叶わない恋
朝の日差しがまぶしい車内。
くたびれた年配のサラリーマンがうつらうつらとしている。毎日お疲れ様。
朝の電車は空気がよどんでいるみたい。
そんな中でも、あなたは今日も麗しい。
細く白い指先が文庫本のページをめくる。
それをあたしはいつもうっとりと見つめている。
白皙の美貌は、あなたの周りだけをきらきらと輝かせていて、目がくらむよう。
そう、あたしは美しいあなたに恋をしている。
決して、叶うことのない、恋を。
電車はやがて次の駅に着く。
あなたは手にしていた文庫本を鞄へと収め、車窓に映る自分を見て身なりを整えた。
そんなことしなくても、あなたのどこにも欠点はないのに。
駅に着けば、同学年の男女があなたの元へとやってくる。
あなたはいつも。
仲睦まじいふたりに気づかれないように、傷ついた顔をする。
それを見たあたしも、切ない気分になる。
それは毎朝のこと、いつものこと。
三人は友人関係。男女が他の車両に行ったり、時間を変えたり、――別れたりしなければ、三人はいつも一緒に登校することになるんでしょう。
あなたはふたりと話しながら、ときおりふたりを見つめて憂えた顔をする。
それを見ていたら、嫌でも気づく。
あなたは、その人を好きなのね、って。
でもわかるわ。ずっとそばにいたくなるような、明るい笑顔を絶やさない人だもの。
ふたりはお互いのことが大好きだって、見ててわかるもの。
あなたの入る隙は、無いみたい。
そっとあなたの様子を観察していれば、視界に入ってくる視線に反応してしまう。
彼の方は、あたしと目が合うと、さっと視線を逸らした。
実はあたし、彼とは中学が一緒で、短期間、付き合っていたことがあるの。
もう何年も前の話なのに、彼はあたしと目が合うと、いつも気まずいみたいな顔をする。
あたしは全然気にしていないし、いまはもう好きな人がいるからどうってことないのに。
けっこう手酷く振られて、高校も別にしたのに、朝の登校時間が被るなんてついてないよね。
時間をずらさないってことは、彼女さんにうまく説明できなかったのね。
しょうがない。通学にはこの時間が一番都合がいいんだもの。
あたしはまったく気にしていないのだから、目が合ったとしても、気にしなければいいのに。
難儀な人。
彼女のことだけに集中していればいいのに。
まあ、彼のことはどうだっていいのよ。
あたしはあの人が好きなんだから。
たとえあの人が、他の誰を好きでも。
あたしはあなたが好きよ。
叶わない、恋だけれど。
あなたの顔を見ながら、あたしはそっと息をついた。
わかっていても、つらいものよね。
降車する駅に着いた。
乗っていた場所の都合上、三人の後ろについて降りる。
いつものこと。
でも今日は、違うことが起きた。
「あ……」
あなたの定期入れが目の前に落ちてきたの。
すかさず定期入れを拾う。
どくんと、心臓がはねた。
あたしはいつもあなたを見つめるだけで、話したことも……視界に入ったことすらないの。
これで恋だなんて、笑っちゃうよね。
けれど、本当に大好きなの。
だから、こんな機会、ぜったいにのがさない。
名前は、知ってる。
だって彼が名前で、彼女が苗字で呼ぶから。
「井上、雅也、さん」
白皙の美貌が振り返る。
あまりのまぶしさに、目を細めた。
「落としましたよ」
「ああ、ありがとうございます」
あたしは、低い声で、呼びかけた。
あなたは涼やかな声で、笑む。
ああ、なんて、綺麗なの。
叶わなくていい。
あなたの視界に入れたことが。
あなたに声をかけられたことが。
あなたに微笑まれたことが。
あたしの、最上のよろこび。
――あなたの瞳にあたしの姿が映る。
とろりとした笑みを浮かべる、精悍な、男の姿だった。
END.