第二章第六話 らしくねぇ、らしくねぇよ。今のお前
「おい、お前の家はまだか?」
汰空斗と兵士は少し上を見上げれば壁が見えるくらいまでは外側に来たようだ。ビルの数は減って一軒家が目立つようになってきた。大富豪的に言えば平民の集合地帯っと言ったところなのだろう。
しかし、未だに紅葉と彩葉には追いつけていない。それが汰空斗には不安でしょうがない。腹を立てた紅葉が国王に喧嘩の即売会を持ち出すために戻っているのではないか。そう思うと気が気でなかった。
「もうすぐそこだ。着いて来てくれ」
兵士は汰空斗を追い越してから路地裏をでた。そしてそのままの勢いですぐそばの一軒家の中へと入って行った。どうやらここが彼の家らしい。
「彩葉を信じるしかないか。それより今は壁を登る方法だ」
紅葉には彩葉が付いている。もはや彼女を信じることしかできない。それならば、現状の問題を解決するべきだ。身を隠すため兵士の家の裏へと足を運びながら思考を始める汰空斗だった。
「急でごめん。5分で家を出る準備をしてくれ。今日中にこの町を出ることにした」
家の中から聞こえる兵士の声。それに元気よく返す2つの幼く高い声にくわえて、1人の女性の声も聞こえてきた。窓が開いているので当然だろう。だがこんな日に窓を開けているのか? 汰空斗達が王城を出るまで叫び声が鳴り止まなかったはずだ。しかし、この住宅街には返り血の1つも付いていない。どうやら今宵の惨劇に平民の出る幕はないと言うことらしい。
「よし……これで行くか」
汰空斗が思考を終えたと同時に兵士の家のドアが開いた。
「悪いな、汰空斗。待たせた」
「いや、ちょうどいい。それじゃあ、行くぞ」
もはや紅葉達がどちらへ向かったのかすら定かではない。それでも汰空斗はこの兵士と交わした約束を果たさなければならない。そのために壁に向かって走り出すのだった。
数分後、汰空斗は無事に壁の前へと着いた。相変わらず紅葉達の姿はない。既に上に登っていてくれると嬉しいのだが。そんな期待を胸に汰空斗は告げる。
「今から壁を登る。全員壁に背中をつけて並んでくれ」
「ああ」
兵士の男が汰空斗の言う通りにするとその家族も揃って同じことをする。子供2人を真ん中にして並んだ男の家族はまだ汰空斗のことを信用しきれていない様子だ。
「悪いがチャンスは一度きりだ。誰が取り残されようと二度目はない。だから今から説明することをよく聞いてくれ」
汰空斗は一番左に並んでいる女性の少し横の壁に掌を当てた。
「まずは範囲を定める。今いる位置から絶対に動くんじゃないぞ」
そのあと一番右側の、男の隣に並んだ汰空斗は先ほどと同様に自分の少し横の壁にも手で触れた。
「今定めた範囲の壁が1秒かけて俺たちの足元まで沈んでくる。そしたら2秒間その状態を維持した後10秒かけて元の高さに戻る。俺たちは沈んだ瞬間にその壁に乗り移る。それだけでいい。わかったか?」
「ああ。わかった」
そう返す兵士は家族に壁側を向くように促す。
正直、彼は汰空斗の言ったことの意味を理解していない。いや、正確にはよくわかっていない。目の前の壁が一瞬だけ沈み、また元の高さに戻るなど普通の人が聞けば信じられるはずもない。そんなことを堂々と言い切られても何馬鹿げたことをっと思うのが普通だ。だが既に、男には汰空斗を疑う考えすら浮かんでいないのだ。
「行くぞ」
静かに告げた汰空斗は同時に指を鳴らした。その瞬間、煉瓦造りの家が崩壊するような音を立てながら定めた範囲の壁が沈み始めた。そして、最終的には1歳の赤ん坊でも登れるくらいの段差へと姿を変えた。
「乗り移れ!」
その瞬間に乗り移る汰空斗。男とその家族も無事に乗り移ると壁は再び元の高さへとゆっくり上がっていく。そして壁に戻る瞬間にかかるGはエレベーターに乗っている時のそれと大差はない。気がつけば僅か数秒で数百メートルの壁の上に立っていた。
「ほ、ほんとに上まで来てる!」
兵士の息子が先ほどまでいた場所を見下ろしている。
「うわぁ。すごい!」
その少年より背丈がやや低い娘もその隣に並んで喜んでいた。
そんな時。
「た、汰空斗?」
聞き覚えのある女性の声が聞こえた。その声に振り返った汰空斗。そこに立っていたのは紅葉と彩葉だ。
「はぁ。お前らも着いていたのか」
安堵のため息を零した汰空斗。2人もどこか安心したようだ。
「それより何今の? そこの床が沈んだように見えたけど、汰空斗の魔法か何か?」
「ああ。俺の固有魔法(非属性魔法)だ。生き物を除く万物に命令を与えてその行動を実行させる。それが俺の魔法だ」
牢獄から紅葉達を助けた時、柵を破裂させたのもこの魔法で間違いないだろう。もちろん、彩葉を紅葉に向けて飛ばしたのも計画済みに違いない。
「なんか随分、汰空斗らしい魔法だね」
「まぁな。それより、そっちは何かなかったか?」
「何もなくはなかったかな。まぁ大したことはなかったけどね」
少しだけバツが悪そうに紅葉に視線を移した彩葉。
「まぁそれも含めて話は歩きながらっと言うことで」
彩葉はどこか気楽を装いながら南門に向かって歩き出した。
汰空斗が南門の上に着いて姫燐達と合流したのはそれから1時間くらい後の話。
「よし、全員いるな。後は日の出を待つだけか」
空で点々と輝く光を見上げた汰空斗。
「一応、見張りはつけておいたほうがいいんじゃないかな?」
紫草蕾は梯子の前で立っている兵士を上から眺めている。兵士は暇そうにあくびをして体を伸ばした。きっとまだ4人が脱獄したことにすら気づいていないのだろう。
「ああ。そのつもりだ。ってことで紫草蕾、お前に任せる」
「あー。うん、わかったよ。了解」
紫草蕾は多少苦笑いを浮かべながらも返事を返すと再度見張りの兵士に視線を落とした。
「ねえ、汰空斗。私達はこれからどうするの?」
「もちろん、ファジネピアに向かう。テレポートがある場所はもう調べてあるから日が昇ったらすぐにでも出発できるしな」
「そっか」
彩葉はどこか寂しそうに返した。
「おい、待てよ。汰空斗。俺はこの国の王とやらに一撃入れてやらねぇと気がすまねぇ」
「珍しく考えが一致したな、馬鹿。私も同じ意見だ。このままだといずれ罪のない人が大勢死ぬことになるぞ」
「ああ、その通りだ。って俺は馬鹿じゃねぇ!」
姫燐の言葉に腕を組んで頷きながらも鉄はしっかりとツッコミを入れた。
「んなことしたらこの国の兵士全員を敵に回すことになるんだぞ? 考えただけでも面倒くせぇよ」
手を振って反対する汰空斗は、あくまでも面倒っと言うだけであって不可能ではない。そう言っているように思える。
「それでもやらなきゃいけねぇ。俺はそう思ってる。なぁ紅葉、彩葉、紫草蕾。お前らもそう思うだろ?」
「僕かい? 僕は……まぁ、そうだね。6人で王国転覆も悪くないんじゃないかな?」
「私は正直言ってみんなに賛成。特に力になれるわけでもないけど、この状況を放っておきたくないよ。紅葉はどう思う?」
紅葉は話を振られてもずっと下を向いたままでいつものような覇気が感じられない。
「紅葉?」
「あ、え? 何?」
二回前を呼ばれてようやく顔を上げた紅葉だが、話はあまり聞いていなかったようだ。
「紅葉はこのままこの町を出て行くのに賛成? 反対?」
「…………い、いいんじゃないかな……」
「いいって何だ? 何がいいんだよ?」
どちらとも言えない言葉を返した紅葉に汰空斗の視線が鋭くなった。
「これは別に私達がどうこうする問題じゃないよ……私は、そう思う……」
紅葉は言い終えると、またしょぼんっとして俯くのだった。
「おい、紅葉」
「ん? な、なに?」
汰空斗の太い声にはそこはかとなく怒りが感じられる。紅葉がピクっとして汰空斗の方を向いたのもそれが原因だろう。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「え? い、いや、私が言いたかったことはそれだけだよ?」
「なら、何でそう思った?」
「な、何でって……」
紅葉の意見は合理的で十分に納得できるものだ。それに汰空斗に取っては面倒なことを回避もできる。にも関わらず何故か汰空斗は不機嫌極まりない様子だ。
「お前が本気でそう思ってるなら止めないが、らしくないことを考えてるならもう一度よく考えなおせ。今ここから出て行ったらもう取り返しがつかない。それでもいいって言うなら俺も構わねぇよ」
「だ、だからいいって……」
「はぁ。なら何でそんなにうじうじしてんだよ?」
「別に何でもないよ」
紅葉は汰空斗に背中を向け、シサントの外を見渡した。暗くてよく見えないが、ここに来る前に通ってきた森や草原が見える。
「あーそうかよ。なら、お前らには悪いが紅葉が決めたからな。夜が明けたらファジネピアに向かう。異論はないな?」
「ねぇ、紅葉。紅葉は本当にそれでいいの?」
彩葉が6人の輪に背を向け丸くなっている紅葉の隣に座った。
「うん。たぶん、これが一番いいの……」
「なら、私はなにも言わないけど……」
少しだけ切なそうに呟いた彩葉も丸くなってシサントの外を見つめた。
「はぁ。わかったよ。紅葉が本気でそうなら俺も文句はねぇ。ただ、紅葉。一言だけ言っておく。らしくねぇ、らしくねぇよ。今のお前」
紅葉は鉄の言葉にどう返していいのかわからずもっと小さく丸まろうとした。姫燐はなにも言わずにその言葉を聞いていた。
「なぁ、1つ聞かせてくれ」
静まり返った5人を横目に汰空斗は近くの洋服を着た兵士に問う。
「あの国王はどうやって決めたんだ? 文献じゃあ、前の王はひどく平和、と言うより発明一筋みたいな奴だったと思うんだが」
「ああ、それか。それはしょうがなかったんだ。だけど、あの年老いた爺さんは本当に発明馬鹿で言う通りのいい奴だったよ」
「だった?」
先の見えない話に汰空斗の眉が歪んだ。
「ああ。その話をするためにはこの町が何でこんなに荒れ果てたのかを説明しなくちゃならない。ちょっと長いがいいか?」
「ああ。かまわねぇよ」
「そうか。なら、こっちへ来な。国の騎士しか知らない話だ。もちろんその家族もな」
洋服の兵士は立ち上がると家族から遠ざかるように歩き出した。
「ああ」
汰空斗がその後を追うと鉄、姫燐、彩葉もその後に続いた。話の内容が気になるのだろう。
「この辺でいいか」
男は家族との距離を確認した後、座ると口を開いた。
「まず、前国王の話だが、あの爺さんは殺された。それも味方の騎士に。それによって新しい今の王に変わったんだ」
「いや、それは何となくわかるんだけどな。何で殺されたの?」
そう。いい奴だった。の時点でそれは薄っすらと予想されていたことだ。大切なのはその理由。
「それは新しく王になった今の王の命令なんだ。本当は誰も殺したくなんてなかったさ」
「待てよ。なんで王になってもいない奴の命令で前王は殺されないといけねぇんだ?」
「それはな。新王が持っている一本の剣のせいだ。その剣の名は真聖剣、ナルバ=メデン。もう直ぐ復活する魔王を斬ることができる唯一の剣だ」
「ナルバ=メデン……勇者の剣っと言ったところか。使ってみたいな」
腕を組んで何かを考えている様子の姫燐。彼女はただ、剣と言う剣に興味があるだけだろう。
「そう。本当に勇者の剣だ。そしてナルバ=メデンは文字通り、勇者にしか扱うことができない。だから、新国王はこう言ったんだ。『復活する魔王を討伐して欲しければ前王を殺し俺を国王にしろ』っと」
「ちょっと待て。そんなふざけた要求を受け入れたのかよ!」
「そうしないともっと多くの人間が死ぬんだ。当然だろう」
「魔王とやらはいるだけでそんなに危険なのか?」
この質問は意外にも汰空斗だ。この世界でも魔王は魔王なのか? つまるところそう聞きたいのだろう。
「ああ。まず復活が近づくだけで魔物の気性が荒くなる。それと、強い負の感情を持った人間も理性を失い魔物のようになるんだ。そして、復活した魔王はナルバ=メデンと対になる一本の剣を持っている。魔物や理性を失った人間を自由に操る能力を持つその剣の名前は——」
「——極魔剣、メルバ=アルラザード、だな?」
「ああ。その通りだ」
「え? なんで、汰空斗が知ってるのさ?」
兵士の言葉の続きを紡いだ汰空斗に彩葉が慌ててツッコミを入れる。
「ナルバ=メデン、メルバ=アルラザード。この二本はサラハイトの世界創造神話に出てくる剣で、元はこの広大な大地を繋ぎ止めていたとされる一本の剣だったんだ」
「へ、へぇー」
そこにいた姫燐、鉄、彩葉の3人は改めて汰空斗が真面目に勉強していたことに驚いた。
「ちなみにだが、世界創造神話は渡した冊子に要約して載せてあるぞ」
「え? そうなの?」
彩葉はポケットから冊子を取り出して目次を見る。上から指でなぞり指が止まったのは第三章、サラハイトの歴史っという章の6項目。サラハイト世界創造神話っと言う項目だ。
「えっとなになに……」
その指定されたページを開いた彩葉はまるで文芸作品を朗読する詩人のようにその内容を読み始めるのだった。