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夏のホラー参加作品

裏野ハイツへようこそ

作者: 水泡歌

 もし、二度と取り戻せないものを取り戻せるとしたら、あなたならどうしますか?

 

 はじめまして、私、裏野ハイツの大家をしている裏野と申します。少しでも住みやすい場所である為、私は時々、それぞれのお部屋の様子を伺いに参ります。

 まずは101号室。インターフォンを押すと扉が開かれました。

「おや、大家さん、こんにちは」

 にこやかに挨拶される50代ほどの男性。交通事故で奥様を亡くされ、大層落ち込んだ様子でこのハイツに入居されました。しかし、今はとても満たされた表情をされています。

 他のお部屋の方々に聞いた話では毎朝毎朝、「行ってきます」と見ているこちらが微笑んでしまうほど、とても素敵な笑顔で部屋の中に挨拶をして会社に行かれるのだとか。でも、すぐに扉を閉めてしまうので、誰もその笑顔の先を見たことがないのだとか。

「いかがですか、ここでの暮らしは」

「幸せですよ。愛する妻とずっといっしょにいられるんですから」

 その後ろにはエプロンをして食卓を片付ける女性の姿がありました。その顔は赤黒くつぶれておりました。

 男性は奥様との暮らしを大変楽しんでいらっしゃるようです。

「それは良かった。では、どうぞ、引き続きここでの暮らしをお楽しみください」

 私は扉を閉めました。


 次は102号室。インターフォンを押すと扉が開かれました。

「……こんにちは」

 髭も髪も伸ばしっぱなしの状態で無表情で挨拶される40代ほどの男性。愛のあまりに恋人を殺害され、大層疲弊された様子でこのハイツに入居されました。しかし、今はとても満たされた表情をされています。

 他のお部屋の方々に聞いた話では男性はほとんど部屋から出ず、年末の2日間だけ家をあけられるそうです。その理由は誰もご存知ないのだとか。

「いかがですか、ここでの暮らしは」

「……幸せですよ。愛する恋人とずっと一緒にいられるんですから」

 その横には男性に強く手を握られた20代ほどの真っ赤なワンピースの女性が立っていました。繋がれた手は血に染まっています。2人はずっと手を繋いでいますが、年末の2日間だけ女性を自由にしてあげる為、部屋をあけられるのだとか。愛ですね。

 男性は恋人との暮らしを大変楽しんでいらっしゃるようです。

「それは良かった。では、どうぞ、引き続きここでの暮らしをお楽しみください」

 私は扉を閉めました。


 次は103号室。インターフォンを押すと扉が開かれました。

「あら、大家さん、こんにちは」

 明るい表情で出てくる30代ほどの奥様。川遊びの最中にお子様を亡くされ、大変憔悴された様子でこのハイツに入居されました。しかし、今はとても満たされた表情をされています。

 他の部屋の方々に聞いた話では3歳ほどの小さな男の子を時々見かけるものの、おとなしい子で騒いでいるところを見たことがないのだとか。

「いかがですか、ここでの暮らしは」

「幸せですよ。この子とまた一緒にいられるんですから」

 その後ろには穏やかに微笑む旦那さんが。その手には男の子が抱かれていました。その顔は無表情にこちらをじっと見つめておりました。

 ご夫婦は息子さんとの暮らしを大変楽しんでいらっしゃるようです。

「これからピクニックに行くんです」

 にこやかにそう言われ、バスケットを掲げる奥様に私は笑い返します。

「それは良かった。では、どうぞ、引き続きここでの暮らしをお楽しみください」

 私は扉を閉めました。


 次は201号室。インターフォンを押すと扉が開かれました。

「あらあら、大家さん」

 朗らかに出てくる70代ほどのお婆さま。お孫さんを自転車事故で亡くされ、大変悲しんだ様子でこのハイツに入居されました。しかし、今は目的に向かってしっかりと歩いていらっしゃいます。

 他の部屋の方々に聞いた話では毎日毎日、たくさん作り過ぎたからとタッパーにからあげを入れてお裾分けして下さるのだとか。「からあげ、お好きなんですか?」と聞くと「私じゃなくて孫が好きなのよ」と返されるそうです。

「いかがですか、ここでの暮らしは」

「幸せですよ。いつあの子をまた取り戻せるかと思うと年甲斐もなくドキドキしてしまって」

 胸ポケットから出される麦わら帽子を被ってピースをする6歳ほどのお孫さんの写真。お婆さまは大切に大切に慈しむようにその写真を撫でていました。

「それは良かった。では、どうぞ、引き続きここでの暮らしをお楽しみ下さい」

 そう言って扉を閉めようとして、

「あ、そうだ。今日、203号室に新しい方が入られたのですが、仲良くしてあげて下さいね」

 と言葉を付け足しました。

 お婆さまはひとつ瞬きをすると

「あらあら、当たり前じゃないですか。ここに20年住むベテランとしてちゃんと面倒を見てさしあげますよ」

 とても綺麗に笑われたので私は安心して「ありがとうございます」と今度はきちんと扉を閉めました。


 私は203号室を訪れました。インターフォンを押すと扉が開かれました。

「あ、大家さん」

 緊張した面持ちで出てくる20代ほどの若い男性。この春から新社会人になり、初めての一人暮らしをする場所を探しておられたのだとか。1LDKで家賃4.9万円。歩いて行ける範囲にはコンビニも郵便局もコインランドリーもある。そんな我がハイツがお気に召されたのだとか。

「いかがですか、この部屋は」

「とても気に入っています。他の部屋の方々も皆さん、良い人ばかりで」

 嬉しそうに笑われる様子に私も嬉しくなります。

「それは良かった。今日は鍵を渡しに来たのですよ」

「え? 鍵ならもう頂きましたが」

 不思議そうに首を傾げる青年に私は横に首を振ります。

「いいえ、この部屋ではなく202号室の鍵です」

 202と書かれた銀の鍵。それを渡すと青年は困惑した表情を見せました。

「何でお隣の部屋の鍵を……」

 このハイツについて全く知らずに入居された新しい方。私はにっこり笑います。

「取り戻したい人が出来た時、その鍵をお使い下さい。ただし、使えるのは一度だけ。鍵のお取り扱いには充分お気を付けを」

 青年はたくさんの疑問を持った目で私を見ていました。

「では、どうぞ、ここでの暮らしをお楽しみ下さい」

 私は扉を閉めました。



 このハイツにはひとつだけ特別なことがございます。

 人の命は有限である。分かってはいるものの、大切な人であればあるほど、そう簡単に諦めきれるものではありません。

 202号室は取り戻せる部屋です。完全に生き返る訳ではございません。負った傷はそのままですし、成長もしない、この世界でその人は亡くなった人のままです。でも、一緒に居られます。そこに存在します。どうしようもない喪失を味わった方にとってそれはどんなに幸せなことでしょうか。

 部屋を閉けられるのは入居された際にお渡しした鍵で一度だけ。一度だけ――のはずでした。

 少し前、事件が起きました。

 201号室のお孫さんが203号室の住人から鍵を奪い、扉を開けて帰ってしまったのです。

 2回目がある。

 もう一度取り戻したい方と帰りたい方々にそれが分かってしまいました。

 私は歩き始めます。

 201号室の部屋から漂うからあげの匂い。101号室の素敵な笑顔の「行ってきます」の向こうにある赤黒くつぶれた顔の「いってらっしゃい」。102号室の部屋があけられる2日間、何度拭っても202号室のドアノブにつく手の形の血の跡。103号室の穏やかに微笑む両親に両手をつながれながら欲する目でまっすぐに203号室を見つめる男の子。

 私は階段を下り、203号室を見上げます。

「ようこそ、裏野ハイツへ」

 皆さん、あなたを心待ちにしておりました。

 どうぞ、鍵の取り扱いには充分お気を付けを。


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― 新着の感想 ―
[一言]  葵枝燕と申します。  「裏野ハイツへようこそ」、読ませていただきました。  大切であればあるほど、その喪失を簡単には認めたくない――わかります、わかりますが、これは何か駄目な気がします。生…
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