4話
「……ただいま、ばあちゃん」
「おっ、どうやった……って、クサッ! あんた! またスカシペスかいな!?」
昨夜の仕事を終え、家に帰ったのは朝日が昇り始めた頃だ。石造りのあばら家に据え付けられた今にも壊れそうな(というか月に一度は実際に壊れる)ドアは軋んだ音を立てて、イェガを迎え入れた。
だが、迎えの挨拶を寄越したのはそれだけではない。妙に早口な同居人も一緒だった。
「いつもと変わらないよ。はい、報酬」
「しみったれた仕事やな~。もっと大物を狩ってこんかい」
「うるせぇ」
ばあちゃん__自分の半分ほどしかない背丈に大きな丸い耳といくつもの髭を携えた長い鼻。そして、真っ白な毛。二足歩行をした大きなネズミに近い容姿をした獣人にイェガは多くない報酬を渡す。
ばあちゃんと言っても、もちろん実の祖母ではない。マルタット__神代の言葉で「人のためにある者」と呼ばれる種族の彼女は、先祖代々イェガの家にいるお手伝いだ。自分の祖父の代からこの家にいて、父も自分も生まれる前から世話になっている。両親を早くに亡くしたイェガにとっては実の家族そのものだった。
「まあ、とくもかくにもしっかりと臭いを洗い流すんだね。飯がまずくなる」
一度川で体と装備を洗い、湯屋にも寄ったのだが、鼻が利くばあちゃんにはまだきついらしい。消臭の薬草と手拭いと水桶をセットで押し付けられ、しぶしぶ表へ出る。
「少しはマシになった」
体を洗い終えて家の中に戻ると、ばあちゃんは炊事場に立っていた。塩龜の中に埋めてあるヤマンの肉を取り出し、お釜から発酵させたパンを取り出す。塩を落としながら、肉を焼くと蒸気と共に旨そうな匂いが立ち上った。それを素焼きの大皿に移し、囲炉裏の反対側に座り、飯を頬張る。他に家族はいないから、二人きりの食卓だ。
「誰かあんたみたいな男に嫁いでくれる奇特な娘はいないもんかね」
「……仮にいたとしても、俺のところに嫁いでくれるような人を見る目のない娘さんだと不安にならない?」
「あんたなぁ……そんなことばかり言ってるからだめなんやろ」
寂しい食卓にばあちゃんの呆れた声が響き、イェガはぐうの音も出ない。
「ええか? 嫁さんもらって子どもを育てる。昔からこれが何より幸せって決まっとんのや。神代の頃のおとぎ話にもな、命の源を操る術があったおかけで子どもを作らんようになって、そのせいで全てを失ってしまった神様たちの__」
「またおとぎ話?」
ばあちゃんが口酸っぱく話すのは、教訓を含んだ説話に近い神話の数々だ。それこそ幼い頃から耳にタコができるくらいに聞かされてきたので、イェガはうんざりしていた。
別に珍しい話でもない。子どもの頃、どんな家でも眠りにつく前に子守唄代わりに聞かされる古い言葉混じりの寝物語だ。
大昔__想像もつかないような遥かな昔、人によく似た神様たちは地を一瞬で駆け、世界にある全ての海を渡り、空を飛び越えて遥か星の世界にだって行けたという。
でも、全てを支配し、何不自由なく満ち足りた神様たちは、やがてこの世界ですべきことをなくしてしまい、途方に暮れた。子どもを作ることさえしなくなってしまった神様たちはどんどん数が減ってしまい、やがて彼らが築き上げた素晴らしい世界の断片だけをこの世に残し、皆、どこかへ消えていった……というところでだいたい話は終わる。語り手によって違いはあるが、いずれにしても、そんな荒唐無稽で救いのない空想物語郡だ。
「ちゃんと聞いとき。昔から伝えられとるもんはな、ひょんな時に役立つかもしれんし、使うかもしれん……そういうことがあるから、先人たちから受け継がれとるんや。意味がないものなんて一つもあらんよ」
そこまで言って、ばあちゃんはふーとため息を漏らす。その視線の先は、部屋の隅。脱ぎ捨てられた古びた防具と武器に向けられている。
「あんたのお父ちゃんが残したスカシペスの討伐方法かてそうやろ? 少なくとも、今こうして飯の種になっとる」
「……まぁ、そうだけど」
イェガはそれを流し聞いて曖昧な返事をすると、食べ終わった皿を炊事場へ運んでいく。
父はお世辞にも腕が立つとは言えないスカシペスのような雑魚狩りで日銭を稼いでいた人だった。不謹慎な話だが、死因も警護の途中にドラゴンに襲われあえなく……といったようなハウンダーらしいものではなく、罠で使う痺れ薬の調合を誤り心臓が止まってしまうという、なんともハウンダーらしくないしがないものだ。
父の話題は苦手だった。まるで__自分の未来を見ているみたいだからかもしれない。
炊事場で皿を水に浸けた後、装備を担ぎ上げてそのまま逃げるように寝室へ向かう。今日も夜はスカシペス討伐のため、ここ数年は昼夜逆転の生活が続いていた。
寝具に座り一応武具の点検を行う。古くはあるが作りが単純で手入れを念入りにやっているため、持ちはいい。この装備一式も全て父の物をそのまま受け継いで使っている。
(俺は……)
ハウンダーをしている。でも、それはどうしてだろう。そんな考えがここ最近寝る前の頭にちらつく。
けれど、決まって結論は同じところ__たまたま父の生前の仕事を引き継いでなんとかやれたから。つまりは、事のなり行きだ。ただ流されて、自分の意思もなく決めただけ。別に本気でハウンダーになりたかった訳じゃない。きっとこの先も一生そんな感じだろう。
だけど。
この先、本当にハウンダーを続けていいのだろうか。
まだ時間と選択肢はある。そう自分に言い聞かせて日銭を稼ぎ、いつの間にか18になってしまった。普通の職人階級や商人なら仕事にも慣れ、後進たちの指導をする立場にいるぐらいの年齢だ。それを考えると、今からハウンダーとは全く別の職種に就くことはかなり難しい。どんなに本気で頑張っても、幼い頃からその仕事のために時間を費やしてきたやつとの差は埋まらないだろう。
では、ハウンダーの経験を活かした警護や私兵の仕事はどうかと思いもしたが、雑魚しか狩っていない経歴に価値を見出だす奇特な者などいないはず。
つまり、俺のやっていることは、完全にその日を生きるためだけの仕事。それも吹けば飛ぶような生業だ。
こうやって取り立てて楽しくもなく、不幸でもない日々が続いてく。これじゃあ、ただの生きる屍だった。
「はあ」
昨日と同じ今日。
今日と同じ明日。
明日と同じ昨日。
まるで繰り返し語り継がれる寝物語のように。自分にあるのは同じ毎日を繰り返す今日だけだ。
いくらスカシペスを狩っても、未来のためにやるべきことも、一人で生きていく方法も見つからない。
この空っぽの毎日が、自分の人生を凝縮した縮図のように思えた。
ふと先日ギルドで小耳にした話題が脳裏をよぎった。
都では、街を脅かしていた神代の頃から生きていると伝えられる……起源種と呼ばれる強大なドラゴンを倒したハウンダーの話題で持ちきりらしい。もしかしたら、世界はそんなやつらを中心にまわっているのかもしれない。ギルドの連中は皆「こんな辺境じゃなきゃ俺だって」と口を揃えて勇ましい台詞を口にしていた。
叶うことのない夢や悩みを持つことにどれだけの意味があるかなんて、夢を持たない自分にはわからない。だけど、そうやって口に出せる「何か」があるだけでも、そいつらは自分より満たされている気がして。
ただ生きるためだけに生きる自分が、急にちっぽけな存在に思えた。
きっと、ハウンダーを始めたのは__そこで難しいことを考えずに一掃できるスカシペスばかりを狩るのは、何かやるべきことを作るためだ。そうしている間は将来も、自分の現状も、考えずに済むから。
なぜか急にばあちゃんのおとぎ話が頭に浮かんだ。そして、時折感じる自分ではない誰かに支配されているような感覚も。
もし本当に俺たちを操っている神様みたいなもんがいるなら、彼らも自分と同じように自分の存在意義なんかに悩んだりするのだろうか。
(馬鹿か俺は)
疲れと眠気のせいか。そんな子供染みた想像なんてしてみたけど、18を過ぎて幼い夢物語のようなことを考えている自分に一人恥ずかしさが込み上げ、襲ってくる眠気と共に頭の隅へ捨て去った。