後日談(ネタばらし)
エクトル様が安堵して帰られた後、私は小さく息を吐き出した。そうして、ネタばらしをして、されるために、もう一人の立役者に会いに行く。
公爵邸の秘密のサロンに呼んでおいた彼女は、十分ほど前に到着し、今は美味しい紅茶とお菓子を食べながら、私を待っていてくれるそうだ。サロンの扉が開くと、その中では、薄桃色の薔薇のような美しい少女が、白いローブを身に纏って、高級クッキーを必死に齧っていた。
私が歩いていくと、ロゼは顔を上げた。口元を食べかすで汚しながら。私はその姿に、思わず顔を綻ばせて、使用人たちをサロンの外へと出させた。
人払いをした私は、ロゼに問いかけた。
「ロゼさん。ニホン、という言葉に聞き覚えはありますか?」
問いかければ、ロゼは目を丸くして、私をじーっと穴が空くほどに見つめた。そうして、こくりと頷く。私は安堵して、微笑みを向けると、ネタばらしをした。私も同じく日本から、どうやら転生というものを経験してこの世界にいること。前世の記憶があり、この世界は前世の世界にあった恋愛小説の舞台とうり二つの世界であること。
そしてロゼはその世界における主人公で、本来ならエクトル様を初めとした、何名かの男子と恋に落ちる可能性があり、それを主軸とした物語の世界であること。私が王子との恋路を邪魔する悪役であること。その物語で王子と結ばれるとき、私はロゼにした数々の仕打ちを明らかにされて断罪され、死罪にも等しい罪を課せられること。
それらを語り終えると、ロゼは豆鉄砲を額に当てられたような顔をしていたのだ。
「そのような事情があったのですね。確かに、小説の名前くらいは聞き覚えがあったかと思いますが」
「やっぱり、あなたは原作を知らなかったのね。原作のロゼとはかけ離れていたので、あなたも転生前の記憶を持っているのでは、と思っていたのだけれど」
「ええ。恋愛小説にはさほど興味を惹かれなかったため、あまり読んだことがありませんでした」
ロゼは自嘲気味に「私のような女が恋愛小説の主人公に転生しているだなんて、何だかおかしな話ですね」と告げる。けれど、私はロゼが普通ではない転生者で、本当に助かったと思っている。
私がどんなに努力をしても、原作の強制力が強く働く世界であることは明解だった。ロゼが本気で恋をしたいと望んだのなら、私の行く末は暗かったかもしれない。そういう意味では、ロゼが無欲で助かったのも事実ではあったのだ。
「ロゼさんは転生を自覚したとき、どう思ったの?」
「ご飯をたくさん食べようと思いました。前世の死因は恐らく不摂生だったので」
「えっ。ふ、不摂生で……いったいどんな環境で」
「……いえ。その……」
ロゼは少しだけ気まずそうに視線を泳がせながら、口を開いた。
「……ゲームのし過ぎで、食事を忘れて、そのまま意識が途絶えました」
「……………………」
「今ではバカだったと思っています。なので、現世ではとりあえず餓死だけは避けられるように、全力で生きていくことを決めました」
あまりにも予想外な死因に私が絶句していると、ロゼは空中へと魔法で色とりどりの花を咲かせた。その光景は幻想的で、私は思わず目を奪われる。
「魔法が存在する世界――私にとっては、夢のような世界でした。だからこそ、私は魔法を極めたい、と願いました」
「それも、前世からの憧れ? 前世では、剣と魔法のファンタジーの……RPGとかが好きだったの?」
「いえ。真逆の、銃器で撃ち合うFPSばかりをやっていました」
ええ……と思わず漏らすと、今までに知らなかったロゼのあれこれが浮き彫りになって行って、私は思わず話に聞き入ってしまう。
「じゃあ、FPSのやりすぎで、不摂生に?」
「はい。大会が近かったので」
「大会?」
「前世の職業は……プロゲーマー兼ストリーマー、と言えば分かるでしょうか。それほど一般的な職ではないですが、近年は知名度が増えて来たと思います」
プロゲーマーは、確かゲームで生計を立てている人のことだ。大会へ参加して賞金を獲得したり、ゲームのプロモーションに協力したり、企業と協賛して大会を開いたり。けれどロゼがFPSのプロゲーマーならば、あの魔法の命中精度にも納得が行く部分はある。ロゼの魔法は威力も高いが、何よりも命中精度が恐ろしく高いのが特徴的だったからだ。
ストリーマーは、たぶんゲーム実況とかをリアルタイムライブで行う人たちのことだろうか。卓越したゲームの腕前を、画面を皆に共有して見せながら、語りで盛り上げたり、コメントと会話をして、リスナーとコミュニケーションをとり、広告収入などで生計を立てている。近年になって、プロ・アマ問わず人数が増えていた、と思う。
「何というか、随分と得難い経験をなさっていたのね、前世でも現世でも」
「否定はしません」
「……つらくなかったかしら。この学院は、あなたにとって決して良い場所ではなかったでしょう?」
「いえ、別に。悪意のある誹謗中傷には、慣れておりますので」
ロゼはきっぱりと言い切った。人目につく仕事で、しかも主戦場は魑魅魍魎跋扈するインターネット。ロゼは昔を懐かしむようにクッキーをぽりぽりと齧りながら、視線を動かして思い出すように逡巡する。
「貴族様方はまだ親切です。ご丁寧に身分をご紹介したうえで誹謗中傷するので。その結果として社会的地位を失っても、そらそうやろ、で済みます」
「そらそうやろ……」
「インターネットは怪物や妖怪も棲んでおりますが、それなりに愛しく思っている場所でした。顔見知りでもないのに知り合いのように肩を組んでくる方や、著名人を批判して一人で気持ちよくなっている方、顔も名も分からぬのだから何を言ってもいいと思い込んでいる方、それはもう色々と」
ロゼはストリーマーとしてそれなりに人気が出ていたのだろうか。謂れもない訳のわからないメッセージを受け取る日々を過ごしていたのなら、彼女の異様に強靭なメンタルにも納得が行くのだけれど。
「あなたに悪意のある方はもちろんだけれど、殿下たちも。毎日毎日付きまとわれていたでしょう?」
「ああ、そうですね。でも、ああいう方もいらっしゃったので。ガチ恋勢、とか。魔法実技の度に演習場の後ろの方で腕を組んでうんうんと頷く姿は、前世においては後方腕組み彼氏面オタクと揶揄されていたと思いますが」
よりにもよって一国の王子を後方腕組み彼氏面オタク呼ばわりである。正直に言えば少し面白いと思ってしまった。けれど確かに、身近な存在に感じていながらも、決して自分に靡かない孤高の女子に熱を入れて愛を囁く姿は、熱狂的なファンのそれに近しいかもしれない、と妙に納得がいった。
正直に言えば、ロゼの前世の話を聞いているだけで数日は話題が尽きることがなさそうだと、私は目の前の彼女のことが面白くて仕方がない。ロゼは一頻り自らの境遇に対する杞憂に否定を終えると、一度紅茶を飲み込んでから、私へと断った。
「ですので、私にとっては魔物に風穴を空けることに関心はあっても、攻略対象と恋をすることには興味がないことでした。きっと、この世界のことを知っていたとしても、私の行動は変わらなかったと思います」
「そうだったのね……でも、私にとっては助かったわ。きっとあなたの行動次第では、私はとても悲惨な結末を迎えていただろうから」
「……そうでしたか。ならば、私に接触するのも恐ろしかったはず。あなたの勇気を素晴らしく思います」
私は、派閥での争いを一段落させて、ある程度ロゼへの風評が消えると同時に、ロゼと話し合う場を取り持った。ロゼも私の公爵家のことは覚えてくれていたのか、特に警戒もせずに私と話し合いに来てくれたのだ。その場には、ロゼの側に侍っているエクトル様の側近候補たちの婚約者も揃っていた。
当初、彼女たちはロゼへと敵意をむき出しにしていた。けれど、私が口出しは無用と事前に言い含めて、ロゼとの話し合いに臨んだ結果――ロゼは、見事に彼女たちからの誤解を解いた。
というのも、ロゼ自身もある程度しっかりとした貞操観念を持っており、婚約者がいる男が別の女の側にいることは決して褒められたことではない、と分かっていて、それを側近たちに直接伝えていたことが明らかになったからだ。
男たちよりも目の前にある色とりどりのお菓子への興味が旺盛なロゼを見ていると、彼女に嫉妬するという行為が無意味なように思えてきてしまう。そもそも、ロゼにはその気は一切なく、付きまとっているのは彼らという立場だ。
とどめに、ロゼには婚約者がいる、という言葉を聞いて、私たちは大いに驚いたのだ。どうやら冒険者の中に意気投合した男性がいるらしく、学院を卒業したら、そのまま籍を入れる予定なのだとか。であるので、ロゼ自身にもあまり構って欲しくなかった様子だ。むしろ、ロゼは学院に入れられたせいで婚姻が遅れることに不満を抱いていることも分かった。
私たちはロゼの無害さを確信し、ロゼを利用して、国王の賓客を害しようとする道理の分からない者を確認していくことにした。こういう輩は、少しでも自分の道理に合わないと、王命を平気で捻じ曲げるだろうから。将来の要注意人物を把握するのに、大いに役に立った。
そのうえで、私たちは時折ロゼを招待して、茶会をした。もちろん、エクトル様たちには内緒にして。そうして、そんな中で、私はエクトル様たちが婚約破棄騒動を起こすのを見越して、そして彼らが無意識的に女性を見下していることを理解させるため、一矢報いるためにロゼに協力を仰ぐことにした。
ロゼはきっと、同じようなことをエクトル様に頼まれていたのだと思う。けれど、私たちの事情を話せば、ロゼは私たちに協力をしてくれることになった。
ロゼは、私の人生にとってのキーパーソンだ。いい意味でも、悪い意味でも。
彼女が邪な心を持たず、私の在り方を認めてくれたために、私は原作の死の運命から逃れることができた。
いわば、これはきっと、私とロゼの友情エンドだ。原作になかった結末が生まれた時点で、この世界はもはや恋愛小説の世界ではなくなった。
ロゼが恋に全く興味がなかったとは言っても、もしかしたらロゼが唯一攻略してくれたのが、悪役令嬢だったのかもしれない。
「ねぇ、ロゼさん。今後とも、私の友達でいてくれないかしら」
そう尋ねれば、ロゼは柔らかく微笑んで、頷いた。
「貴重な同郷の友です。公爵令嬢様がよろしいなら、喜んで」
「そんな呼び方はやめて。私はイナンナというの」
「では、イナンナさん」
ロゼがそれを受け入れてくれた。私とロゼは、友人となって、この物語は締めくくられる。そしてそのあと、続いてくのは、私とロゼの、それぞれの人生だ。
「ねぇ、ロゼさん。今度は私の前世の話を聞いてくれる? 私の前世は――」
【ロゼと魔法の恋】の最終巻を閉じて、私たちは未来へと歩き出したのだ。
読んでくださってありがとうございます。
もうちょっとコメディに寄せる予定だったのにいつの間にか主題が重くなりシリアスに食われてしまいました。