1話
路線バスに揺られて駅前から15分ほど。金曜日の夜11時。仕事が終わった後に私が来る場所は決まっている。
行きつけのバー?
そんなオシャレなものは千葉のなかでも絶妙な田舎具合のここらへんにはありやしない。酒の飲める店と言えば、駅前の24時間営業の居酒屋チェーン店かファミレスぐらいだ。
彼氏の家?
別れたっきり、そんなものは存在しない。いない歴でいえば、今年で3年目に突入。油も乗り切った黄金期。絶好調で記録更新中である。
趣味の集まり?
……半分、いや、3分の1は正解。なぜ3分の1なのか?
まず、これから向かう場所でやることが、30過ぎたいい大人が趣味ですと言っていいものかという点が1つ目。それに、2つ目。こちらは単純に集まりでもなんでない。自分一人でやっている習慣だと言うことだ。
『次はー、ファンスペースヤワタダイ前。お降りの方は、座席横の降車ボタンを__』
誰に聞かせるでもない思考をぐるぐると回している最中、その車内アナウンスに気づいた。少し焦ってボタンを押そうとしたが、タッチの差で降車ボタンは光り、車内にピンポーンと音が鳴る。前の席に座っているジャージのおじさんが押したらしい。風貌から見るに駅名にもなっているファンスペースヤワタダイに行くつもりなのだろう。
ちなみにファンスペースヤワタダイという楽しげな名前の店はパチンコ屋だ。悲しいかな。ここと近くの労災病院前が一番乗降客が多いという日本の地方の現実がここにある。というか、確かあと2時間ぐらいで閉店なのにどれだけ好きなんだ。
(いや)
物好きなのは自分も一緒だろう。周りを見れば深夜帯のバスに乗っているのは、残業帰りでどこか生気を失ったような顔で家路につく人ばかり。こんな時間から寄り道などする人はほとんどいない。
やがて、バスはゆっくりと速度を落とし、歩道脇の停留所に降り立つ。降りる自分とおじさんに対して乗り込むのは0人。迎えてくれるのは錆び付いたバス停看板だけだ。おじさんはすぐに田舎の夜の中、爛々と煌めくパチンコ屋の中へ消えていく。だけど、私が向かうのはそちらではない。
パチンコ屋から道路を挟んで真正面。そこにあるのは24時間営業のネットカフェ。『自由クラブ』とパチンコ屋と比べると少し物足りない明るさを放つ看板に引き寄せられるように向かう。
そこが私の目的地だった。
「よし……やりますか」
受付でパックコースを選択し、個室ブースのリクライニングチェアに座り思わず一人呟く。手に取ったのはVRゲームデバイスとヘッドマウントディスプレイ。『自由クラブ』は全国津々浦々にチェーン展開されている大手ネットカフェで、とりわけ2010年代の黎明期からVRゲーム設備に力を入れているグループだ。
ヘッドマウントディスプレイを被り、デバイスのコントローラーをon。ログイン画面で自分のアカウントに入ると、顔に装着したディスプレイ、手に持つデバイス、体を預けていたリクライニングチェア。触れていた物体の感覚が全て消え、目の前は音も光もない暗闇に覆われる。
『ログインしました。
ようこそドラゴンハウンダーへ』
けれど、一瞬の表示の後に瞼を開けると、そこにはもう数秒前までいたネットカフェの個人ブースは存在しない。
目の前に広がるのは大きな石造りの衛門、重厚な木の柱を中心とした大広間はこんな時間帯だというのに大勢の人で賑わっている。
細やかな装飾が施された大太刀を携えた人類。剛弓を背にするエルフや自分の背丈ほどある斧を担ぐ獅子型の獣人。その容姿は様々だが、共通しているのは何かと戦うための装具を身に付け、鐘がなる度に我先にと依頼ファイルが張り付けてある斡旋板に群がっている。そこにあるのは人や家畜に害をなす害ドラゴンの駆除といった小さなものから一つの街を滅ぼしかねない災害級の大型ドラゴンの討伐まで。依頼の内容や報償金、様々な情報が記されている。
『ドラゴンハウンダー』__様々な人々が暮らす自然豊かな星でプレイヤーは『ハウンダー』と呼ばれる狩人になり、より強い獲物、より高いランクを目指していくハンティングアクションゲームだ。黎明期とは異なる技術系統で開発された完全没入型VRゲームの先駆け的存在であり、現実と錯覚しかねない操作感覚や作り込まれた世界観が受け、世界的な大ヒットを記録した。昔からあまりゲームをする方ではなかった私でも知っているくらいには社会現象となり、入れ込みすぎた一部のプレイヤーが寝食を忘れ、全国の病院で緊急搬送される事態が相次いだほどだ。
一時期の熱狂ぶりは冷めているものの、10年たった今もアップデートや拡張を繰り返し、根強いファンと新規プレイヤーに支えられている。装備を見れば一目瞭然だが、週末とはいえこの時間帯までいるのはかなり入れ込んでいるプレイヤーばかりだ。
だからこそ、私の格好は目立つ。広間を歩く度にNPC以外の人たちの視線がこちらに向くのがわかる。
「なんだ? あれ?」
「お前知らねえの?屁こき竜専門の"駆除業者"野郎」
「ああ、例の」
時折聞こえてくるチャットの話し声。その多くはどこか嘲笑や呆れの響きを含んでいる。
ちなみに野郎と言われているのは、私のアバター容姿設定が18ぐらいの無骨な男の子だからだ。没入型VRでは体の感覚を合わせるため性別や体型を現実と一緒にする人もいるが、ゲーム中は全く違う容姿を楽しむという人もいる。
私は後者だ……といいたいところだが、本当のところはゲーム経験が乏しいせいかアカウント設定時に性別選択を誤り、当時はキャンセルの方法もよくわからずにずるずると現在に至るといった感じである。逆にVRゲーム内のアバター設定が現実世界に影響し女装趣味などに目覚める人たちも少なくないらしいが、今のところ私はそうなっていないので、まあ今更変える気もなかった。
ステータス
名前:イェガ
プレイ時間:319時間
討伐数:832体
ハウンドランク:25
装備(武器):ハウンドナイフ&シルド・レア度1
装備(防具):ハウンドアーム・レア度1
攻撃力:5
防御力:10
スキル:剣技52、体術48、隠密70、罠技81、腐臭耐性100
この少年イェガがこの世界での私だった。
「あれ、初期装備だろ? 10時間もプレイしたら、もっとマシな装備作れるだろ」
「毎週末になるとけっこう入り浸ってるんだけど、全然変わんねよな」
「その割にはハウンドランクと討伐数はそこそこあるよな。スキルレベルも偏りはあるけど……」
「そりゃあ、いくら雑魚専の"駆除業者"でも、狩り続けてれば経験値貯まって高くなるさ」
最近知ったことだけど、駆除業者とは難しい依頼を受注せず、弱いドラゴンの相手ばかりをして経験値を稼ぐハウンダーに対する蔑称らしい。自分の場合はそれに加えこの装備だ。薄汚れた初期装備の革鎧とこれまた初心者に多く見られる片手持ちの短い刀剣、対になる左手に括られているのはアバターの顔程度の大きさしかない鉄製の丸盾。同じ空間にいる古参ハウンダーの装備に見劣り……というより、ともふれば比較対照にすらならないみすぼらしいものだろう。
「……」
好奇と侮蔑を含む視線の海を無言のままかき分け、依頼の斡旋板の前に進む。
そして、その中の一枚。ひしめく依頼書の体をなしたデータファイルの奥底に隠れた一つを手に取り、クエストカウンターに持っていく。
『こんにちは』
「クエストの受注を」
『かしこまりました』
嫌な視線を受けていたから尚更か。NPCの受付嬢は同性の自分でもうっかり惚れてしまいそうな清楚100%の笑顔で依頼書を受け取り、手続きを始める。
『こちらはハウンドランク1~2の方に最適なクエストになっておりますが、よろしいですか?』
「ええ」
『かしこまりました』
それから1分もたたない内にデータのロードが完了し、手続きは終了。受付嬢は受注印が押されたテキストデータをにっこりと手渡しする。
『クエスト"腐屁竜の討伐と家畜警護"の受注が完了しました。場所はフェン村の家畜場。それでは、今日も元気にドラゴン退治いってらっしゃい!』