国王と王妃
「誰に口答えしている! 貴様!」
激昂したフィレンツィオが拳で思い切りアムネジアの頬を殴りつける。
鈍い音が響き、殴られたアムネジアの顔がぐるんと横を向いた。
それと同時に口から白い何かが血反吐と共に床に吐き出される。
「きゃあ!?」
その光景を側で見ていた令嬢の一人が、思わず悲鳴をあげた。
アムネジアの口から血と共に吐き出されたのは一本の白い歯である。
成人を控えた16歳の男が、女を拳で殴ればそうなるのは当たり前だ。
ましてやフィレンツィオは、敵対する相手に対しては一切の容赦はしない。
たとえそれが女子供であってもだ。
「こっちを向け! 誰が俺から顔をそむけていいと許可した!」
怒りでこめかみに血管を浮き上がらせたフィレンツィオが叫ぶ。
アムネジアは言われるがままに、フィレンツィオの方に顔を向けた。
乱れた前髪で垂れ下がり目元が隠れているため、その表情こそ分からかなったものの、彼女の白い頬は赤く腫れ上がり、唇は切れて血が滲んでいる。
あまりに痛々しいその有様に、つい先刻までアムネジアがいじめられる姿を楽しんでいた周囲の者達もさすがに目をそむけた。
「こちらが優しくしていればつけあがりおって! 俺の死に顔を看取るだと? ふざけるな! その前に貴様を死ぬほど痛めつけて、二度とその小賢しい目と口を開けぬようにしてくれる!」
下僕扱いしストレスのはけ口にしていたアムネジアに反抗されたことが、よほど気に食わなかったのだろう。
怒りが収まらないフィレンツィオは、再び彼女に向けて拳を振り上げた。
それを見て顔を青ざめさせたのはプリシラである。
多少頭をはたく程度ならプリシラもいい気味だ、もっとやれとすら思う。
だが顔面を思い切り殴って歯を叩き折るなんて、いくらなんでもやりすぎだ。
こんな場面をもし、これからここにやってくる国王や王妃に見られでもしたら、とても婚約破棄の話を切り出すどころではない。
「あの、フィレンツィオ様。その辺で許してあげては――」
「うるさい! 黙れ! 女が俺のやることに口出しするな!」
プリシラは内心でチッと舌打ちをした。
普段はチョロいが、一旦怒り狂うとフィレンツィオの手綱を握るのは暴れ馬をいなすように面倒くさい。
さてどうやってこの暴君をなだめようか。
そんな風にプリシラが頭を悩ませていると――
「国王陛下、王妃様ご入来!」
突然、会場の入口から衛兵の声が響いてきた。
扉が開くと、護衛に囲まれた国王ベルスカード三世と王妃ラドネイアが現れる。
その威風堂々たる姿を目にした会場の者達は、慌ててその場にひざまづいた。
「よい。今日は若者達が主役である無礼講の場だ。余には構わず、楽にしてくれ」
国王が穏やかな顔でそう言うと、周囲の者達は皆安堵の表情を浮かべる。
しかし恐れていた事態が現実のものとなってしまったプリシラは、顔から血の気が引いた。
彼女は考える。どうにかして顔面が腫れ上がったアムネジアを隠さなければと。
プリシラ本来の計画では、アムネジアには国王夫妻の前で婚約破棄に同意させ、さらに自分とフィレンツィオの婚約の口添えもさせる予定だった。
その話は当然、あらかじめフィレンツィオにも通してあり、当日はアムネジアにあまりきつい当たり方をしないようにとの念押しもしておいた。
それが蓋を開けてみればこの有様である。
そしてさらにこの直後、プリシラを驚愕させる事態が起こった。
「父上! 母上! 俺はここです!」
「!?」
フィレンツィオが大声で国王夫妻をこちら側に呼び寄せたのである。
これには今までフィレンツィオの暴挙を、なんとか我慢してきたプリシラもさすがに殺意がわいた。
この馬鹿は一体なにを考えているんだと。
こんな状態になっているアムネジアを前にして、もし原因を追求されたら国王夫妻の前でどう弁解するつもりなのか。
そんなプリシラの思惑をよそに、フィレンツィオは自分達の元に歩いてくる国王夫妻を満面の笑顔で出迎えた。
「父上、母上。本日は俺の招待を受けてくれてありがとうございます! 紹介します、ここにいる女性はプリシラ・エド・マイン。俺の新しい婚約者です!」
フィレンツィオに背中を押されたプリシラが国王夫妻の前に歩み出る。
段取りも前置きもなしに突然、国を治める王と妃の眼前に突き出されたプリシラは、頬を引きつらせながらもスカートの裾をつまんで会釈した。
「ご、ご機嫌麗しゅう、国王陛下、王妃様。プリシラ・エド・マインと申します」
そんなプリシラの姿を見た王妃は、首を傾げながら怪訝な表情でつぶやいた。
「新しい婚約者……?」
「いや、そんなことよりも――」
国王が後ろでうつむきながら立っているアムネジアを目にして目を見開く。
ワインで汚されたドレス。乱れた髪。
どう見ても尋常な様子ではないのは明らかだった。
「フィレンツィオ。一体これはどういうことだ……?」
国王がプルプルと肩を震わせながら、フィレンツィオを睨みつけた。
その顔には抑えきれない戸惑いと怒りが浮かんでいる。
フィレンツィオはそんな国王の表情に気づかずに、自慢気な顔で言った。
「プリシラをお認めになりたくない気持ちは分かります。確かに彼女の家は男爵家だ。王家とは到底釣り合いが取れる家柄ではない。ですが俺は気づいたのです。家柄や金なんてくだらない。一番大切なのはそう――愛なのだと!」
空気の読めぬバカ王子とプリシラの運命やいかに。
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