前編
主人公のロゼは、大いなる妖精の祝福を受けて生まれた類まれなる魔法の才能を持つ子だった。すべての魔法の属性の才能を持ち、特に選ばれし人間しか扱えない聖属性の魔法を扱うことができる彼女は、元男爵家三男の宮廷魔術師の父と、女神に仕える巫女の間に生まれた平民だった。父は魔物討伐任務の最中に帰らぬ人となり、母は病気で命を落とした。そんな彼女は孤児院に入り、一人ぼっちの日々を送る。
たまたま聖属性の魔法の適性があることが分かった彼女は、父の実家である男爵家に引き取られる。そうして、この貴族だらけの魔法学院へと入学し、その才覚を花開かせ、上流階級の男子たちの心を射止める――そんなよくあるサクセスストーリーだ。
この世界に転生して以降、私にとって一番の要注意人物はロゼだった。けれど、私が断罪されるのは、ロゼに嫉妬して彼女に陰湿ないじめを繰り返した結果であるので、彼女に対して何もしなければ少なくとも断罪の未来は回避できるのではないか、とそう考えた。
婚約者を絆したのも、その策の一つと言えばそうだった。少なくとも良好な関係を築いておけば、たとえ断罪が起きてしまっても、情状酌量で生かしてもらえるのではないかと。市井に落とされるのは全く構わない。むしろ、転生前に絶賛庶民生活を満喫していた私にとっては、貴族の娘というのはものすごく窮屈だったからだ。
エクトル様と私が出会ったのは、私たちが8歳であった頃。父母や兄との関係を改善した私は、彼らに自信をもって背を押され、王宮で初めて彼と邂逅したのだ。
原作では、私が我儘を言って結ばれた婚約だった。それでも公爵家の後ろ盾はとても魅力的で、嫡子であり、特に問題もなく次期王太子になり得ると言われたエクトル様にとっては、イナンナの性格の悪さを飲み込んでもメリットのある縁談だった。両陛下の後押しもあり、エクトル様はイナンナと婚約を結ぶのだが、彼女のあまりの苛烈さに心を痛め、彼女との関係改善を試みたがそれも叶わなかった。
「第一王子殿下、お初にお目にかかります」
挨拶をして、まだ少し拙い淑女の礼を取れば、エクトル様は微かに表情を和らげた。彼とのファースト・コンタクトは恙なく進み、政略とはいえエクトル様は私のことを好意的に受け入れてくださった。
蜂蜜のように魅惑的な光沢を放つ金の髪は、よく見れば少しくせ毛で触るとふわふわしていそうだった。甘いマスクは、微笑めば国中の乙女を恋に落とすほどの魔性があり、水晶の中に翡翠を閉じ込めたような、透明感のある瞳でじっと見つめられると、何もかもを見透かされているような気がした。
「イナンナ。きみのようなかわいらしい人を伴侶に貰えるなんて、僕は何て幸福なんだろう」
語りかけてくれる声は優しく、いつまでも聞いていたいほどに心地よい。あたたかな陽だまりの中へと手を引いて、花吹雪の舞う中でくるくると二人で楽しく踊っていると、ほかのものは何もいらないと思えるほどに私は目の前の彼を愛してしまっていた。
「君に会う前に聞いた噂など、何のあてにもならなかった。君を疎んじる輩は僕の敵だ。君のことは必ず、僕が守るよ」
「エクトル様……私も、お慕い申し上げております」
「王妃には向かないほどに優しい性格の君だからこそ、きっと苦労してしまうこともあるかもしれない。でも、僕は君が欲しい。君が隣にいる国を、この手で治めたいと願う」
「わたくし、努力いたします。あなたの傍で、あなたの支えとなれるように」
――それが、たとえいつか壊れてしまうかもしれないものでも。
第一王子と絆を育む中で情は強く生まれたし、一緒に幸せに暮らしていきたいという想いを抱いていなかったと言えば嘘になる。このまま、ヒロインなんて現れずに、平和に暮らしていけたらどんなに良いことか。妃教育だって血反吐を吐きながら頑張ったのだし、報われたいと願う気持ちは当然あった。
そんな生活の中で、私ははたと思い当たったことがあった。私が転生者であるならば、主人公も転生者である可能性についてだ。もしも私を強引に陥れてでも小説の通りにシナリオをなぞろうとすれば、私は間違いなく最悪な結末を迎えるだろう。私は慌ててロゼの現在を探ろうとした。その結果、ロゼは確かに転生者であることを確信した。なぜなら、彼女はあまりにも斜め45度上の原作崩壊をしていたからだ。
私が調べ始めた時期は、ロゼが聖属性の魔法に目覚め、男爵家に引き取られているはずの時期だった。前世の知識を頼りにその男爵家のことを調べさせたのだけれど、その家が養子をとったという話は聞かなかった。一体どうなっているのかと思い、次に私はロゼが引き取られていた孤児院を調べた。すると、ロゼは10歳になると同時に孤児院を出て、冒険者として活動をしていることが分かった。
どうして冒険者になったのだろう。そう思いながらも、私は不安で仕方なくて、ロゼのことを調べられるだけ調べた。その結果、ロゼはすでにとんでもない魔術師として冒険者界隈に名を轟かせており、異例の若さでどんどんランクを上げていることが分かったのだ。
そんなロゼと最初の接触の機会が持たれたのは、彼女が冒険者として、自領に現れた強力な魔物をたった一人で屠ってくれたときだった。私は父に頼み込み、ロゼとの会合に同席させてもらうことにした。そのとき、ロゼは「報酬さえ貰えれば礼なんていりません」と断ろうとしていたと聞いた。公爵を相手に、とてつもなく不遜な振る舞いではあったので、父は少しだけ機嫌が悪そうだった。
現れたロゼは、真っ白なローブを身に纏い、傷んだ髪を足のあたりまで長く伸ばした少女だった。小説に描かれるロゼは肩くらいまで伸ばした短い髪を艶めかせて、細い手足は運動もしたことがなかったほどの可憐な少女だったので、目の前の達人という空気感を持つ異質な少女とはどう考えても一致しなかった。
「初めまして。A級冒険者のロゼと申します。公爵様におかれましては、たいへんお日柄も良く……良く?」
まるで緊張感のない口ぶりに、私はどっと肩から力が抜けた。彼女は特に私に興味も示さなかった。諦観と達観が混じった瞳は年相応とは思えなかったし、相手が貴族でも態度を変える様子がなかった。探りを入れてみたら、彼女が冒険者になったのは「魔法を使う職に就きたかった。自分の力を試したかった」という動機で、気が付けばこんなランクになっていたのだそうだ。
小説に描かれる小動物のような愛らしさはどこにもなく、どちらかと言えば怜悧なクールビューティーを感じる人だった。口調も淡々としていて、世間知らずな感じもない。ただ、話しているととてつもなく天然だと感じるところはあった。
ロゼの魔法の才能は、A級冒険者ですら持て余すほどだった。それと、食い意地が張っていて、出された高級クッキーをカリカリと強くかじる姿はまるで子リスのようだった。
才能ある彼女を抱え込もうとした父の甘言には「いえ、結構です」ときっぱりと断り、報酬を受け取ってクッキーを食べつくすと、彼女はそのまま「次の依頼がありますので」とさっさと帰ってしまった。無礼な振る舞いに、父が怒るかと思いきや、父の目は「おもしれ―女」という色を湛えていた。あそこまで大きな力を持っているのに権力にまるで興味のない彼女は、貴族社会では珍しい存在だろうけど。
ロゼの姿を見て、私はひどく安堵した。このままなら、学院にすら彼女はやってこなさそうだ。そうなれば、私の断罪の未来はほぼなくなる。明るい未来が開かれたと悟った数年後、私は運命からは決して逃れられないのだと知る出来事が起きた。
ある日、エクトル様に緊急の政務があると呼び出されて、私は素早く身支度を整えて王宮へ参上した。エクトル様は私を出迎えてくださると、そっと私の手をとってエスコートしながら、事情を説明してくれた。
「ついこの間から、王領にS級モンスターの災厄の獣が現れていたのは知っているかい?」
「はい。騎士たちや宮廷魔術師が必死に対処していましたが、穢れがひどすぎてまるで退治がうまくいかなかったと……」
災厄の獣の出現は、小説でもかなり重要なイベントだった。強い聖属性の魔法を使うロゼの手を借りて、王家は何とかこのおぞましい怪物を討ち果たすのだ。それをきっかけに、ロゼは王家に受け入れられ、将来的には宮廷魔術師として召し抱えたい、という想いからしょっちゅう宮廷に招待を受けることとなり、それがイナンナの嫉妬に火をつけていた。
ロゼが現れるまでの数年間は、災厄の獣を遠ざけるので精いっぱいだったのだ。確かに、出現時期としてはこのあたりだったと思う。
「それが、実は冒険者ギルドに所属するSランクの冒険者の少女が、たった一人で災厄の獣を討伐したんだ」
「何ですって……」
「信じられないかもしれないが事実だ……王家からギルドへ、治療師の救援要請を送ったのだが、やってきたS級冒険者の魔術師が、たった一人で倒してしまった。騎士や宮廷魔術師たちは信じられないと喚いていたが、喚いたところで現実が変わるものではなかった」
(まさか……)
そんなことができる魔術師を、私は一人しか知らない。彼女は数年前にすでにAランク冒険者だった。この数年以内にSランクになることも、彼女の才能なら問題ないだろう。Sランクの冒険者は国にも指を折って数えられるほどしかおらず、少女という表現が似合う人物は彼女しかいない。常人を遥かに超えた魔力を有する彼女なら、Sランクモンスターと言えど討伐は可能だ。実際に、小説内ではそういった描写があったはずだ。
「しかも、その彼女は勲章を要らないと言ったそうだ。報酬さえ払ってくれればそれでいいと。流石にそれでは王家の面目が立たないので、今日はその冒険者の少女を呼び出し、国王陛下御自らその功績を讃えることとなった。今日の政務は、その立ち会いだ。次期王太子である僕とその婚約者であるイナンナが立ち会わないわけにはいかない。だから、急に呼び出したんだ。ごめんね」
「いえ……かしこまりました。しっかりと役目を果たさせていただきます」
この口ぶり。間違いなく、彼女だ。けれど、彼女なら恐らく大丈夫だ。権力や栄誉にまったく興味がない人物であるのは以前の会話から読み取れたので、例えば王子との婚約などを要求してくることはないはずだ。そう思い、私は呼吸を整えて、エクトル様に手を引かれて謁見の間へと赴いた。
階下で立つエクトル様の隣に並び、客人を出迎える。竜が通れそうなほどの巨大な扉が開いて姿を現したのは、あの頃とほとんど変わらない薄桃色の薔薇のような少女。首元には、見慣れない七色の光を宿した宝石がぶら下がっている。その後ろには、立派な髭を蓄えた白髪の紳士が連れ添っていて、その後ろから金魚の糞のように手のひらをこすり合わせる胡散臭そうな男――小説の中でロゼの養父となる男爵――が現れる。私はこの時点で、えも言われぬ寒気を感じ取った。
白髪の紳士に頭を押さえつけられ、ロゼは膝をついて頭を垂れる。この辺りは、彼女らしくて思わず笑ってしまいそうになった。国王陛下が「面を上げよ」と告げれば、ロゼたちは頭を上げた。
「そなたが、冒険者のロゼか」
「はい。国王陛下。ロゼと申します」
「此度の討伐、大儀であった」
国王がつらつらとロゼの栄誉を称える間、ロゼはというと、気を抜いたら居眠りしそうだ。流石に緊張感がなさ過ぎてはらはらしながら見ていたが、彼女の隣にいた白髪の紳士がそれをうまく誤魔化していた。彼女の後援者か、ギルドの関係者か――それは分からないが、ロゼが何とかこの場で立っていられるのは、ひとえに彼の功績が非常に大きそうだ。
国王陛下はふぅ、と息を吐き出すと、ロゼをしっかりと見つめて、そうして静かに問いかけた。その声音には、絶対的な圧があった。
「して、ロゼよ。褒美を取らせよう。そなたは何を望む?」
災厄の獣を一人で討伐できるほどの人材だ。国王陛下は、冒険者ギルドに置いておくつもりなどないだろう。白髪の紳士の纏う空気が、少しだけ尖った物に変わった気がした。
ロゼに貴族の身分を与え、宮廷魔術師に迎える。恐らく、陛下の考えているのはそういったところだ。ここで貴族の身分を得れば、ロゼは魔法学院に通わされることになるだろう。そうなれば――せっかくロゼがよく分からないシナリオの逸れ方をしたにもかかわらず、また本筋に戻ってしまうかもしれない。
私の心臓が早鐘のように打ち、エクトル様の手をぎゅっと握る。けれど、エクトル様はロゼを見てぼんやりと呆けているだけで、私の方には一瞥もくれない。その時、私は深い絶望を覚えた。
いけない、このままではやっぱり、小説の通りになる。そう思って私は縋る思いでロゼを見つめた。けれどロゼは、私の思っている以上に一切ブレなかった。
「いえ。報酬はいただきましたので、それで結構です」
きっぱりと言い切ったロゼの言葉に、国王陛下もぽかんと口を開けている。国王から褒美を貰える貴族なんてこの社会の中でも少数だ。そんな状況に平民が立たされたら、少なくとも「お金をください!」くらい言いそうなものだというのに、ロゼの無欲さはここに来ても健在だった。
ロゼの強欲さに付け入って、自分の思うままの立場に押し込めようとしていた国王の思惑は外れ、国王は信じられないといった様子で恐る恐るというふうに聞いた。
「要らない?」
「要りません。あ、どうしてもというなら」
「どうしてもというなら!?」
「国王陛下お勧めのスイーツを一品教えてください。それで結構です」
ロゼの瞳は、食事の話をするときだけやたらと輝いていた。高級クッキーを必死に頬張る彼女の姿を思い出すと、ロゼが追加で報酬を要求するとすればこういったものになるのだろうか。重鎮だらけのこの場で、見事なまでの無欲な問答をする彼女に、思わず緊張感がほぐれたものが数名。ズコーっと音がしそうなほどにずっこけかけているのが視界の端に映った。
国王はごほん、と咳払いをして、威厳のある声音を取り戻して告げた。
「ロゼよ。いかんぞ、それはいかん。そなたは国の英雄とも呼ばれるべき働きをした。そなたがあの忌々しい獣を処していなければ、今後数年にわたって多くの民が脅かされただろう。そんなそなたに何の褒章も与えぬともなれば、今後どのような功績を立てたとしても民を褒め称えることがままならなくなる」
「はぁ……」
「であるからこそ、勲章とは与えられるべきものなのだ」
国王陛下の言うことにも一理はある。勲章とは個人の尊厳を満たすための行為ではない。国家が正当な報酬を与えられるということを示すということでもあるのだ。もしもロゼが叙勲を拒否するならば、今後災厄の獣よりも軽微だが国を脅かすような存在を排除した英傑が評価されれば、どうなるか。
国王は平民の出の少女には勲章を与えなかったのに、それよりも劣ったあの者には勲章を与えるのだ。
社会に対して穿った見方を持った者を生み出すきっかけとなる。叙勲を辞するなら、それなりの理由が必要だ。
ロゼはしばらく、思い悩んだ後で口を開きかける。すると、その後ろの紳士が小さく咳ばらいをして、国王を見上げた。
「国王陛下。発言を、お許しいただけるでしょうか」
「そなたは、ロゼの後見人を務めるギルドマスターだったか。良い、許す。そなたからもどうかロゼを説得してほしい」
「は。……ただ、ロゼは言いたいことがあるようなので、それを先にお聞きいただければ、と存じますが……私もロゼも、賤しい庶民の生まれ故、この場において相応しくない言動を申し上げてしまうかもしれません」
「良い、許す。元より平民であるそなたらを招聘したのは王宮だ。分不相応な願いをしているでもなし、周りの貴族らも分かっておろう。ロゼよ、そなたの考えを示して見せよ」
今のやり取りは、つまり無礼講を勝ち取ったということである。国王がそれを許した後で、ロゼの発言に対して「無礼な!」と声を荒げるような者がいれば愚か者が炙り出されたということでもある。けれど、どうやら訳知り顔のギルドマスターがあそこまでほっとしている様子を見ると、ロゼがこれから口にすることは、とんでもない不敬に当たることなのだろう。
――どうしてか、少しだけ彼女の口から出る言葉に期待を持っていると、ロゼは少しだけ沈黙を続けた後で、ぽつりと漏らした。
「23回です」
「……23回とは?」
「私が何らかの人助けをした後、お礼に食事を奢ると言われてご相伴に預かり、その後に彼らから助力を願われ、報酬を尋ねればこの間食事を奢っただろ? と事実をすり替えられた回数です」
「……………………」
見事なまでの絶句だった。それはまさしく、こうして才ある平民を貴族たちがいいように使う常套手段であったからだ。最初は恩義を返すという名目で大きなものを与え、それが過ぎたものだったからと、それを理由に労働を強いる。
ロゼに爵位を与えようものなら「そなたは貴族なのだから~」と、ロゼからすれば受け取らなくても良かったものに勝手な義務を付けられるようなものだ。
その手口に身に覚えがある者が数名、瞳を逸らした。この少女に、悪だくみを全て言い当てられたような気まずさが、謁見の間に漂う。
「私は、ギルドを介して支払われる以上の報酬を求めません。なぜならば、ギルドのシステムで報酬が決まるのは冒険者法に則った正確な処理であり、そこに貸し借りという概念が存在しないためです。災厄の獣討伐の補助という依頼において、災厄の獣の討伐は依頼内容に含有されていると判断します。ゆえに、報酬は当該クエストの報酬と等価で、問題が発生しないと判断しました」
ロゼは優れた聖属性魔法の使い手だ。聖属性魔法には、他人を補助するのに有利な魔法が揃っている。例えば、癒しであったりとか。冒険者界隈では、貴重な聖属性魔法の使い手は「辻ヒール」という仕事でも生計が立てられるとか。通りがかりに人の命を救ったのに、そんな厚顔無恥な返しをされたら、私だって誰も信じられなくなる。
「だ、だが、Sランクのモンスターを退治したというのに、報酬がたったのこれっぽっちでは」
「? Sランクのモンスターの討伐ならば、災厄の獣以前に14件の解決済み依頼があります」
ロゼの言葉に、貴族たちがどよめいた。ギルドマスターと呼ばれる白髪の紳士は、やれやれといった様子で頭を押さえた。この様子では、ロゼの力は冒険者ギルドでも持て余しているようだ。
「……そなたはどうやら、Sランクモンスターを討伐することがどれほど国家の安定に寄与するか分かっておらんようだ。ギルドマスターよ」
「は」
「余は"報酬"として、ロゼに王立学院に通って貰おうと思うが、そなたはどう見る?」
ロゼには、この世界の常識的な部分が大きく欠落している。それは事実だ。彼女は、自分の力がどれほど危険なものか分かっていないのだろう。下手な人間に利用される前に、現状を把握するのは大切だという判断だった。
けれどその時、私は運命から逃げられないのだということを何となく悟って背筋が冷える。ロゼがどんなにシナリオから逸れようとしてくれていても、どこかで帳尻を合わせようという動きが見えるからだ。
「……ロゼが学校に通うこと自体には賛成いたします。彼女は10歳の頃からずっと戦場に身を置いてきましたゆえ、少々常識的な部分が欠落しているのは事実です」
「ギルドマスター」
「ロゼ。いい機会だから、少しこの世界のことを、国のことを学んでくるといい。もちろん、冒険者としての活動を続けられるように、私から陛下にお願い申し上げるから」
「……そうですか。ですが、一つだけ意見があります」
「なんだろうか。余に叶えられることならば何でも叶えよう」
ロゼはこの「無礼講」の場において、下手をすれば即刻首を跳ねられかねない発言をしたのである。
「"報酬"として学院に通う権利を受け取るのを拒否します。追加の報酬を必要としない理由は説明しました。私に厚意を与える場合は"依頼"としてでお願いいたします」
つまり、学校に行ってほしければ報酬を払えと国王陛下に告げたのである。
貴族の中には気絶をしそうなものが何名か。けれどこの場で、ロゼにもの申せるものなどいるはずもなく――数日後、冒険者ギルドにはロゼ個人に対して王立学院に通って欲しいという依頼と、3年間の衣食住と学費、その他必要な経費を全て王宮が負担するという報酬が与えられ、ロゼはこれを受注したのである。