ツェペル家
夜会から三日後の朝。
アムネジアは王都内の高級街区にあるツェペル家の別邸にいた。
二階建てのその洋館は、数多くの貴族達が暮らしている別名“貴族街”とも呼ばれる、高級街区の一番隅にひっそりと立っている。
それは国内屈指の資産家と言われているダラキュール・バラド・ツェペル伯爵が所有する館にしては、ずいぶんと小さく質素なたたずまいだった。
それもそのはず、ここにはツェペル家の一族は誰も住んでいない。
貴族学校が短期の休みの時に、時折アムネジアが泊まることこそあるものの、普段は数人の使用人が管理しているだけで、ツェペル家の人間はほとんど使わない場所だった。
そんな薄暗い館の書斎で、臙脂色の制服に身を包んだアムネジアは一人、机の前に立ったまま手紙を読んでいる。
それは父であるダラキュール伯爵から先日届いたばかりのものだった。
「……はぁ」
手紙を机に置いたアムネジアは、深くため息をつく。
アムネジアは憂鬱だった。
今日からまた学校が始まるからではない。
原因は父から送られてきた手紙の内容にあった。
「……この期に及んで、まだそんな腑抜けたことを」
書斎から出たアムネジアは、人気のない廊下を見渡す。
そして手に持っていた呼び鈴を鳴らした。
するとどこからともなく、まるで影から湧き上がったように。
アムネジアの眼の前に、短い銀髪をした目つきの悪い執事姿の美青年が現れた。
執事は首の後ろを押さえながら気だるそうにあくびをすると、不機嫌な顔で口を開く。
「こんな朝っぱらから呼び出すんじゃねーよ。面倒くせえ」
およそ自分の雇い主に使うとは思えない乱暴な口調でしゃべる執事に、アムネジアは特に気にした風もなく、一枚の手紙を差し出して言った。
「今すぐ出立して、至急この手紙をお父様の元へ届けて下さい」
「は? おい、冗談だろ?」
ただでも不機嫌そうだった執事の顔がさらに強張った。
彼がそんな反応を示すのも無理はない。
なにしろこの執事は、ダラキュール伯爵から手紙を受け取ってアムネジアに届けるために、王都から馬車で片道2日近くかかるツェペル家までの道のりをわずか1日で踏破した挙げ句、不眠不休で走り続けて、先日ここに戻ってきたばかりである。
しかしそんなことは知ったことではないと言わんばかりに、アムネジアは無情にも命令を下した。
「火急の要件です。任せましたよ、スターク」
「嫌だね。俺は疲れてるんだ。今すぐ行けってんならウーかメアリに頼んでくれ」
執事姿の青年、スタークは虫でも追い払うかのようにシッシッと手を振る。
それを見たアムネジアは、真顔でボソリとつぶやいた。
「――お手」
スタークが条件反射のように、自分の手をアムネジアの手に乗せてしまう。
その隙にアムネジアは、スタークの手の中にすばやく手紙を握らせた
「あ! こら! お前っ!」
慌てて手紙を突き返そうとするスタークだったが、時すでに遅し。
アムネジアは悠々とスタークの横を通り過ぎて廊下の先を歩いていく。
「行かねえからな! 少なくともあと三日休むまではこの家を出ないぞ俺は!」
スタークがギャーギャー騒ぎ立てながらアムネジアの周りをぐるぐると回った。
アムネジアはそれを無視しながら、そのまま一階への階段を降りる。
そして居間に入り、不意に立ち止まると、ドアの傍に控えていた誰かに向かって言った。
「……ウー、このやかましい子をなんとかしなさい」
すると、庭師の服を着た巨漢の男が、ドアの影からのそりと顔を出す。
無表情で焦げ茶色の短髪をしたその男、ウーは、口をすぼめて唸り声をあげた。
「ウー」
ウーはアムネジアを追うように居間に入ってきたスタークの首根っこを大きな手で鷲掴みすると、軽々と持ち上げてみせる。
「うお!? おいこら、ウー! 離しやがれこの木偶の坊が! 離さねえと噛み殺すぞ!」
犬歯を剥き出しにして威嚇するスタークにもウーはまるで反応を見せなかった。
ただアムネジアの方をじっと見て、命令を待っている。
アムネジアはため息をつくと、暴れているスタークに向かって言った。
「……昨日、スタークが届けてくれたお父様からの手紙にはこう書かれていました。吸血鬼の国など我らの一族は望んでいない。二度と出過ぎた真似はするな、と」
次話でヒーロー登場です。




