異世界ファンタジーばかり書いていると、ときどき現実世界の物語を描きたくなる~コメディーって難しいね~
プロローグ的なものですね。
「ゲホゲホッ……ふぅ、まぁこんなもんか?」
ジジジ……と点滅する古い蛍光灯が、六畳半の居間を妖しく照らす。
経年劣化のはげしい木製の床……歩調に合わせて軋んだ音を立てるそれは、完全に艶を失って色落ちしていた。
ホラー映画の舞台になりそうな木造校舎に、負けず劣らずのボロさ加減……ボロいとは聞いていたが想像以上だ。
―――だが、
つい1時間ほど前まで天井に張り巡らされていたクモの巣は、正宗の持つ長ほうきによって綺麗にからめとられている。
降りつもっていた埃はすでに掃除機の中へ、掃除機でも吸引できない凶悪な汚れは正宗のもつ雑巾の餌食に。
正宗の掃除スキルは専業主婦と同等、いや、それ以上だ。
「掃除も済んだしアニメでも……まだタンスの中を拭いていなかったな」
ここは、人里から離れた山の中腹。
深い竹藪の中にひっそりと建てられた幽霊やし……木造のアパートである。
初めてこのアパートを見たとき(数時間前)、俺は驚きのあまり持っていたカバンを落としてしまった。 漫画とかアニメでよく見るアレだ。
ほとんどの人が「こんなワザとらしく驚く奴なんて現実世界にいねーよw」とか思っているのだろうが……というか俺も思っていたが、そんな奴らに見せつけてやりたい。
長いこと放置されていたせいで、アパート周りはすでに雑草の占領下に……もっと言えば、瓦屋根の上も支配されていた。
朽ちかけた壁……ところどころトタンで補修してあるようだが、どう見ても素人がやったとしか思えない出来だ。
ちなみに、『川崎荘』と書かれた看板も補修に使われている……なんで看板を補修に使ってんねん。
たしかに俺は一人暮らしをしたい……平穏な高校生活を送りたいと、実家から遠く離れた高校に入学した。
家賃5000円のアパートだって!?
これなら休日にアルバイトをすればどうにかなる!
よし! これで煩わしい日常ともおさらばだ!
「はぁ……殴りたい、浮かれていた自分を殴りたい」
埃のせいで真っ黒になった哀れな雑巾を片手に、正宗は大きなため息を漏らした。
―――でも、
『おい、妖怪人間がいるぞ!』
『ハヤクニンゲンニナリターイ』
『バーカ、あいつに関わると妖怪に憑りつかれるぞ』
『はぁ~、俺も妖怪見てみてぇ~』
ふと思い出す、思い出したくなかった記憶。
==========
あれは……小学3年生の秋。
その日、図書委員に所属していた正宗は、図書室のカウンター業務の当番があったため、学校を出るのが5時くらいになってしまった。
長野県のとある田舎……学校は山の上にあるため、家に帰るには暗い林の中を通らなければならない。
誰もいなくなった図書室の明かりを消し、玄関へと向かう。
学校の玄関の外には、赤や黄色を基調としたどこか寂しい世界が広がっていた。
秋の冷たい木枯らしが、色付いた落ち葉を纏いながらサーッと駆け抜けるのが目に入る。 空に浮かぶ数匹の羊さん……うろこ雲は、沈みゆく夕日によって薄く茜色に染まっていた。
玄関を出て校門に向かうと、
「帰るのか、少年?」
校門の脇に置かれた『二宮金次郎』像。
学校が創立されてから今日までずっと学校を見守り続けてきた彼は、雨風に打たれ、不気味に黒ずんでいる。
動くはずのない、喋るはずのない彼は……平然と正宗に声を掛けた。
開いていた石の本を閉じて脇に挟み、『よっ』と手を上げる金次郎。
……その拍子に背負っていた薪が1つ、コロンと音を立てながら地面に落ちた。
「あまり話しかけないでよ……友達に見られたら困るんだ」
正宗は周りに誰もいないことを確認したあと、落ちた薪を拾って金次郎に渡した。
「おっと、すまない」
「金次郎さん、また歩き回って薪をどこかに落としたでしょ。 クラスで噂になってたよ。 『校門の二宮金次郎像の薪が12本から11本になってた』って」
「図書室へ行った時に落としてしまってな、でもちゃんと拾っておいたぞ。 ……それで『HUNTER〇HUNTER』の10巻をだな」
「……はぁ、分かりました。 また、いつもの所に隠しておきます」
「ありがとう! 図書室の本は『坊ちゃん』から『卒アル』まで全部読み終わってしまってな……『念』というものは、いや実に奥が深い」
金次郎はすっかり『HUNTER〇HUNTER』の世界に陶酔しきっている。
遠い目をしながら、手で顎を擦る銅像の少年。
この金次郎、もう手遅れだ……正宗はため息をつき、校門を後にした。
校庭では、家に帰らないでずっと遊んでいた生徒たちが、「はやく家に帰れぃ!」と体育教師の矢沢に叱られていて……その怒声を聞きながら、正宗は暗い林の中へと入っていく。
林に入ると、世界が一瞬にして変わる。
ザザザ……と気味の悪い音を立てる木々、どこからともなく聞こえてくる烏の鳴き声―――目の端に映る真っ黒な影。
振り向くと、影は途端に木の裏に姿を隠す。
僕、お家に帰ったら昨日のうちに録画しておいた深夜アニメを見るんだ。
親にばれないように録画した『To L〇VEる』を見るんだ。
自然と足早になる正宗だったが……ぴたりと歩みを止めた。
曲がりくねった道の向こう。
木々の間から見えたものは、吐き気がするほど真っ赤に染まった和服。
身の丈は2メートルほどあるだろう。
赤い着物に身を包み、結った髪の上から角隠しをかぶせた後ろ姿は、和式の婚礼の儀における花嫁のそれである。
すらりとした美しい後ろ姿……男なら誰でも、顔を一目拝みたいと思うだろう。
けれど……だからこそ、こんな夕暮れの山の中には不釣り合いで違和感を感じずにはいられなかった。
数秒の間、息をするのも忘れて異怪の者を見つめていた正宗だったが、ふと我に返り、決心をするように深呼吸をして、視線を地面に落とし、ゆっくりと歩き出した。
おばあちゃんが言ってたんだ。
見えないふりをすればどうにかなるって。
徐々に、けれど確実に、女との距離が狭まる。
視界に入るのは、落ち葉と小石の散らばる、ひび割れたアスファルトの小道。
そして……視界の隅に、真っ赤な裾が入り込む。
正宗は地面から視線を外すことなく、そのまま女の横を通り過ぎた。
ヨッシェイィッ! よくやった俺!
憑いてきている気配もないし、今回はセーフだ!
あれから100メートルは歩いた……もう充分離れたし振り向いても。
ちょうど山の林を抜けた正宗。
眼下に広がるのは、田んぼがところどころに点在する見慣れた住宅街。
太陽は遠くの山に隠れたばかりで、西の空は赤黒く、東の空はすっかり夜だ。
―――正宗は後ろを振り向いた。
真っ赤な着物……正宗は後悔した。
―――正宗は顔を上げた。
白粉を塗りたくった真っ白な顔。
目と鼻のないのっぺりした顔には、異様なほど大きな口がにぃっと開いていて、お歯黒を付けた黒い歯を覗かせていた。
「坊や、私の姿が見えているの―――」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
そこからの記憶は……あまり鮮明ではない。
気が付いたら自分の家の前にいて、急いで玄関の鍵を閉めた。
―――そして、
次の日、教室の扉を開けると
『悲報:妖怪人間氏、奇声をあげながら夕暮れの街を駆け抜ける』
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(=゜ω゜)ノ うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!
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黒板いっぱいに、正宗を馬鹿にした落書きが書いてあった……。
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妖怪を見てみたい……そんな馬鹿な願望を持っている奴等は全員、全財産の入った財布をボットン便所の糞貯めに落としてしまえばいい。
アイツらのせいで、俺がどれほど苦労させられたことか。
アイツらのせいで、俺がどれだけ笑い者にされたことか。
正宗は、地元の高校に入学したくなかった。
平穏な高校生活を送るためには、地元に残ってはいけない。
俺はただ……ただ静かに余生を過ごしたいだけなんだ。
だから正宗は、1人暮らしをしてでも他県の高校へ進学することに決めた。
もう絶対にバレない……俺は妖怪が見えることを隠し通して見せる!
「ここから始めよう! 1から……いいや、ゼロから!」
力強く雑巾を握りしめた正宗は、タンスの中の埃をふき取るために取っ手へと手を伸ばす。
扉の金具はすでに錆びきっていて、軋んだ音を立てながらゆっくりと開いた。
暗いタンスの中に差し込む蛍光灯の明かりが―――。
……ギィィィィィ。
「……」
「……」
……ギィィィィィ、パタン。
「……ふぅ」
正宗はタンスの扉を閉めて深呼吸をした。
落ち着くんだ俺、これは幻影、最近のVRはすごい。
VRゴーグルを付けなくても、3D映像を楽しめる技術だってある……はずだ。
だから2次元の女の子が3次元にエヴォリューションして、タンスの中で体育座りをしていてもおかしくない。
ただの映像……だから、俺の平穏な高校生活はまだ侵されてなどいない。
……ギィィィィィ。
「……」
「……ヌシ、もしやわっちの姿が見えているのかや?」
……ギィィィィィ、パタン。
まさか音声機能まであるとは……VRってすごい。
アルバイトでお金が貯まったら、VRゴーグル買ってなんかゲームでもしよう。
正宗はゆっくりと腰を上げて、ベッドへと向かった。
掛布団の中に体を埋め、静かに目を閉じる。
中古品店で買った安いベッドは価格の割に弾力があって、気持ちのいい微睡へと正宗を誘う。
……きっと疲れているんだ。
夕食の買い出しがまだ残っているけれど、それは起きてからでも十分間に合う。
ぼんやりと意識が薄れていき、1つ1つの呼吸が長くゆったりとしたものへ変わってゆく。 睡魔にやさしく手を引かれながら、正宗は遠くの方でギィィと扉の開く音がするのを耳にした。
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「……ここは? ……そうか、俺は布団に入って」
眠りから覚めた正宗は最初ここがどこだか分からなかったが、記憶をたどってここが寂びれたアパートの一室であることを思い出す。
かなり寝入ってしまったが、いまは何時だろうか?
買い出しに行かないと夕食を食べることが出来ないことも思いだしていたが、意識がまだちゃんと戻ってきてなくて、目を開けることが出来ない。
はやく買いに行かないと、暗い竹藪の中を1人で歩かなければならなくなる。
時計は……たしかベッドの横の壁に掛けておいたな。
耳を澄ますと、上の方からカチッカチッと時計の針が進む音が聞こえる。
規則正しい時計の秒針……1秒ごとに時を刻む音のほかに、すぐ隣、耳元で、規則正しく流れる吐息の音が聞こえた。
……なんか重い。
正宗は違和感を感じた。
綿の敷き詰められた掛布団の重さではない……人間の重さに似ている。
……なんか温かい。
正宗はぬくもりを感じた。
不思議な心地よさ……まるで焚き木のようなほんわりと伝わる優しい温かさ。
閉じた瞼をむりやりこじ開け、正宗はゆっくりと首を捻った。
目に入ったものは、艶やかな長い銀髪。
冬の結露した蜘蛛の糸のようにきらきらと輝くそれが、雪のように白い綺麗な娘の顔に甘美な様子でかかっていて、思わず息を呑んでしまう。
真っ白な娘の顔。
スヤスヤと気持ちよさそうに寝息をたてる彼女の頬は、ほんのりと赤く染まっていて……潤ったピンク色の唇と合わせて、情欲を駆り立てるほどの魅力を持っていた。
浮世離れした娘の美しさに、正宗の意識は無理やり覚醒させられる。
「……!」
驚きのあまり声を上げることが出来なかった正宗は、自分の体に巻き付いていた娘の腕と足を引きはがし、ベッドから転げ落ちた。
「ぅん……」
小さな呻き声をあげる娘。
そんな娘の頭には、しゅんと力なく垂れ下がるキツネの耳が付いていた。
「……タンスの妖怪」
「……ん?」
夙に、娘の耳がピンと伸びる。
正宗の声で目を覚ました娘は、群青色の瞳をゆっくりと開き、大きな欠伸をしながら体を起こした。
「ふぁ~……なんじゃおヌシ、ちゃんとわっちの姿が見えておるでないか」
驚いて腰を抜かしている正宗を見た娘は、なんとも妖艶な微笑みを浮かべた。
齢20かそこらの娘……今年から高校生活を送る15歳の正宗からすれば十分にお姉さんであるが、それでも娘の色気は不気味なほどに官能的で、目を離さずにはいられない。
「お前は……何者なんだ?」
「……わっちかや? わっちはミツネ、何千何万もの月日をこの地で過ごしてきた哀れで可憐な1匹の神様じゃよ」
自らを神と称したミツネは、化かさんとばかりの微笑みを浮かべながら……ゆらゆらと揺れる銀色の尻尾を抱きしめた。