,3,23 ヒューマンドラマでいいんじゃないかとのお声貰ったのでジャンル変更しましたー
誤字報告ありがとうございます!