女神の顔も三度まで
その声に、会場中が静まり返った。
誰もが顔を見合わせて、また始まったぞという顔をする。
実はフィレンツィオが婚約破棄を宣言するのはこれがはじめてではない。
彼がこういった公衆の面前で婚約破棄を宣言するのは今回でもう三回目だった。
そしてそのすべてが国王に却下されている。
当然だ。いくらフィレンツィオが第二王子とはいえ、国王が国のためを思って決めた政略結婚を彼の一存で破棄できるわけがない。
だから最早毎回恒例となった、次に彼が言おうとしていることに関しても、周囲の人間は皆、そんなことができるわけがないのにと、最初から白けた気持ちで聞いていた。
「そしてこの場にいる貴族の子息や令嬢達の前で宣言しよう! 俺、フィレンツィオ・フォン・ベルスカードはここにいる男爵令嬢、プリシラ・エド・マインと婚約する!」
それを聞いた誰もがこう思った。
いくらなんでも、今回は無茶が過ぎると。
今までは最低限でも伯爵位以上の家柄の令嬢が新たな婚約相手だったが、今回は貴族の中でもほとんど最下層の地位である男爵家の令嬢だ。
たとえアムネジアとの婚約が破談になったとしても、そのような身分違いの婚約を国王が認めるわけがない。
そんなことは酒による酔いで、頭の中がお花畑になっているこの場にいる者達ですら、即座に無理だと断言できるものであった。
「どうした? 俺を祝う声が聞こえないぞ。喝采せよ!」
パチパチと、会場のあちこちから控えめな拍手があがる。
続いて「おめでとうございます」と、祝う言葉もポツポツとあがってきた。
そんな周囲の反応に納得がいかなかったのだろう。
フィレンツィオはわなわなと拳を震わせると、怒りを押し殺した声でつぶやいた。
「――処刑されたいか、貴様ら」
すると、会場中からは耳が割れんばかりの拍手と「おめでとうございます!」の大喝采があがる。
その反応にようやく満足したフィレンツィオは、得意気な笑みを浮かべるとふんぞり返りながらアムネジアを見下した。
「というわけだ。これで俺にとって貴様は何の縁もないただの他人……いや、今まで俺が受けてきた屈辱を思えば、視界に入るのすら許し難い害虫になりさがった。よって今後は一切俺の視界に入ることは許さん。分かったな」
フィレンツィオの隣では、彼に見えない角度でプリシラが勝ち誇った笑みを浮かべている。
めずらしく真顔でフィレンツィオの話を聞いていたアムネジアは、静かに目を閉じてうつむいた。
そんなアムネジアの様子を見て、観念したと思ったのか、フィレンツィオはキザったらしく髪をかきあげながら、高慢な声音で言った。
「今日は父上と母上をこの夜会に招待してある。貴様は俺が正式に婚約破棄を宣言する際に口添えをせよ。それが今までずっと俺に迷惑をかけてきた貴様ができる最後の償いだ。良いな?」
黙って話を聞いていたアムネジアは、うつむいていた顔をおもむろにあげた。
そしていつもどおりの微笑を浮かべると、迷いなくこう答える。
「――嫌でございます」
「…………は?」
一瞬何を言われたか分からずに、フィレンツィオが呆然とした表情になった。
今まで何をされても何を言われても従順に従っていたアムネジアが。
まさか自分の言葉を拒否するなんて思ってもいなかったからだ。
「今のは俺の聞き間違いか? もう一度言うぞ。婚約破棄を認めて、俺がプリシラと婚約できるように口添えを――」
「フィレンツィオ様」
フィレンツィオの言葉をさえぎったアムネジアは、口端を吊り上げて言った。
「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」
その顔は今まで彼女が浮かべていた穏やかな微笑ではなく。
まるで愚か者をあざ笑うかのような嘲笑だった。
「どのような手段を用いようとも、私は貴方との婚約を絶対に破棄いたしません。残念でしたわね。思い通りに行かなくて。ですがお諦めください。貴方が真に愛する方と結ばれることは一生ありませんわ」
傍に立っていたプリシラが、アムネジアの変貌ぶりに思わず言葉を失う。
周囲で聞いていた者達も、予想だにしていなかったアムネジアの反抗に驚愕の表情を浮かべた。
そんな彼らの反応をよそに、アムネジアは歌うように楽しげな口調で告げる。
「貴方はこれからその身が朽ちて地に還るその時まで、一生涯私と共にその人生を歩むのです。ああ、なんて不幸な方なのでしょう。可哀想なフィレンツィオ様。だってそうでしょう? 貴方の今際にベッドの側で死に顔を看取るのは、愛する方でも、家族でもなく――貴方がこの世で最も見下し蔑むこの私なのですから」
当然ただ婚約破棄をさせないだけでは終わりません。
ここからじわじわと嬲るように逆襲していきます。
続きはまた夕方に。