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6話

「どういうこと?」

 思わずシステムメニューからマップを呼び出す。そこに表示されるのは『NO DATA』と白抜きにされたスペースのみ。運営の公式サイトやネット上の攻略掲示板にもバグの発生報告といったそれらしい情報は出てこない。

 しかし、今自分の目の前に現れたドアとその先に広がる空間。それは単なるシステムグラフィックではなく、完全にフィールドとして解放されている。

(……どうしよう?)

 自分の目的はスカシペスを狩ること。ゲームと言えど完全没入型のシステムで正体不明のバグに巻き込まれれば危険が伴う可能性もある。

 行く理由などない。そのはずなのに__


__さすが、キャリア女子は違うなぁ

__本当、尊敬します

__私も元気なうちに孫と遊びたいわねぇ

__本当の君がよくわからないんだ


 脳裏をふとよぎる苦い記憶。

 なぜか足は扉の内側へ一歩踏み出していた。

 単なる好奇心か。現実から逃れるためか。自分でもわからないけど、この先に求めてる何かがある。そんな思いにかられ、アバターの体は、視界は未知の空間へと踏み出して行った。




「なんだこりゃ……?」

 壁。天井。地面。その全てが汚れなき白に染まっている。

 イェガの目の前に広がるのは、古びた遺跡とは似て非なる清潔な空間。ただひたすらに何もない『空白』と呼ぶにふさわしい景色だった。

 気圧されつつも進むと空白の中、道行きの末にぽつんと浮かぶように鎮座する扉が見える。今度は人間の大人がちょうど入れそうな小さなものだ。淡く輝く白の中を抜け、その扉の前までいくと、何もしていないのに扉が開く。その先は、打って変わって荒れた洞窟のような一本道。だが、その両脇にはどこか整然と巨木__地上では稀にしか見られない古代樹たちが並んでいる。

 やがて薄暗い洞窟の奥に光が見えた。だが、光の先に広がっていたのはあまりにも想定外の空間だった。

 生い茂る木々。草原。抜けるような青空。その間を縫うように流れるのは、硝子みたいに透き通った小川。したたるような緑と清涼な空気。

 そこは今まで生きて、訪れたどんな場所よりも濃い草木の匂いと澄みきった空気に覆われていた。

(あり得ねえ……)

 地下遺跡は広大だ。最奥部に至るまで半日はかかる。

 あの扉に入ってからここに至るまで30分もかかっていない。そんな時間で遺跡から外に__それもこんなにも広けた場所に出るなど不可能だ。

 けれど、一つだけ、思い当たる節があった。

 神代の時代。神々の中には一瞬で異なる場所へ行けてしまう御業(みわざ)を持っていた者たちもいたという伝説があるのだ。

 もしかしたら、あの白い空間はその力の名残なのではないか。そんな考えが頭から沸き上がる。普段なら子ども染みた発想とすぐに捨て去ってしまうが、この白昼夢のような状況はそれ以外説明がつかなかった。

 広大無辺の清浄な世界をひたすらに歩く。

 森、砂漠、山、谷。人が住まう場所ではないところに入る時は、他人の家に邪魔させてもらっていると思えばいい。それがハウンダーを始めた時から言われ続けているばあちゃんの教えだ。その教えに従い、歩きながら周囲を観察した。

 巨木の上に小翼竜(プテバンラ)の巣が見えた。遠くの丘にはあまり人前に姿を見せない雷馬(キリン)の姿も。ここは本当に豊かないい森のようだ。

(だけど……)

 静かすぎる。

 鳥の鳴き声がない。他にも蛇や蜥蜴、小さい羽虫、蟻や蝿や蜂や蝶、クモの巣……普通の生態系ではドラゴンや獣と植物を繋ぐはずのものがすっぽりと抜け落ちているのだ。

(虫……)

 ふと子供の頃に見た光景を思い出した。

 縁日の日のことだ。都から来た行商人の出店でところ狭しと並べられていた鎧のような外郭を持った異国の虫。竹串と布の天幕で作られた虫籠の中、灯籠の火に照らされた彼らの無機質な視線を。

 なぜかはわからない。だけど、突き抜けるような青空と豊かな自然広がるこの空間は、どこかその虫籠に似ている気がした。まるで見えない薄い膜が張られた檻にいるような感覚。それを自覚した瞬間、ぞくりと背をなぞる悪寒が走った。

 本能が告げている。一刻も早く戻れ、と。

「えっ……!?」

 不安を掻き立てる声に従い踵を返す。

 だが、背後を振り返った瞬間、度肝を抜いた。

 太陽輝く昼間の屋外でもはっきりと見える青白い光の粒が目の前に立ち昇っていた。蛍の光のように飛び交う光たちの無数の輝きは螺旋を描いて混じり合い、やがてある形を作り出す。

 それが人影らしきものと気づいた数秒後、一人の女性が光の中から姿を現した。

 濃い紫色の瞳と対照的なアイスブルーの長髪。その表情はどこか人間離れした美しさを備えており、見とれる前に恐怖が心を満たした。

『……歓迎……開放型バイオ、スフィア……アガルタ………』

 その口から言葉が発せられ、続けざまにぎょっとする。

 彼女の声はかすれ、所々しか耳に届かない。だが、聞き取れない理由はそれだけではない。今、紡がれている馴染みの薄い言葉の連なり。それは婆ちゃんの寝物語に時折現れる神代の古語たちだからだ。

『人類……生命……新しい……ステージ……実験……生態系を再構築……』

 突然のことに身じろぎできず、その場で足を止めて女性の話に耳を傾ける。彼女は確かに目の前に存在しているのに、その瞳はまるでこちらを映していないようだった。

『……次期知的生命……発見防ぐ……認識阻害システム及びゲノム編集によ……生息域の制限、行動を操作……生態系、利用……自衛システム……半永久的……稼働可能』

「お、おい__」

 永遠と続く意味のわからない説明にしびれを切らし、声をかけた時だ。

 あんなにも静かだった大地が震え、空が鳴動した。

「なっ!?」

 背後で地面が炸裂し、まるで火山が噴火したかのように土砂が柱となり舞い上がった。

(何が……!?)

 爆発にも似た衝撃と暴風に襲われ、倒れ込む。訳がわからない。

 だが、土煙に紛れたその変化は瞬時にイェガの鼻孔へ届いた。

「うっ……!」

 臭い!

 覚えのあるどこか甘ったるく、生臭い腐廃臭。だが、スカシペスの屁を遥かに凌駕する悪臭に呼吸すらままならず、激しく咳き込む。慌てて防臭マスクに手をかけ、その根元である土煙の向こうを見据える。

 そこには一つの巨影があった。大人の男4人分はあろうかという背丈。細長い胴体とゆるやかな弧を描く首。股間の少し前で膨らんだような腹部。

 やがて、それはスカシペスと似たような挙動で薄くなっていく砂塵の中を進んでくる。

 しかし、スカシペスと違い両足やすねには横腹を覆うような太い筋肉がついており、その発達した大腿筋で勢いよく立ち上がり、1つ咆哮。同時に尻尾を振り回し、その度に残った土煙が凪ぎ払われ、マスクで防ぎきれない悪臭が拡散していく。その臭いに、昔、ばあちゃんから聞いた昔話が胸の内に甦る。

 なんてことない。誰しもが聞いたことのあるどこにでもありそうな話だ。スカシペスの祖先である強大な竜に襲われ、その悪臭で住む場所を失った村人たちを通りすがりのハウンダーが助けてめでたし、めでたし。確かそんな話だった。

「マジかよ……」

 間違いない。

 目の前に立ちはだかるのは、神代の生き証人。

 災害級ドラゴン起源種の一種、腐屁王竜(ふひおうりゅう)__ジン・スカシペス!!

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