【第1話】悪魔、召喚しちゃいました ①
例え何度間違えたとしても。
どんな出会い方をしても、どんな別れ方をしたとしても。
運命の相手なら必ず見つけられる。
私はあなたに、何度だって恋をする。
* * *
放課後の図書室で、私は床に落ちた一冊の本を見つけた。
学術書ほどの大きさで、随分とアンティークな装丁だ。
窓から差し込む夕日が眩しくて題名はよく見えない。
本棚には十分な空きがあるので、どうやら落とされたまま放置されてしまったらしい。
なんだか自分みたいだと思う。
『あなたにも私にも、大切な相手がいればいいのにね』
本を手に取ると古ぼけた表紙が一瞬光ったような気がした。
「何かしら今のは。気のせいかしら」
目を擦って見上げれば、一人の青年が立っていた。
長身で人間離れした美貌をしている。
銀の長髪に赤い切れ長の目。青すぎる肌に尖った耳。
何より目立つのは黒曜石のような二本の角に、蝙蝠のような黒く大きい翼。
なぜだろう。見覚えのはず彼の姿をとても懐かしく感じるのは。
彼は深みのある美声で私に問いかけてきた。
「————我を召喚したのは貴様か?」
日鳥駒乃、十六歳。
多少の波乱はあったけど、今まで普通の人生を送ってきた。
オカルトの類は信じていないし心霊体験をした記憶もない。
だからいきなり目の前に現れた彼に抱いたのは猜疑心だけだった。
「いいえ、違います」
「えっ」
彼は外見に似合わず間の抜けた声を出した。
「いや、そんなハズはなかろう? 我は貴様の願いを聞いてここに来たのだが」
「願いなんて言った覚えがないですけど……、人違いじゃないでしょうか?」
「そんな訳はなかろう。我はずっと貴様を見てきたのだからな」
そう言われても彼のような知り合いはいないし、どこかで知り合った覚えもない。
本物の悪魔のように見えるけど、もしかしたらただのコスプレ好きのお兄さんかもしれないし。
というか、その可能性の方が高いだろう。
「まぁともかくだ。この我を喚んだからには当然契約するであろう?」
「契約しないですし、そもそも呼んでないんだってば」
この人、結構押しが強いわね。
そう伝えると彼は確認するように問いかけてきた。
「ふむ。ならば我は魔界に還ってしまうが本当に良いのか?我なら貴様の願いを叶えることが出来るのだが」
「……私の願い?」
「ああ。我は貴様の望む大切な相手とやらを用意してやることができる」
それを聞いて少し彼に腹が立った。
彼に私の過去を知っている知人がいれば、私が望む大切な相手が誰かなんて簡単にわかるだろう。
だけど自分の傷が癒えていない場所に無遠慮に踏み込まれるのは嫌だった。
そんなに簡単に欲しいものが手に入るのなら、私はこんな思いはしていないのだから。
だから少しだけ意地悪を言ってみた。
「そうね……あなたが本当に悪魔だって証明できるなら、契約してもいいわよ」
そう伝えると彼は嬉しそうに微笑んだ。
「そんなことでよいのか。では今図書室に入ってきた人間を貴様の友人にして見せよう」
「えっ」
入口を振り返ると一人の女子生徒がこっちに向かって歩いていた。
あまり話したことのないカースト上位のクラスメイトだ。
そんな子がどうしてわざわざ旧校舎に、という疑問はあるけど友人にしてみせるだなんて笑ってしまう。
「話し合いの場でも設けるつもり? 言っておくけど、私は人と話すのが苦手だからいくらあなたが頑張ったところで……」
「まぁ見ておるがよい」
自信満々に話を遮った彼は得意げに腕組みをして指を鳴らした。
絵になるけどやめて、腹立つから。
そう言われても特に変わった様子はない。
……そう思っていたんだけど、その美少女は私を見つけるとぱぁっと顔を輝かせた。
「あれ、駒っちじゃん。どうしたのー?」
ものすごく嬉しそうに抱きついてきた。異常事態だった。
「えっ」
正直、私は片手で数えるほどしか彼女と話したことがない。
そのときは苗字で呼ばれていたし、ここまで打ち解けた感じでは無かった。
彼女がいくら社交的だからって急にこんなにフレンドリーになるなんて不自然だ。
「あの、お兄さ……悪魔くん、これは一体どういうことなの」
「ハハハハ、シリウス・アンサモン・ディザスターだ。好きに呼んで構わんぞ」
「呼び方は別に気にしてないのよ。彼女がどうして私に抱きついてるのか知りたいだけで」
「貴様が察している通り我の魔法だな。こやつは貴様が仲がいいと記憶を植え付けたのだ」
簡単に言うけど、事実だとすればちゃっかり洗脳していることになるんだけど。
「何てことするの! もし本当なら今すぐ彼女を元に戻して!」
居合わせたばかりに洗脳されてしまうとか気の毒過ぎる。
私の言葉に彼は不服そうに眉間に皺を寄せた。
「せっかく友情が芽生えたのにか?」
「私から言っておいて悪いけど……友情ってこんなものじゃないでしょう?」
「ふむ、では……貴様の言う友情とは何なのだ?」
深い事を聞いてくる。ていうか、よくこんな寂しそうな女にそれを聞く気になったわね。
「よくわからないけど……無理やり記憶を植え付けてもそれは友達じゃないし、逆に記憶が無くても友達は友達なんじゃないの?」
自分なりに考えて伝えると、彼は顎に指を当てて黙り込んだ。
しばらく何か考えていたようだが、やがて納得したように頷いた。
「ふむ……ならば魔法を解くが本当に後悔はしないのだな?」
「ええ。そうしてくれる? あなたが本物の悪魔だってこともよくわかったし」
「そうか」
彼が右手を軽く振ると、女子生徒の表情が元に戻った。
ゆっくりと身体を離して不思議そうに首を傾げている。
「あれ? 日鳥さんじゃん、どうしたの?」
返事に悩んでいると、彼女は困ったように微笑んだ。
「ていうかごめん。抱きついといて何だけど、アタシ今何してたか覚えてないんだよねー」
「い、いえ……むしろこちらが迷惑を掛けてしまったというか……」
「そーなの? 覚えてないからへーきへーき。……ていうか、なんか目眩が……」
倒れ込みそうになった女子生徒をシリウスが支えた。
まるで倒れ込むことが初めからわかっていたような動きだった。
「あの、どうして倒れるってわかったの……?」
「何度も魔法を受けておいて身体に負担がないはずがなかろう。しばらく休めば楽になるだろうが……」
衝撃の事実に血の気が引いた。
* * *
見つからないように注意しながら彼女を保健室に運び込んだ。
ベッドに身を横たえた彼女は穏やかな寝息を立てている。
「これでよし。しばらく経てば目を覚ますだろう」
「……彼女に後遺症とか残らないかしら?」
悪魔の力を証明しろと言ったのは私だし、元に戻すように頼んだのも私だ。
もし彼女に何かあれば代わりに私から奪って治して貰おうと思ったんだけど。
「安心しろ。さすがに人間を傷つけるような魔法は使わんからか。……ただ下手に思い出させると負担がかかるので、我らは目を覚ます前に姿を消した方がいいかもしれん」
悪魔なのに妙に常識的というか、対応が穏やかだ。
そもそも外見と魔法を使える以外はあまり悪魔っぽくない気がする。
ともあれ、彼女が無事だったことに安堵して息を吐く。
「でも驚いた。……あなた本当に悪魔だったのね」
「驚いたも何も見るからに悪魔ではないか。正直怖がって逃げられても不思議ではないと思っていたのだが……」
「逃げたりしないわよ。別にあなた怖くないもの」
初対面では驚いたが、話してみれば他の人よりも話しやすいぐらいだった。
養護教諭は席を外していて私達以外には誰もいない。
心地よさそうに眠る彼女の寝顔を見守っていると、シリウスが質問してきた。
「ところで契約はどうする?」
「……どうしてそこまでして契約したがるのかしら」
「いや、それがな。我は契約をするまでは魔界に還ろうにも還れないのだ」
「……はい?」
「貴様と出会ったからか還れなくなってしまってな。契約をして貰えると非常に助かるのだが」
ものすごくいい笑顔だった。
正直私には関係ない気がするけど、帰りたい場所に帰れないつらさは少しだけ理解できる。
「そうね。あなたのお陰で久しぶりに誰かと話せたし……よかったら契約してみましょうか?」
そう伝えると、シリウスは驚いたような顔をした。
「いや、我は非常に助かるが……簡単に了承しすぎではないか? まだ貴様の名前すら聞いていないというのに」
そう言われて名前を言っていなかったと思いだす。
「日鳥駒乃よ。あなた、こっちで住めるところはあるの?」
そう聞くと悪魔は首を左右に振った。
「それなら家に来るといいわ。……どうせ誰にも怒られないしね。家まで案内するからなるべく目立たないようついて来てくれる?」
話を切り上げて保健室を出る。
久しぶりに誰かと話したせいで、すっかり頭が疲れていた。
* * *
駒乃が保健室を去った後、一人でため息をついていた。
どうなることかと思ったが、無事に彼女と契約を結べそうだ。
初めての召喚で成功する思っていなかったから、思ったより早く目的を達成してしまった。
しかし年頃の娘がこうも不用心でいいのだろうか。
あまりの無防備さに呆れ果てる。
自分が不審者だったらどうするのだろうか。
しかし十代半ばの少女だというのにここまで冷めた性格に成長しているとは……。
「そろそろ我も行くか。日鳥駒乃か……。忘れないようにしなくてはな」
悪魔にとって契約者の名前は大切なものだ。
名前も知らない相手と簡単に契約してはいけないほどに。そんな無責任に契約をすることなどあってはならないのだが。
「まぁ、契約を終えた後の方がよほど重要か……」
契約を結ぶ前に、まず今の彼女の大切なものを調べなくてはならない。
そろそろ眠っている少女が目を覚ますだろうか。
音を立てて起こしてしまわないよう保健室を後にした。
彼が去る直前に眠っていた女子生徒が目を覚ました。
「誰なんだろ、今の人。もしかしてアタシのこと助けてくれたの……?」
一人残された美少女は、人知れず恋に落ちていた。