爪痕
「~~~っ! ~~~っ!」
フィレンツィオの目が、見開かれた状態のまま、めりめりと押し出される。
身体の自由を奪われているフィレンツィオは一切の抵抗ができないまま、心の中で絶叫をあげた。
「分かりましたか?」
「っ! っ!」
フィレンツィオが充血した目で分かったと必死に訴えかける。
アムネジアは「よろしい」と言って微笑むと、フィレンツィオの目から指を離した。
「はーっ! はーっ! はーっ!」
拘束が解けたフィレンツィオが床に手をついて息を荒げる。
その顔にはびっしりと冷や汗がにじみ出ていた。
そんなフィレンツィオを見下ろしながら、アムネジアは手を差し出す。
「それではフィレンツィオ様。私を我がツェペル家の馬車までエスコートしてください。優雅に、王子様らしく……ね?」
「わ、分かった……」
フィレンツィオは立ち上がると、アムネジアの手を取った。
最早フィレンツィオに抵抗する気など微塵もない。
最初は隙をついて殴り殺してやろうとまで思っていたフィレンツィオだったが、先程の脅しによって彼の気持ちは完全に及び腰になってしまっていた。
そんなフィレンツィオの心を見透かしているのだろう。
アムネジアは一瞥すらせずに、優雅な足取りでフィレンツィオの隣を歩く。
夜会の会場を出た二人は、月明かりだけが足元を照らす闇夜の中、外に停車していたツェペル家の馬車に乗り込んだ。
座席に着いてドアが閉まると、フィレンツィオは全力でアムネジアから身を離して叫ぶ。
「こ、こんなところまで連れてきて、俺をどうする気だ……ま、まさか殺すつもりか!? や、やめろ! 俺はこの国の第二王子だぞ!」
馬車のドアに張り付きながら怯えた視線を向けるフィレンツィオの姿に、アムネジアはくすくすと微笑んで言った。
「先程も言いましたが、この場で殺すつもりはありませんよ。だって――」
ランタンで照らされた薄暗い車内で、アムネジアの紫紺の瞳が妖しく輝く。
「……あれだけのことをしてくれたんですもの。すぐに殺したら、もったいないじゃないですか」
「ひっ!?」
馬車から逃げ出そうとフィレンツィオがドアに手をかける。
だがその手はガタガタと震えたまま動かなかった。
アムネジアと視線が合っていないのにも関わらずである。
「うう……ううう~~~っ!」
半泣きになりながらもフィレンツィオがドアから手を離す。
フィレンツィオが逃げるのをやめた理由は簡単だった。
目をえぐり出されそうになった時の恐怖が甦ったからである。
「よしよし。聞き分けの良い子は、嫌いじゃありませんよ」
震えるフィレンツィオの頬を、アムネジアの指が優しく撫でる。
その指をおぞましく思いながらも、フィレンツィオには跳ね除けることすらできなかった。
「私、好物のいちごケーキは端からゆっくり。味わって食べるタイプなんです」
アムネジアが人差し指をフィレンツィオの頬から首筋に向かってゆっくり這わせていく。
意図が分からないアムネジアの行動に、フィレンツィオはただひたすらに恐怖を煽られた。
アムネジアはその様を見て嬉しそうに微笑むと、フィレンツィオの胸元に顔を寄せてささやく。
「生かさず、殺さず。末端から、ナイフで少しずつ削り取って。小さくなっていくその姿を、舌で転がすように丹念に味わい。やがて最後に残ったいちごを、フォークでザクン! と」
アムネジアの爪が、フィレンツィオの首筋に突き立った。
フィレンツィオはビクンと身体を震わせて「ひぃっ!」と情けない声を漏らす。
「――なんて、冗談ですわ」
楽しげにそう言うと、アムネジアはフィレンツィオから身体を離した。
爪が突き立ったフィレンツィオの首筋は皮膚が抉れて、一筋の血が滴り落ちる。
しかしそんなことはフィレンツィオにとって問題ではなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
殺されずにすんだ安堵。
それだけが、今フィレンツィオの心を満たしているすべてだった。
「貴方には利用価値があります。だから殺しません。私が王家に取り入るためには貴方の婚約者という立場が一番都合が良いですからね」
次話でアムネジアの正体や力の秘密が発覚。
夜に更新しまーす。




