第三章第二十二話 そ、その……一緒に入る?
第三章第二十二話
「ねぇ、盛隆! 汰空斗は他に何か言ってなかった!?」
彩葉は盛隆の肩を掴みグッと引き寄せる。
汰空斗が自分をこちらの世界に置き去りにしたからにはなにかしらの意図があるのだろう。しかし彩葉は何も聞かされてはいないのだ。
「べ、別に何も言ってなかったと思う。てか近い!」
彩葉の顔を押しのけるも両肩から強い執念を振りほどくことはできない。
「ほんとに!? 本当になにもなかった!?」
頬が引っ張られ顔が歪んだままの彩葉だが盛隆を激しく揺さぶりなおも問いただす。
ほぼ間違いなく汰空斗は彩葉に何かさせるつもりなのだ。そしてその何かをやり終えるまで向かいに来ないなんてことも十分にあり得る。
彩葉にそこまでの執着心を与える理由は主にそれだろう。
「ほ、ほんとになにも聞いてないって!」
「ゔぅー。じゃあどうしろっていうのさ」
彩葉はベットに倒れ込こんだ。
嘆いたところでなにもかわらないのはわかっているが、汰空斗と話した盛隆でさえなにも聞いていないとなると他に行動の起こしようがない。
「前から思ってたけどなんの説明もなしに行動することが多すぎるんだよ、汰空斗ってば」
文句を口ずさみながら無気力に手足をばたつかせる彩葉。布団から埃が舞い上がり窓から入る日差しに照らされる。
ふんわりと舞い上がった埃が宙を漂う。今より上がることもすぐさま落ちることもなくただゆらゆらと。
そこに鳴り響く携帯の着信音。
「姉ちゃん。携帯鳴ってるよ」
宙を舞う埃をぼーっと見つめる彩葉も携帯に着信が入ったことはわかっているだろう。それでも手が伸びないのはそんな気分ではなかったからだ。
「盛隆出てー」
「は? いいのかよ?」
「んー。任せるー」
携帯は彩葉の真横で鳴っている。学習机の椅子に座る盛隆が手を伸ばしても届かない位置だ。にもかかわらず盛隆に出ろというのだから無気力にもほどがあるだろう。
「はぁ……わかったよ」
盛隆は仕方なく立ち上がり彩葉の携帯を手に取った。画面を見ると相手の名前が一文字、『鬼』と表記されている。
「編集の橘さんからみたいなんだけど、本当に出ていいの?」
「うわっ……このタイミングで鬼だなんて…………」
「よくわからないけど、とりあえず出るよ?」
布団に顔をうずめる彩葉からの返事はない。
盛隆はそれを是と捉えると、スピーカーで着信を受け入れ彩葉の近くに置いた。
「もしもし。彩葉さん?」
電話の奥から聞こえる声は若い女性のようだ。それも『鬼』とは相反する優しそうな。
「……」
「鶫彩葉さん?」
「……」
「聞こえてますよね? 聞こえてると思うので言っておきますが、今から汰空斗さんの頼みでそちらに向かいます」
「え!?」
予想だにしない返しにベットから飛び上がった彩葉。汰空斗という言葉につい反応を示してしまった。
「やっぱり聞こえてるじゃないですか。返事くらいして下さいよ」
「あ、いや、これはそのー。なんと言いますか……」
言えない。無言を決め込むことでこの場を乗り切れると思っていたなんて。
締め切りの催促や説教を受けずに済むと思っていたなんて。
「まぁいいです。ですが着き次第すぐに出発しますので出かける用意はしておいてくださいね?」
しかし以外にも彩葉が想定した事態に陥ることはなく、さらにこの先においても無いようだ。
「ちょっと待って。出かけるってなに? そもそも誰が?」
「誰って彩葉さん以外いませんよ」
橘の声の後ろから車の扉がしっかりと閉まった音がする。エンジンをかけてシートベルトを着用し、まさに出発直前のようだ。
「え? えっと。じゃあ、ちなみにだけどどこに行くの?」
「あれ? 聞いてないんですか? 汰空斗さんの話では全部彩葉さんが知っていると言ってましたが?」
「あ? えー。わかりましたー。それじゃあまた後でー」
大根役者でももう少しまともな演技をするだろう。そう断言させるほどの棒読みで言葉を返した彩葉は携帯を拾い上げ通話終了を示す赤い電話のマークに指を乗せる。
「え? あの彩葉さん!? 本当にわかって──」
そして疑惑を抱いた橘に訂正の一つどころか、その言葉すらまともに聞かず通話を終了させてしまうではないか。
室内には橘が残した疑惑が行き場をなくし、静まり帰った空気の中に飲み込まれて消えてしまった。
「今のでいいのかよ……」
汰空斗がどんな手段を用いたのかはわからないが、今は彩葉の担当編集まで巻き込んだ作戦を実行中なのだ。
そんないかにも重要そうな作戦に重大な亀裂が入った気がしてならない。
だが、
「さてと。寝よ」
そんなことはどこ吹く風。彩葉は携帯を放り投げ布団をかぶる。
「おい! 汰空斗にぃの件はいいのかよ?」
盛隆も流石にこれは放ってはおけない。彩葉をベットから引きはがしにかかると案外すんなりと起き上がった。
「だって私もなにも聞いてないんだもん。今回ばかりは仕方ないよ」
彩葉は携帯を拾い上げ弄びながらも続ける。
「せめてメモくらいは残してもらわないと何したらいいかわからないって。そうそう。今回は汰空斗が悪い。ってわけだから汰空斗が迎えに来るまで今日はゆっくりゲームでもしてよっかな。最近忙しくてログインしかしてなかったし」
携帯ゲームをしようと、自作の小説、『カラーパレット』に登場する主人公の少女が映る待ち受け画面に暗証番号を打ち込んだ。
ロックが解除されて開いた画面はメモ帳のアプリ。彩葉が普段執筆に使っているアプリの画面だ。
「ってなにこれ?」
そこには文頭が『彩葉へ』で始められている文章が画面いっぱいに書かれている。
当然自分で書いた覚えなどない。それどころかファジネピアについてからというもの執筆のしの字も書いていないのだ。しかし彩葉の携帯のロックを解除できるのは、彩葉の知る限り自分だけ。
もしあの9人の中で他に知っている人がいたとしても、勝手にロックを解除して伝言を残すなんてまねをする輩は一人しか思い浮かばない。
「どうしたの?」
「なんかの伝言みたいなのが書かれてる。えっと、なになに……」
うっすらと思い当たる犯人の顔を思い浮かべながら彩葉はそれを音読し始める。
「彩葉へ。時間の都合上、お前に一切の事前説明がなく作戦決行に踏み切ったことをまずは謝罪したいと思う。ってなに? このお堅い文章は」
別に公の場でやり取りをしているわけではないのだが息が詰まりそうなほど堅苦しい。おかげで犯人の疑いが確信へと昇華したことに間違いはないが。
文章に苦笑いを浮かべながらも彩葉は画面を下へスクロールする。
「今回の作戦についてだが、お前には今日の15時までに次の作業を完遂してもらいたい。1つ、ファジネピア建国祭ライブで使う楽器すべてを鶫家に集めること。2つ、その世界でマナの使用が可能か否かを検証すること。3つ、大型トラック200台とその運転手200人を一か所に集めること。以上だって……」
彩葉は汰空斗になりきって読み上げているつもりだろうが、傍から見れば行き過ぎた物まねでしかない。
そちらに気を取られてしまいあまり話が入ってこない盛隆であった。
「簡単に以上だって言ってるけど指示内容は完全に異常だからね? トラック200台とその運転手200人なんてどうやって集めればいいのさ」
「汰空斗にぃならそのへんも考えてあるんじゃないの?」
「だといいけどね」
メモにはまだ続きがあるようだ。
彩葉は再度画面を下にスクロールし、一発ギャグじみた物まねを披露する。
「今作戦において3番目が一番大切なミッションになり、今回お前を派遣した最大の理由だ。そしてそのための資金だが、お前のパーカーのポケットにキャッシュカードが入っているはずだ。その中に5千万円用意したから……って5千万!?」
「は!?」
途中で演技も忘れて盛隆と顔を見合わせる彩葉。互いに目を丸くして数秒の間固まってしまう。
「5千円の間違いじゃないよね……」
心を落ち着かせて一旦目を閉じる。荒くなった呼吸が整ってから見直すが、
「ほんとに5千万円だ」
間違いなく5千万円だ。
いち高校生が扱うにはあまりに大きな額だが、オリンピック優勝やノーベル賞の受賞、それに加えていまや全国チェーンとなった飲食店を経営している汰空斗等からすればそれは貯金の一部に過ぎない。
まして彩葉の場合、それらに加えて小説の出版やその作品がアニメ化されたことによるさらに大きい利益が出ているのだが、それらが彩葉の口座に入っていた時間は2か月もない。
すべて自室を見てわかる通り、本やゲーム、ⅮⅤⅮといった知的財産に姿を変えてしまったのだ。もちろんそのすべてがこの部屋にあるわけではなく、それらを保管するためだけに別の部屋を借りていたりもする。
「汰空斗にぃ、ぱない……」
「うん。今までよく貯金してたね。少し見直したよ」
「見直すところそこかよ」
気を取り直しパーカーのポケットを調べると本当にキャッシュカードが見つかった。そしてそれと一緒に見つかる一枚の紙切れ。
「このメモはなんなの?」
なんとも雑に二つ折りされた紙切れを開くと四桁の数字が書かれている。おそらくキャッシュカードの暗証番号だろう。
「流石汰空斗、暗証番号も忘れてないなんて相変わらず抜かりないね。とりあえずこれを使えってことはわかったよ。それで続きは──」
キャッシュカードと紙切れを片手に持ったまま携帯に視線を落とす。
「トラックと運転手は神崎組に依頼するのが一番手っ取り早いはずだ。時間の都合上、俺から先方に話を通すことはできなかったが鉄からの許可は出てるから問題ないだろう。交渉が成立したならそのキャッシュカードごと渡してかまわないだってさ」
「神崎組ってヤクザがらみな気が……」
「まぁ、昔の鉄が作っグループだからね。それっぽい感じなんじゃないかな。でも最近は荒っぽくなくて運送業で稼いでるみたいだよ?」
「鉄にぃそんなこともしてたんだ……」
「今でこそあんなんだけど昔はすごかったらしいよ。そして神崎組が出来たのもちょうどその頃らしいし。私もあるのは知ってたけど行くのは初めてだなぁ。ちょっと楽しみかも」
彩葉はまるで初めて動物園に行く幼児のように好奇心を弾ませている。携帯の画面をスクロールする様子は数分前からは想像も出来ないくらいご機嫌だ。
妙なところで度胸を発揮する姉にまじかぁ、とつぶやく盛隆の気持ちはわかるまい。
「えっとそれで……最後におそらくだが、そちらの世界ではマナは使用できない。少なくとも俺はそうだった。故に移動手段としてお前の担当編集の手を借りることにした。ついでにお前を見張る役としても十分すぎる効果が期待できるからな。何事もなければ今日の15時には迎えに行くからそれまでにはすべて済ませておくように」
伝言はこれ以上無いようだ。本文の最後に汰空斗っと名前だけが書かれていた。
「それで鬼呼んじゃったのかぁ……」
ようやく今の状況が飲み込めたことでほっと一息つくのと同時に憂いが募る。
「まぁなにはともあれそういうことなら、とりあえずお風呂に入って着替えますか」
好奇心をやる気に変換させると彩葉はすぐさま部屋の扉をあけ放ち、ドタドタと響く足音だけを残して部屋を後にした。
と思いきや遠ざかって行ったはずの足音が扉の前まで戻って来て告げる。
「あ、ねぇ盛隆? 盛隆もついてくる? どうせ今日暇でしょ?」
「決めつけるなよ。まぁ暇だけど」
「じゃあ、決まりね。鬼さっき家出たみたいだからあと10分くらいかな。早く準備済ませなよ?」
「なら先シャワー使っていい?」
「だめ。私も急いでるし。て、ていうか……そ、その……一緒に入る?」
彩葉は突然、恥ずかしいと言わんばかりに顔色を染めて見せる。だがもじもじと指を絡めるそれすらも、盛隆にはただの演技にしか見えないのは弟故にだろう。
無駄に高いクオリティに呆れて、しっしっと手の甲で払いながら、
「冗談はいいから入るなら早く行けよ」
微塵も受け入れようとはしなかった。
「もー。つれないなぁ。昔は一緒に入ったでしょ?」
「今はそんなこと言ってる時間無いだろ。いいから早く行け」
「はいはい」
今度こそ足音は階段を下って行った。
最後に見せたおどけた笑顔でさえ今ではもう手が届かない。それでも久しぶりに見られたその笑顔に少し喜びを感じた盛隆であった。




