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5話

 週末の夜。終電でも都心から郊外へと帰宅を急ぐ足は減らない。

 倦怠感とため息が混じり合った駅のホームで、大人たちは皆純粋な疲れとはどこか違う虚無感に満ちた顔でスマホに目を落とし、せっせと指を動かす。

 車掌のアナウンス。イヤホンから漏れるJPOP。宴会帰りの大学生の中身のない会話。階段を駆け上がる音。ホーム屋根の隙間から垣間見える秋の夜空。ぼろぼろになった新聞。店じまいをしたキヨスクのシャッター。

 駅の喧騒と足音の中、電車に吸い込まれては吐き出される人、人、人。

 なんでもないいつもの風景。それなのに。

「うっ……」

 張りつめた土砂が流れ込むように急に吐き気がして……なぜかもう来週は会社に行けない気がした。明確な理由なんてない。ただそんな確信があった。

 言い訳をこねれば、多すぎる残業とか、面倒事を押し付けてくる上司とか、色々ある。

 でも、きっと本当は……自分がこの人生に意味を見出だせていないからなのかもしれない。

 もう一度、ぼーっと周りを__ホームを埋め尽くす人の群れを見てみる。きっとこの中には私より責任が伴う仕事をしてたり、家庭の事情があったり、しんどい職場や学校の人間関係で心を曇らせたりしている人もいる。

 それなのにこの程度のことで世界の終わりみたいに感じてる自分が情けなくて、でも、どうしようもなくて。30を越えたいい大人のくせに急に泣きそうになった。

『お客様にお知らせ致します』

 どこか遠くで、けれど、妙にはっきりと人身事故によって電車が止まったことを知らせるアナウンスが流れ、電光掲示板には運行停止の文字。それを聞き、皆いっせいにスマホで迂回ルートを検索し始める。

 だが、何もする気がおきない。ぼーっと虚空を見つめる自分がいた。

(ああ、そっか)

 人身事故……つまりは飛び込み自殺。今までなんでわざわざ電車に飛び込むような真似をするんだろうって思ってたけど、きっとそうじゃない。

 前もって計画してやるわけじゃないんだ。きっと不意に体が動かされてしまうのだ。自分だけど、自分じゃない誰かの意思に。

 もし電車が動き出したら。

(あと)

 一歩踏み出せば、全てが解決するかもしれない。背中を突き動かす衝動にかられそうになった刹那__スマホのバイブレーションではっとした。

(今……私、何を……!?)

 慌てて意識を引き戻し、自分の思考にゾッとした。

 これ以上ここにいちゃだめだと思い、駅のホームから離れようとスマホを取り出す。

 画面に表示されていたの一通のメール。ドラゴンハウンダーのアカウントと連動しているアプリの通知だ。

『くうぜーん!ぜつごーの!雑魚ドラゴンの逆襲!!!』

 そこにあったのはイベントクエストの通知だ。

 イベントクエストとは運営から配信される期間限定の特別な依頼だ。普段とは違う特殊な条件で出されることが多く、今回はある場所で大量の雑魚ドラゴンを狩ることが条件となっている。こういうふうに不人気なドラゴンのクエストには需給のバランスの調整イベントがかけられることが多かった。

(雑魚ドラゴン……)

 画面をスクロールして対象ドラゴン一覧の内容を見てみると、やはりいた。スカシペスもリストに入っている。

 場所は……『古代地下遺跡アガルタ』。今まで一度も行ったことはないけど、サービス開始最初期から存在するダンジョンの一つだ。意味深な名前のわりに目ぼしいアイテムもイベント発生もない。常駐ドラゴンも危険なものはおらず、スカシペスと同程度の雑魚ドラゴンの巣になっている。

(……行くか)

 とにかく一刻も早くホームを離れたかったのでタイミングがいい。すぐに近くのVRゲーム施設付きのネットカフェを探すと、駅近くに『自由クラブ』が一店舗ある。立ち尽くして迂回ルートを検索し続ける人混みの中、早足でホームを降りた。




 どこからか入り込んだすきま風が不気味な声を発し、ランタンの灯りが頼りなさげに揺れた。日の光も届かないこんな地下遺跡の奥深くだというのに、風はこんなところにも忍び込んでくる事実に少し驚く。

 だが、今はそんな新発見に感心している場合じゃない。イェガは気を取り直し、深い闇の中に目を凝らす。

 蒸し風呂の中にいたような外のジャングルとはまるで違う、シンと冷え、乾いた空気。だが、半日かけて進んだ遺跡の最奥付近はどこかどんよりとした沈んだ空気と静寂が支配している。

 がさりと、微かな音が反響する。

 その空気を揺らす足音と声。最初は1つ。次に2つ。3つ、4つ。金属を打ち鳴らしたようなその鳴き声は徐々に数を増やし、近づいてくる。

「よし……」

 その音たちがこちらに接近する前にランタンを布で覆い隠し、暗闇に目を慣れさせながらじっと通路の角に身を潜めた。

 やがて、暗がりの向こうから姿を現したのは見慣れた獲物たち__スカシペスの群れだ。

(7体か……)

 ぼんやりとした輪郭から相手の数を把握する。同時に緊急討伐クエストの依頼内容を思い出す。確か指定数は8。1体足りないが、残りは帰り道にでも見つかるだろう。

(何体か減らしておくか……)

 普段と違い月明かりすらない高濃度の闇の中。スカシペスとはいえ、夜目が利く相手。油断は禁物だ。音を立てぬようポーチを探り、取り出したのは濃く臭い付けした罠用の燻製である。単体でも使えるが、今回はあるものをくくりつけた。

 通路から半身を乗り出しスカシペスたちのいる方向へ素早くそれを投げつける。わざと大きく音を出すように投げつけたそれは壁にあたり跳ね返ると、狙い通りスカシペスの群れの中心へ。突然出現した音と香ばしい香りにスカシペスたちの注意はこちらから外れ、警戒しながらも案の定燻製が落ちた先へぞくぞくと集まってくる。その内の3体が鼻先を鳴らしながら、大きく口を開く。

 だが、次の瞬間、ごちそうを目の前にしていたはずのスカシペスの視界を白い閃光が支配した。

 闇を押し退ける光と共に轟音が静寂を破り、爆炎と共に3体のスカシペスは天井へと叩きつけられる。肉の焼ける悪臭と共に絶命したが、残りの4体はまだ仲間の死に気づくこともできない。闇に慣れた目が強烈な閃光によって麻痺していたからだ。

 その中で……1体が自分たちのものではない敵の臭いに気づき、眩んだ視界のまま本能的に襲いかかる。

 背を向け、通路の影に隠れていたイェガの目に影響はない。飛びかかったスカシペスはあえなく横凪ぎに払われ、遺跡の岩壁にその頭を打ち付けた。例え数で不利であろうと、幅が狭いこの通路は、居座れば一対一の状況を作り出せる場所だ。それに加え、狭い空間はイェガの短い刀剣とも相性がいい。

 ここまでの状況を作り出せれば、最早いつもと同じ。駆除業者と罵られる作業にも似た狩りの方法だ。

「……849体目」

 最後の1体の喉元を掻き切ると、びくりと魚が跳ねるように手足をバタつかせる。動きが止まり息絶えると、辺りは何事もなかったかのように再び静けさが返ってくる。

 残されたのは悪臭染み付いた臓物の臭いとマスクの中で少し乱れた自分の息遣いだけだ。周囲に他のドラゴンやハウンダーがいる気配もない。

 緊急討伐クエストは内容の割に実入りがいいため、自分の他にも何人か初心者が来ていたが、他種のドラゴンを指定数狩り終えた後は遺跡を探訪することもなく帰ってしまった。アガルタに目ぼしいものが何もないというのは、初心者ですら知っている周知の事実だ。イェガが最奥部に来たのも偶々ここまでの道程でスカシペスに遭遇しなかったからだった。

「……帰るか」

 だが、やっと目的の獲物を見つけ、狩ったというのに。

 残されたのは得体の知れぬ徒労感と虚しさだけだった。とりあえず、ランタンの灯りを頼りに近く転がっている死体から討伐証拠である尻尾を切り取っていく。

「……ん?」

 しかし、燻製にくくりつけた時限式の爆破罠付近。最初に絶命した3体の死体が横たわる行き止まりに達した時、その違和感に気付き目を細めた。

「これは……?」

 違和感の正体は大量に生い茂る蔦の奥にある遺跡の壁だった。

 アガルタの壁は、ほぼその全部が遺跡らしい壁画もない無地の壁だ。だが、ツルツルとしたその無機質な石材__石なのか鉄なのかもわからない構成物質は謎に包まれている。遠い昔に都の学者たちが一度調査に来たこともあるが、切り出すことはおろか傷一つ付けられず断念してしまったこともあるほどだ。

「扉……」

 爆発によって吹き飛ばされた蔦のカーテンの先。

 覆い隠され、見えなくなっていた向こう側にあったのは、明らかに他の岩壁とは区画されたへこみに設置された門のような構造物だった。天井まで続く割れ目のような中央線を携えたそれは、一目見てわかる異様な存在感を放っている。

 何の変哲もない、無機質な扉。だが、向こう側の様子などわかるはずがないのに、まるで内側に何かあるような気がして。思わず手を伸ばすが、想像もできないような永い時間のせいか扉はびくともしない。

「錆び付いてんのか?」

 イェガが力付くで動かすことを諦めた時、ふと視界の端に何かがちらつく。それは微かに反射したランタンの灯りだ。

「なんだこりゃ……?」

 灯りを反射したもの。それは、扉の端にある不思議なでっぱりだった。硝子のような半透明の板がついており、イェガは調べようと恐る恐る手を触れてみる。

 その刹那だった。

「なっ……!?」

 天井から地面へ。闇を切り裂くように扉を二つに割る青い光が走った。イェガは思わずスカシペスの死体の中を飛び退くが、体に異常はない。その輝線は徐々に扉全体へと広がっていき、やがてあんなにも固く閉ざされていた扉が音もなくゆっくりと開いていく。

「どういうことだよ……?」

 その先にあったのは……いや、その先には何もなかった。

 ただ延々と続くような真っ白な空間が広がっていたのだ。


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