地球に屋根ができた
プロローグ
自然の猛威は、地球全土を苦しめていた。大雨による被害は年々増え続けた。オゾン層の破壊に伴って有害な紫外線量が増加していた。陸上、水中の生態系や、農業生産への影響が出ていた。人への皮膚がんや白内障などの健康への影響も懸念された。各国のトップが集められ話し合われた。そして人類は、空を捨てる事を決断した。
第1章
地球全域に屋根が建設された。雨雲が発生する高度よりも低い位置に作られた。そのため地球上から高い建物は全て撤去された。それほど、屋根が重要だという結論が下されたのだ。宇宙事業の相次ぐ原因不明の事故による行き詰まりも、屋根建設に踏み切る理由の一つになったようだ。
屋根はとても頑丈だった。科学的な結合がいくつも加わることによって作り出された、地球上で最も硬い物質で出来ていた。人類は、雨や太陽光から完全に開放され、自然の猛威に苦しめられることがなくなったのだ。
屋根は「遮光素材」「UVカット素材」「遮熱素材」が施された。屋根に打ち付けた雨は自動的に集められて、浄水場に送られるようになっていた。その水は飲み水や農業に使用された。また屋根には太陽光発電システムが備わっていて、たくさんのエネルギーを作り出し蓄積することが出来た。避雷針で雷を集めて電気エネルギーにも変えられた。エネルギーは人類に平等に与えられるようになった。
屋根に覆われた地球はとても快適であった。屋根に取り付けられた装置により、気温はいつも過ごしやすい温度に保たれた。また、心が和む香りを含んだ空気が流れ出るようになっていて、人類はいつでも晴れやかな気持ちになった。醜い争いは無くなった。
屋根の表面は映像を映し出すスクリーンになっていた。時間に応じて映像が移り変わる。青空。夕焼け。満点の星が輝く夜空。季節も感じることも出来た。春には桜。夏には入道雲。秋には紅葉。冬には雪。クリスマスにはクリスマスツリー。
飛行機はなくなったが、屋根にはモノレールが取り付けられた。これで安全に世界中を旅する事が出来た。世界が屋根により一つに繋がったのだ。
第2章
ある日の事。大きな隕石が屋根に衝突した。もちろん最も硬い物質で出来た屋根を突き破る事はなかった。それでも、屋根に大きな凹みをもたらした。次の日は雨だったが、屋根の下で暮らす人類には関係のないことだった。それでも隕石が衝突した一帯にシステムエラーが出た。雨を浄水場に送り込むことが出来なくなった。凹みに雨が溜まっていく。人類にとってそれは想定外のことだった。学者たちが集まり話し合われた。すぐに危険が及ぶことではないという結論にまとまった。修復するかどうかは、国のトップたちに委ねる事になった。
国のトップたちが一堂に会して話し合いが行われた。屋根には国境はなく、全ての国の領土であった。凹みの修復には莫大な予算が掛かると計算された。どこの国もお金を出すのを拒んだ。凹みはしばらくこのままにしておく事になった。問題を先延ばしにすることはよくあることなのだ。それに屋根の故障はごく一部で、他に支障が出ていない事もこういう決断が下された理由であった。屋根は果てしなく広く、これぐらいの事をいちいち問題にしている暇はない。みんな対立する派閥のスキャンダルや失言を叩くのに忙しいのであった。
第3章
かなりの月日が流れた。ひとりの検査作業員がジェット機装置を背負って空を飛んでいた。最近、太陽光発電システムでの蓄電率が大幅に落ちている原因を調査するのが任務である。屋根まで飛んでいき、手にしたハンマーで屋根の表面を叩いて、音を調べ始める。屋根の凹みのところにやってきた。ハンマーで叩くと、異常な音がした。検査員は、手持ち式のレーザー打音検査装置に持ち替える。ハイテク機器を駆使して調べているのだ。検査装置から、異常を知らせるアラーム音が鳴り響いた。こんな事は初めだった。検査員は屋根のスクリーンの映像をそこだけOFFして、顔を近づけて屋根の上の様子を伺った。そこは水で埋め尽くされていた。美しい透明な水だった。「これが雨水…」検査員は目を見開いた。この時代、誰も天然の雨を見た事がなかった。雨は過去のものだった。歴史の授業で習う織田信長などと同じ括りだった。検査員は魅了された。しかし次の瞬間、水の中を何かが通り過ぎていった。それはイカのような生物に見えた。検査員は恐ろしくなった。
学者たちが集められ、検査員が撮影したイカのような生物の調査が行われた。難しい調査ではなかった。すぐにカンブリア紀に誕生した生物であることが分かった。これはとても重大な事実だった。学者たちは抱えきれず、どのような対策をするかは国のトップに委ねることにした。その生物が屋根を突き破る事は極めて低いという見解から、ほっておくことにした。変な憶測を生みパニックを起こされても困るという理由で、人類には公表しないと決定した。緘口令が敷かれたのだ。
発見した検査員は、国の下した決断に納得出来なかった。人類は知る必要があると思った。屋根の上で、何か恐ろしい事が起こっている。ネットを駆使して広めた。屋根の撤廃を訴えるデモも行った。しかし人類は検査員の話に耳を傾けなかった。検査員の妻と娘も呆れて出ていってしまった。検査員は孤立した。それでも諦めなかった。検査員は訴え続けた。
一方、屋根を神と崇める組織がいた。組織は検査員の活動は神への冒涜だと抗議した。それからしばらく経ち、検査員が不慮の事故にあいこの世を去ったとニュースが報じた。もう屋根の撤廃を訴える者はいなくなった。
第4章
屋根の上の事。屋根は地面であった。ある日、屋根に隕石が衝突した。それは大きな凹みをもたらした。次の日は雨だった。雨は何日も何日も振り続いた。凹みに水が溜まっていき、それはいつしか巨大な水溜まりになった。
第5章
屋根の上の事。かなりの月日が流れた。巨大な水溜まりの中で化学反応が起きた。生命の素材となるタンパク質や核酸が生まれたのだ。それから間もなく、バクテリアが誕生した。日が経つにつれ、バクテリアの種類が増えていった。さらに進化は続き、多細胞生物が現れた。屋根の上には温度を調節するシステムなどはなかったから、温暖な気候が続いた。オゾン層は回復して紫外線は減り、穏やかな日差しが降り注いだ。いずれ大型多細胞生物が出現し、骨格を持つ動物が登場した。 しかし、しばらくして絶滅してしまった。それに代わり別の生物が出現した。イカのような姿をした生物だ。水溜まりの中を優雅に泳いでいた。魚類も多く誕生した。大小さまざまな隕石が屋根に衝突し、隕石が崩れた砂や泥などが重なって、大陸ができた。しばらくすると、魚類から両生類に変異するものが現れた。両生類は陸へと上がるようになった。さらに両生類から爬虫類へと変異するものも出現した。しかしこの頃から、気温が低下して氷河期に入っていった。
長い年月が過ぎ、屋根の上の生物もだいぶん変化した。厳しい氷河期もしだいに収まり、屋根の上を支配しているのは、恐竜であった。生きるための食物連鎖が繰り返されていった。
しかし、終焉は当然やってきた。巨大隕石が屋根に激突した。恐竜は大量に絶滅してしまった。 それでも生き延びた哺乳類がいた。やがて霊長類が誕生した。霊長類は類人猿に進化し、さらにホモ・サピエンスが誕生した。
かなりの月日が流れた。屋根の上にも文明が発展していた。家が立ち並び、車が走り、空には飛行機が飛んでいた。良い事ばかりではなかった。人類は争いを繰り返した。空を飛ぶ戦闘機から原子爆弾が投下された。それは、ひとつの島国から大勢の犠牲者を生んだ。
第6章
屋根の上の事。さらに月日が流れた。争いは終わり、屋根の上にも平和が訪れた。ただそう長くは続かなかった。自然の猛威が、地球全土を襲った。特に大雨による被害は年々増え続けていた。オゾン層は破壊され、有害な紫外線量は増加傾向にあった。陸上、水中の生態系や農業生産への影響が出始めていた。人への皮膚がんや白内障などの健康への影響も懸念された。各国のトップが集められ話し合われた。そして、人類は空を捨てる事を決断した。
エピローグ
屋根の下の事。かなりの月日が流れた。屋根の上で様々な変化が起こったことで、屋根のシステムが全て停止した。屋根はただの屋根だった。だけど、何の問題もなかった。科学が進歩した事で、飲み水や農業用の水は、人工的に作れた。その方が味も良かった。電気エネルギーは、人工的に作る装置が各家に備え付けられていた。地面に取り付けられた装置により、いつも過ごしやすい気温に保たれた。また、心が和む香りを含んだ空気も地面から流れ出るようにして、人類は変わりなくいつでも晴れやかな気持ちになった。相変わらず醜い争いは無かった。屋根よりも足元にある地面の方が、近い分、何かと便利で質も種類も豊富で使いやすかった。屋根に映し出されるスクリーン画像も、地上で操作が出来るようになり、種類も断然多くなった。屋根に設置したモノレールは変わりなく走り続けているので、世界中を旅する事が出来た。屋根がただの屋根になっても、人類は何も変わらない生活を送り続けていた。
今は鉱物資源が富を生む時代だった。どこの国も新たな鉱物資源を発見しようと躍起になっていた。ある国の捜査チームが、海底を捜索する事になった。海の中でも動ける最新の重機で海底の掘削作業を行っていると、ある所までくると、硬くてそれ以上掘り進める事ができなかった。地面の調査が開始された。すると、屋根に使われている物質と全く同じ物質だと分かった。学者たちは会議室に集まり話し合った。
「調査員の話では、海底で発見された屋根と同じ物質の層は、海全域に敷き詰められていたらしいぞ」
「あれは屋根なのか?」
「屋根であるわけがない」
「そうだ。屋根は人工的に作られた人類の傑作だ。あれは屋根ではない。似ているだけだ」
「だが、全く同じ物質だぞ。自然に出来たというのか」
「そうだな。自然に発生したとは考えにくいな」
「あれが屋根だったら、誰が作ったんだ」
「屋根を必要とした者だろう」
「それは、あの屋根の下に我々とは別の人類がいるという事か。そんなまさか…」
「信じがたいが、あれが屋根だったら、その可能性も充分に考えられる」
「変なものだな。我々はずっと屋根の下にいると思っていたが、屋根の上でもあったとは」
「それなら、あの上空の屋根の上にも人類がいるかもしれないぞ」
学者たちは、会議室の窓を開けて、顔を出して見上げた。上空を覆い尽くす屋根は、晴朗な青空を映し出していた。ひとりの学者がポツリと言った「もしあの屋根の上にも人類がいたら…そこにもまた屋根があるのだろうか」
屋根の上で暮らす人類の上空にもまた屋根があって、その上にも人類がいて、またそこにも屋根があって、またその上には人類がいて、また屋根があって…。人類が辿る道なんて何度やっても大差はないのかも知れないと思った。
屋根が崩壊したらどうなるのだ。学者たちは抱えきれず、国のトップたちに委ねる事になった。国のトップたちが一堂に会して話し合いが行われた。屋根が崩壊するわけがないという決めつけから、すぐに危険が及ぶことではないという結論にまとまった。問題を先延ばしにすることはよくあることなのだ。
終