笑顔の裏側
「……分かった。あと一度だけお前を信じよう。我が息子よ」
「くれぐれも、約束を違えないようするのですよ。フィレンツィオ」
人が変わったかのように真摯に振る舞う我が子の姿に、国王夫妻は困惑を隠しきれないようだった。
だがそこまで当の本人達に言われては、引き下がるほかない。
国王はアムネジアを送らせようと控えていた衛兵達に手を振り、下がらせた。
アムネジアは意を汲んでくれた国王に感謝の意を表して深々と礼をする。
「それでは国王陛下、ラドネイア様。ごきげんよう」
ざわめく周囲の者達に見送られる中。
フィレンツィオはアムネジアの手を取りホールの出口へと向かっていった。
「フィレンツィオ様……本当にあのアムネジアのことを愛していらっしゃったの?」
「目の前で見せられたんだ、これ以上の証拠もないだろう。今更疑う余地もあるまい」
「ああ。陛下もラドネイア様も認めていらっしゃるのだ。にわかには信じがたいが……真実の瞳は実在するのだろうよ」
戦々恐々としている子息と令嬢達のささやく声を聴きながら、フィレンツィオは心の中で絶叫する。
(違う! これは真実の瞳などでは断じてない!)
実際にその力を味わったフィレンツィオだからこそ分かった。
その瞳は罪を暴くなどといった、正しいことに使われるようなものではなく。
もっと悪辣で、邪悪な目的のために使われるものだということが。
(これは……アムネジアのこの眼は――!)
視線が合った者の自由を奪い、意のままに支配する魔性の瞳。
それが、フィレンツィオがその身に受けた真実の瞳の正体であった。
(誰でもいい! こっちを見ろ! 俺を助けてくれ! 頼む!)
フィレンツィオは自分が置かれている状況を、どうにかして周囲に伝えようと必死に視線をさまよわせる。
言動と明らかに一致しないおびえたその目は、誰が見ても不自然なものだった。
だがフィレンツィオのサインに気づくものは誰一人としていない。
当然だ。以前、視線が合ったというだけで、貴族の子息を土下座させたこともあるフィレンツィオと、誰が好き好んで目を合わせるというのか。
(なぜだ!? なぜ俺から目を反らす! このままこいつと、アムネジアと二人になったら俺は――)
会場の入口にたどり着いたその時。
フィレンツィオの焦燥を見透かすように、アムネジアは顔を寄せて笑った。
「――さあ、お楽しみの時間ですわ。フィレンツィオ様」
細められたアムネジアの目は孤を描き、口元はこれ以上ないほどに楽しそうに歪んでいる。
それを見たフィレンツィオは生まれて初めて、今まで見下してきた女という生き物に対して、身も凍るような恐怖を覚えた。
そんなフィレンツィオの様子を満足そうに見やったアムネジアは、視線を切ってホールの入口の扉を開く。
その瞬間、身体の自由が戻ったフィレンツィオは、喉が張り裂けんばかりの大声でさけんだ。
「だ、誰か! 誰か助け――!」
しかし、その声は会場内に届くことはなく。
バタン、と勢いよく木の扉は閉められる。
扉が閉まった後、会場の出口に続く廊下には二人だけが残された。
「……ようやく二人きりになれましたね」
扉の中から漏れる喧噪を背景に、アムネジアの声が無人の廊下に小さく響く。
頬を両手でつかまれて、無理矢理視線を合わせられたフィレンツィオは、再び身体の支配権を奪われていた。
ぶるぶると身体を震わせて今にも泣きそうな顔になっているフィレンツィオに、アムネジアは目を細めて嗜虐的な笑みを浮かべる。
「そんなに怯えないでくださいな。なにも今すぐに貴方の人生を終わらせようだなんて思っていませんわ。そうするつもりなら先程、陛下とラドネイア様の眼の前でこの“真実の瞳”を使えばいかようにもできましたからね。それぐらいは貴方の足りない頭でも理解できるでしょう?」
アムネジアの言葉に嘘はない。
もしアムネジアがその気であったなら、国王や王妃を害する言葉――例えば自分の扱いに不満を持ち、殺害を企んでいたなどと言わされたら、それだけでフィレンツィオの人生は終わっていただろう。
それは実際に身体の自由を奪われて思ってもいないことをさせられたフィレンツィオが一番良く理解していた。
「これから貴方に身体の自由を戻します。ですがくれぐれも、助けを呼ぼうとしたり、逃げようだなんて思わないでくださいね。もし少しでもそんな振る舞いをすれば――」
アムネジアはフィレンツィオの両頬に当てていた親指を少しずつ上にずらしていく。
やがてそれは見開かれた彼の両眼のすぐ真下で止まった。
「私、ちょっとだけ怒ってしまうかもしれません」
そう言って、アムネジアはその細く長い指に力を込めた。
いわゆるヒーローの登場はもうちょっと後になります。
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