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衝動

 エルメスの腹部から血が漏れ出て床に血溜まりを作っていく。

 刺さったナイフは内臓を傷つけており、すでに致命傷だった。

 そんな中、エルメスは這いずりながら床に転がっていたナイフに手を伸ばす。

 アムネジアにせめて一矢報いるために。



「ふーっ、ふーっ! こ、殺す……殺してやるぅ……!」



 エルメスの指先がナイフの持ち手に触れた。

 しかし、エルメスがナイフを握る前に。

 その手の甲をアムネジアが無慈悲に靴の裏で踏み潰した。



「ぐぅっ!? お、お前ぇ……!」


「お離しになった方が良いですわよ。手の骨を砕かれたくなければ」



 アムネジアが笑顔でグリグリと。

 靴の踵でエルメスの手の甲を踏みつける。

 痛みに耐えかねてエルメスがナイフから手を離した。

 するとアムネジアはおもむろにしゃがみ込んでナイフを拾い上げる。



「危ない危ない。こんな物でも、今の貴女のように深く刺されば致命傷になり得ますからね。もっとも――」



 手に握ったナイフを、アムネジアは躊躇なく自分の首筋に突き立てた。

 ずぶり、と。刃の三分の一程がアムネジアの白い首に埋まる。

 その様を見上げて、エルメスは驚愕に目を見開いた。

 勢いよく傷口から血が溢れる中、アムネジアは笑顔のまま口を開く。



「吸血鬼であるこの私には、なんの意味もありませんが」



 そう言って、アムネジアは首からナイフを引き抜いた。

 直後、傷口で赤黒い肉がうごめき、ナイフによってできた穴が即座に塞がる。

 その後には、血でべっとりと塗りたくられた傷一つない首筋があった。



「銀で傷つけたのに、なぜこうも容易く再生できるのか不思議ですか?」



 困惑するエルメスを見透かしたかのようにアムネジアが告げる。

 アムネジアは手の内でナイフをもてあそびながら、答えられないエルメスに悪戯を成功させた子供のように無邪気に笑った。



「それはこの銀が本物ではなく――まがい物の銀だからですよ」



 アムネジアがポケットから赤い染みのあるハンカチを取り出した。

 そして染みの部分に自分を刺したナイフの先端を近づける。

 直後、染みは赤い蒸気となって消えた。

 プリシラがエルメスに見せた血の証拠の再現である。



「今蒸発した血は先程ここにいたスターク……人狼の物です。人狼には本物の銀は効きません。ですが逆に、この紛い物に多く含まれる白金が弱点なので、このような結果となります」


「……え?」



 その言葉に、エルメスはポカンと口を開けて固まった。

 アムネジアはそんなエルメスの様子を見て、楽しそうにクスクスと微笑みながら口を開く。



「吸血鬼が苦手とする銀は、まだ私達が隆盛を極めていた時代に作られていた、特殊な製法で精錬され、不純物をすべて取り除いた純正の銀です。その技術ははるか昔に失われ、今銀と呼ばれているものはかつての銀を見た目だけ再現した白金と言われる鉱物によって作られた紛い物。そんな物をいくら刺そうが、私には何の意味もありません。残念でしたわね」



 不意にアムネジアが、手に持ったナイフを壁で震えているエルメスの取り巻きに投げつけた。

 ナイフは勢い良く飛んで行くと、取り巻きの女子生徒の頭の横の壁に突き刺さる。



「ひっ!?」



 悲鳴をあげて取り巻き達がへたりこんだ。

 再びエルメスに視線を戻したアムネジアは、目を細めて糸にして口を開く。



「そうそう、ちなみにプリシラ様が貴女に見せたハンカチや、貴女の扇に染み込ませていたのも人狼の血ですよ。貴女を乗せるために仕込んだ罠の一つだったのですが……先程の反応を見る限り、事の他上手く働いてくれたようですわね。プリシラ様には感謝しなくてはいけません。うふふ」


「はぁ、はぁ……うう……っ!」



 エルメスは冷たくなっていく身体と恐怖で震えが止まらなかった。

 もしアムネジアが言っていることがすべて事実ならば。

 自分が今までしてきたことはすべて――



「ようやく理解されたようですわね。貴女が私に対して抱いていた吸血鬼の疑惑も。今日という日に断罪をしようと整えた舞台も、すべて――この私によって誘導されたものだということが」


「どうして……はあ、はあ……どうしてわざわざ、そんなこと……っ!」



 エルメスが立ち上がろうとして、顔から自ら作った血溜まりに突っ込んだ。

 アムネジアは屈み込んで、血溜まりに突っ伏しながら震えるエルメスの髪を掴む。

 そして強引に顔をあげさせると、額同士を密着させて言った。



「貴女をここまで追い詰めるのには中々苦労しましたよ。なにしろ貴女はこの国で随一の権力を持つネェロ公爵家の一人娘。貴女を溺愛するネェロ公爵によって、その周囲では常に鳩が目を光らせていましたからね。怪しまれないように裏で動くのは中々骨が折れました」



 鳩とはネェロ公爵がこの国の至る場所に放っているスパイのことである。

 子供に衛兵、学生に教師。

 貴族に乞食と、あらゆる人間の中に鳩は混じっていた。


 鳩は情報収集はもちろん、ネェロ家が危険視する人物の監視や、ネェロ家の親族を保護する役目も担っている。

 アムネジアがエルメスに対して慎重になり、手を打つのが遅れた理由の一つとしては、この鳩達の目を逃れる必要があったからだ。



「貴女個人を殺すだけなら今回のように下僕を使えば簡単にできたでしょう。ですがそれでは悪女を一人この世から葬っただけであまりにも実りが少なく、また復讐劇を楽しみたいという私の渇きも満たされません」



 アムネジアがエルメスの血の気が引いた肌をなでる。

 上気し、悦楽を味わうその顔は、まるで血に酔っているかのようだった。



「そこで私は考えました。どうすれば自分が怪しまれずに最高の形で復讐を遂げて、その上で――将来吸血鬼の国を作るための最大の障害となり得る、目障りなネェロ公爵家を滅ぼすことができるのかを」


「……なん……ですって……?」



 エルメスが絶え絶えの息を吐きながら、掠れた声で答える。

 今にも光が消えそうな虚ろなエルメスの目を見て微笑んだアムネジアは、耳元に顔を寄せてささやいた。



「……貴女は本当に私の思い通りに動いてくれました。私という吸血鬼を晒し者にするために躍起になってあっさり私の息がかかった下僕を抱え込み。ネェロ家を陥れる足がかりも作ってくれた上に、こうして鳩も衛兵も介入できない場所までわざわざ案内してくれて。さらにこの後には私の復讐を盛り上げる舞台まで用意してくれているなんて……くふ、くふふふっ!」



 アムネジアが口端を釣り上げて笑う。

 エルメスは落ちていく瞼の向こうに、二つの瞳が輝いているのを垣間見た。

 それは暗い紫紺の揺らめきではなく。

 血のように鮮やかで深い、伝説に語られる吸血鬼の真紅の瞳だった。



「エルメス様。貴女はどんな下僕よりも忠実に己の役割を果たしてくれました。貴女の忠義に対して、私は礼をもって答えましょう」



 アムネジアが死にかけているエルメスの白い首筋に顔を寄せる。

 息を荒らげ、火照り発情したかのようなその顔には。

 抑えきれない欲望の発露がこびり付いていた。



「都合が良いことに今宵は満月。普段であれば出来損ないにしかなりませんが、今日ならばきっと眷属もどきくらいは作れるでしょう」



 それは彼女達、吸血鬼の一族が古より持っていた原始の欲望。

 その衝動の名を、人々はこう呼んだ。



「それでは…………いただきまぁす」



 ――吸血衝動と。

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