最終話
足を引きずりながら森の奥へと逃げていくジン・スカシペスの背を見送り、なんとか地下遺跡から這い出るように脱出できたのは一夜明け、うっすらと朝日が大地の輪郭を照らし始めた時だった。
勢い良く啖呵を切ったはいいものの、雑魚装備で勝てるはずもなく。結局、麻痺罠、付加毒ナイフ、落とし穴、投擲雷光弾、手持ち式爆弾、持っている全てのトラップツールと回復ポーションを使い果たしてしまった。
その上、撃退だ。収穫はゼロ。起源種を倒したなどと言っても誰も信用しないだろう。
泥と砂埃に紛れ、体は打撲と切り傷だらけ。たぶん骨折もしている。おまけに長く使い続けてきた装備はズタボロで修復もできそうにない有り様だ。
「あー、ちくしょう……大赤字だ」
遺跡の出口近くにあった野原に寝転び、体を伸ばす。
ハウンダーとしての満足感よりも、金目のことを考えてしまう情けない自分がいた。だけど、先ほどまで感じていた自分と世界への鬱憤はどこかに消え去っていた。
『駆除業者』の自分が伝説にうたわれる起源種を追い払ったのだ。実感なんて沸くはずない。
でも、実はおとぎ話に出てくる勇者たちもこんなもんだったのかもしれないと思うと、どこかおかしく、笑いが込み上げてきた。
自分が進むべき道なんて相変わらずわからないままだ。
だけど、ずっと己の中にあった靄が晴れた気がした。
大した意味なんてない。でも、変化なんてこんなにもある日突然ぽんと起きるものなのだ。
なんだか、今はなんにだってなれて、どこにでも行ける気がした。案外……同じ毎日でも、こうやって少しずつ変わってるのかもしれないな。
「自分の人生だ」
もう少し気楽にいくさ。そう思い、寝転びながら昇る朝日に目を細める。
いつもは疲れた体にうっとしいだけの朝日が、今日はやけに眩しく感じた。
夜通しプレイしたVRゲーム酔いでネットカフェから這い出るように出てきたのは一夜明け、うっすらと朝日が東京の街を照らし始めた頃だった。
「眩しっ……」
そのほのかな輝きに思わず目を細める。朝焼けの空を見上げるなんて、もう何年もしてなかった。
あの奇妙なバグはそれから二度と起こらなかった。撃退実績にもジン・スカシペスというドラゴンのデータは記録されておらず、少しネットを調べてみたが運営の公式報告や攻略サイトにも似たような現象の情報は皆無。結局、何もわからずじまいだ。
でも、さして気にはならない。それどころか妙にすっきりした気分だった。
「あーあ……」
昨夜まで感じていた世界への苛立ちは消え、代わりに出てきたのはため息混じりの諦めだ。
でも、それは今までの諦念と違って、どこか前向きな諦めだった。
人間関係が嫌だ。辛い仕事が嫌だ。自分たちの都合や考えばかり押し付けてくる親、彼が嫌だ。
この社会には嫌で、つまらなくて、退屈なことを見つけない方が難しい。気分転換は大切だけど、そういうのをうまくやり過ごす方法を身に付けなきゃ、現状に溺れてしまう。
(もがきすぎゃだめだ)
ネガティブな感情から逃げようとすればするほど、支配されちゃう。時々でいいから、もっと気楽に、無責任に、自分を見つめ直す時間があってもいいのかもしれない。人通りが少なく、シンと冷えた街を歩いているとそんな風に思えた。
仕事ができて、誰かに頼られたい。両親や彼からの理解が欲しい。同じような毎日が嫌だ。
そういうのって、たぶんただの脇役に過ぎないんだ。一番大事なのは、自分の人生というゲームの中で自分がどんな人間でありたいかってことなのかも。
ふと、先ほどまで対峙していたジン・スカシペス__そこに重なった自分の顔を思い出す。
結局、私が他人に思ってる不満って、本当は自分への不満の裏返しだったのだ。
当たり前だけど、みんなNPCじゃなくてプレイヤーだから。一人一人の人に言い分ややり方があって、他人や自分のそれとどうやって折り合いをつけるかは、自身で決めるしかない。
「……婚活でもしようかなー」
自分にはあり得ないと思っていたそんな考えを言葉に出している自分に後から気づいた。同時に、でも、やっぱりまだもやもやしている自分もいた。
きっとこのもやもやは死ぬまで付き合うことになるんだろう。
駅へと向かう道中、なぜか急にドラコンハウンダーの中での己の分身__一緒に戦ったアバターの少年を思い出す。そして、きっともうあの世界にログインすることはないだろうと思った。
何が自分にとって大切か。そんなことを悩むのは若い人だけの特権じゃない。いい年した大人だって相変わらず悩んだりするのだ。
「君も頑張れ」
私も、頑張る。
でも、今日はちょっと休憩だ。週末を楽しもう。そう思い、駅へと続く歩道橋の階段を昇りながら朝日に目を細める。
いつもは疲れた体にうっとしいだけの朝日が、今日はやけに綺麗に感じた。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
良い週末を!(お仕事の方、お疲れ様です)