第一章第六話 今度こそ汰空斗に殺されちゃうよ……
「さて、皆さん! 準備はよろしいでしょうか? いよいよ今年最後の試合。それも賞金、金貨百枚がかかった大事な一戦が始まろうとしています。それではまず、選手入場も兼ねて対戦カードの紹介と行きましょう! まずはこちら、ステージ向かって右側をご覧ください」
実況席から見て右側、そこに立っているのは紅葉と姫燐だ。張り詰めた空気の中、固く閉ざした口をそのままに、海斗と火花を散らしていた。
「決勝戦に現れた突然の乱入者。昨日転移したばかりの新米ルーキー。その実力はあのエイダ姉妹を軽く凌駕するほど。このまま賞金を獲得してしまうのでしょうか? 紅葉、姫燐ペア!」
客席にいる屈強な男達が声援や野次を飛ばしている。その中を冷静な面持ちで歩く二人は、ステージ中央で立ち止まった。
「続きまして左側。女神ヴェルダンディーの加護の元、聖剣エクスカリバーを片手に今日も悪と魔物を切り捨てる。去年で賞金獲得を10度も防衛。どんな相手も全力でひれ伏せるその姿からついたあだ名が『万人の番人』。今年も番人の聖剣が賞金獲得を阻止するのでしょうか? 辻海斗!」
海斗は先程までとは一転して全身鎧を見に纏い、背中にエクスカリバーを背負っている。そのまま二人を見つめる視線は動かさず、ゆっくりと歩み寄よった。
「悪いが、最初から本気で行かせてもらう」
真剣な眼差しのまま手を差し伸べる。
「もちろんだよ。お互い頑張ろ?」
「よろしく頼む」
二人は順に海斗の手を取ると半歩下がり、両手を構えた。海斗もエクスカリバーを抜刀し構えると、会場がざわめき出す。
「空気が……振動してる…………!」
三人が構え睨み合った。それだけで周囲を震撼させるほど大量のマナが会場を包んだ。空気が震えるのも、ステージに亀裂が走るのもそれが原因。客席から届く声は既に無く、今度ばかりは客席が三人のマナに圧倒されていた。
観客が固唾を飲んで見守る中、実況が汗ばんだ手でマイクを握りしめる。
「試合開始っ!」
その声が客席に届く頃にはもう、三人の姿はそこになかった。遅れて総身を震わせる衝撃が、戦いの始まりを告げる。
最初の攻撃は紅葉だった。海斗の頬めがけて思い切り拳を振り抜いた。海斗はそれを片手で受け止めると、瞬間に鈍い衝撃空気を伝って客席まで届く。会場を震わせるほど重い拳を、海斗はいとも簡単に受け止めた。
「この短い時間に、よくもこれほどまで使いこなせるようになったものだ。これもマナが示す本質の一部なんだろうな」
「やっぱり一味違うね。かいとっちは」
その直後、海斗の後ろに回っていた姫燐から回し蹴りが飛んでくる。
「私を忘れてないか?」
しかし、海斗は視線を配ることなく聖剣の側面でそれを防いだ。姫燐の足元に生まれた小さなクレーターがその威力を物語る。
「悪くない蹴りだ。だがまだ甘い」
姫燐は舌打ちした後、海斗から距離を取った。それに合わせて紅葉も一旦引く。
「もういいのか? それじゃあ、今度は俺から行かせてもらうぞ!」
海斗はエクスカリバーを両手で持ち直すと覇気を込めて一言。
「エクスカリバー!」
目の前の空間を上下に分割した聖剣の刃先に沿って、横一直線に一本の光の線が現れる。桁違いのマナを含んだそれは、微かにぶれながら紅葉と姫燐めがけて飛んでくる。
今の二人は風を斬りながら飛んでくるそれを、確実に目で捉えられている。避けようと思えば簡単に避けられるのだ。
「きりちゃん!」
「ああ!」
──しかしだからこそ、二人がそうすることはない。
紅葉は飛び上がって踵落としを、姫燐は一歩踏み込んで握りしめた拳を斬撃に打ち込んだ。つまるところ、二対一なのだから相手の全力を正面から叩き潰しての勝利でなければ意味がない。
戦いに飢えた二人は、ただの勝利などでは満足できない。欲しいのは完膚なきまでの勝利なのだ。
似た思考回路を持つ二人の間に言葉など必要なく、自然と合ったタイミングで全力をぶつけた。結果、そもそも実態があるのかさえ定かではない斬撃を完全に殺し、本当に真下に叩き落としてしまった。
誇らしげに顔を上げる二人。だがそこに海斗の姿はない。背後に気配を感じ振り返った姫燐の目の前、海斗の拳はもう、そこにあった。ガードが間に合わず、姫燐はもろに拳を受けて吹き飛んだ。
「きりちゃん!」
海斗にとって、あのエクスカリバーはただのおとりに過ぎなかったのだ。エクスカリバーが叩き落とされた瞬間、海斗は既に二人の背後をとっていた。あの威力の斬撃さえ、紅葉と姫燐相手ならば決め手にならない。そう踏んでの行動だったのだ。
続けて、今度は紅葉に向かって振り抜くが、寸でのところで両手が間に合い、紅葉は辛うじてそれを受け止めた。今さら地面が数センチ沈もうと、もはや誰も気にする素振りすら見せない。
両手で受けきった紅葉だったが、直後に海斗の蹴りをもろに受け、吹き飛ぶ。隙を見計らった姫燐は背後から仕掛けるが、海斗の後ろに目がついてるのかと思わせるような見事な対応で、来た方向へと返り討ちにあってしまった。
そこで海斗の攻撃は一時停止。二人は息を荒げながらゆっくりと起き上がった。
「すごいぞ、この試合。確かに両者とも並々ならぬマナの量ですが、それでもやはり海斗選手の方が一枚上手のようです。さて、紅葉姫燐ペアはここからどう攻めていくのでしょうか」
あまりの迫力にしばし実況が入らないほどギャラリーも熱くなっていた。盛り上がっているという意味ではなく息をのんで先の展開を心待ちにしているのだ。
「やっぱり強いね。かいとっち」
状況的には押されているのだろうが、紅葉はとても楽しそうだ。
「まぁな。さすがに昨日来たばかりの相手に負けてはいられない」
「そう言われると本気で負かしたくなるな」
姫燐は眉をぴくりと動かし拳を強く握りしめた。
「来い。やれるものならな」
「ならお望み通り、行かせてもらう!」
再び動き出した姫燐は、海斗に向かって一直線に走っていく。紅葉は姫燐と海斗の様子を伺いながら一歩遅れて動き出す。
「エクスカリバー」
海斗は姫燐に向けてエクスカリバー縦に振るう。
先端から産み出される黄金に輝く光の斬撃が、ステージを削りながらなお進む。その光の線は見るからに細く、そして遅い。一つ前のそれほど威力がないのは明らかだった。
「舐め過ぎだ!」
向かって来た斬撃を片手で消し飛ばし、そのまま海斗に直進する。
「エクスカリバーの能力はそれだけじゃない。爆ぜろ!」
海斗の合図で霧散したはずの光が球体へと姿を変え、膨張し始める。それは強く発光すると同時に弾け、途端に熱と衝撃を放出する。要するに熱をもった光の爆弾だ。
一つ一つにさほどの威力はないが、合わされば姫燐の足を数秒止める程度にはなった。海斗の作戦はその間に紅葉と戦うことだったのだ。
銃声にも似た爆発音が鳴る隣では、拳と拳、足と剣がぶつかり合い鈍い音と軽い衝撃を生み出していた。全身で受け止めてもなお、余りある迫力に会場全体が二人を凝視している。客席にいる鉄、彩葉、紫草蕾の三人にも例外はない。
勝敗の決着は間もなく、それも不意のことだった。
マナという力がない元の世界での組み手であれば、紅葉が負ける確率は一となかっただろう。入れた攻撃がダメージとして通らない相手はいなかったのだから。言い表すなら経験の差。それ以外にありはしないだろう。
紅葉は振り下ろされた聖剣を右回りで避けると、しゃがんで海斗の足をすくおうと蹴りを入れる。だが、力不足。不意を突いた攻撃だったが、反射的にマナを足に集中させた海斗のガードが勝り、紅葉はその場で固まってしまう。見上げれば、海斗が両手で聖剣を振り上げていた。
「まずは一人!」
「紅葉!!!」
爆風から逃れた姫燐が叫び、手を伸ばす。
「エクスカリバー!!」
白く発光する聖なる剣は降り注ぐ日に劣らず眩しく、それでいて暖かい。今日一番のマナを含み、どこまでも純粋に輝くその姿に客席は唖然とし、実況席は絶句した。
振り下ろされる発光体。大きく口を開けて歪む海斗の顔。紅葉には、それらがとても遅く、はっきりと見えていた。
避けられない速さではない。感覚的にわかる。ただ、頭が働かない。脳から体に命令が下らない。
意識が朦朧と無意識に溶けていく中、荒くなった呼吸と脈拍だけがはっきりとしていた。
数秒後。訪れる衝撃は今までの比にならないほど。客席から数人が吹き飛び、ステージ外までひびが入った。客席からステージを丸々包み込んだ砂塵が晴れると、実況席の一人がマイクを握った。
「なっ! 受け止めたあぁ!!」
見開いた双眸が捉えたのは、背を地面に付けたまま、エクスカリバーの側面を両手で受け止めている紅葉の姿だった。
「真剣白羽どりって本当にできるんだね」
振り切ることなく止められた聖剣から斬撃が出ることはなく、注ぎ込まれたマナは光とともに空気へと融解された。
文字通り、全身全霊を受け止められた海斗は、動揺を隠しきれず固まっていた。
「かいとっち。まだ試合中だよ?」
紅葉はそのままの体制から、跳ね起きの要領で海斗を斜め上、姫燐の上空に向かって蹴り上げる。
「きりちゃん! あと、お願い」
「ああ。了解した!」
真上に飛んで来た海斗をさらに、流れに沿って殴り飛ばす。海斗を場外に出し、勝算段だ。空中では勢いを殺すものは何もない。海斗は数秒もなく、場外まで吹き飛んだ。
客席を超え、民家を突き抜けても止まらず、実況者はマイクを握りしめる。
──が、それで終わる海斗ではなかった。
「エクスカリバー!!!」
勢いを殺し、重力に打ち勝ちながらステージまで復帰する唯一の方法──
進行方向と逆向きにエクスカリバーを放つ。それによって生まれる推進力を利用し、ステージに復帰するつもりなのだ。その機転が功を奏し、海斗がステージの方へ戻ってくると、客席はかつてない盛り上がりを見せたが、それもつかの間。
海斗がステージ上空にもどる間際だった。
真上から紅葉と姫燐が同時に、海斗を叩いた。海斗のエクスカリバーと二人の全力の拳。どちらの力が勝ったのかは綴るまでもない。
舞い上がった砂埃が消え、ステージの真横に出来上がったクレーターを見た瞬間、会場は動揺で包まれた。
「き、決まった!! 海斗選手の奥義、エクスカリバーを打ち破っての完全勝利を上げたのは紅葉、姫燐ペアだ!!」
歓声や奇声、怒号が入り混じるステージの上、二人はコールに合わせて拳を掲げた。
両手を上げて喜びを表現する者、立ち上がって両選手に拍手と喝采を送る者、あまりの迫力と衝撃に涙を流して感動する者。そんな輩で客席が埋まっていた。
「10年もの長い月日を経て、ついに万人の番人は打ち破られました!」
大の字で地面に埋もれている海斗。
「まさか、あの一撃を素手で受け止めるなんてな。完敗だ」
片手で顔を覆った海斗だが、口元がつり上がっていて、清々しく笑っていた。
「はぁ〜。楽しかった。ね? きりちゃん?」
「ああ。久しぶりにスカッとしたな。な、海斗?」
海斗を見下ろしながら笑顔で手を差し伸べる紅葉と姫燐。
「そうだな。久しぶりに負けてしまった。が、それも悪くない」
海斗が二人の手を取り立ち上がると、一つ二つと拍手が鳴り出す。いずれ会場全体を包んだそれは、しばらくの間、鳴り止むことはなかった。
賞金の授与と閉会式が行われたのはそのすぐ後のことだった。
「優勝と賞金獲得おめでとう。紅葉、姫燐。また、いつか手合わせ願いたいな」
「私も! でもその時は、一対一で、ね?」
海斗から差し出された賞金を、紅葉は満面の笑みで受け取った。
「ああ。そうしよう」
「私もいつでも待っているぞ」
「ああ。了解した」
最後に海斗と握手を交わした二人。賞金を手にした紅葉がそれを掲げると冷めやらぬ会場が再度熱狂した。
ここで話が終わるのであればどれだけ平和だっただろうか。
海斗が次に口を開くその時まで、紅葉がそれを知ることはない。
「戦ってみてわかったんだが、お前らは本当に恩恵を受けていないんだな。最初は冗談だと思ったが、身のこなし、マナの量、適応能力、チームワーク。どれを取っても頭一つ抜けている。むしろ与えられない方が妥当とさえ思ったよ」
「えへへ。そう言ってもらえると嬉しい……なぁ…………」
「俺たちが何の能力も持たない一般人だとばれるのは、何が何でも避けなきゃならない」頭の後ろに手を回す紅葉が汰空斗の言葉を思い出したのは、すべてが後の祭りになってからだった。
「ん? どうした?」
緩めた頬をそのままに、青白く染まっていく紅葉はどう見ても普通ではない。顔を覗き込むと、あの純粋に赤く輝いていた眼に光はない。呼びかけに反応もない。固まったままだった。
「あちゃー。これは完全に終わったね」
ほとんど原形を止めていないステージの横、客席は前代未聞の発言にざわめいていた。中からその様を眺める彩葉は、顔を苦めるほかない。
「ど、どうしよう……今度こそ汰空斗に殺されちゃうよ……」
過去に一度だけ汰空斗を本気で怒らせたことがある。いつも通り、言いつけを守らなかったことが原因だった。怒り狂った汰空斗を宥めるためにどれだけ身を削ったことか。思い出すだけでも恐ろしい。
今朝の念の入り様から察するに、今回もかなりまずい。嫌な予感は募るばかりだった。
「言っちゃまずかったのか?」
「たぶん……」
紅葉には汰空斗の考えなんて大抵理解できない。肩を落として曖昧に返したのもそれが理由。
汰空斗と紅葉の間にはいつも小さくないずれがあって、それでよく対立してきたものだ。他に類を見ない相性の悪さ。真逆の人間だ。争いは免れようもない。
空は一日を終わりに向かわせる薄暮だと言うのに、何度目かさえ知れない二人の戦いは始まりに向かっていた。
* 1 *
ここはゼネシティの辺境に建つ、とある図書館。
夕日が差し込む窓際の席に少年が一人。机一杯に本を開いて必死に筆を走らせている彼の他には、両手で数えられる程度の人数しかいない。
「なぁ、聞いたか? 今年の武道大会の結果」
「ああ。知ってるよ。今年もエイダ姉妹が突然乱入してきた挑戦者に破れたんだろ?」
彼の席の真後ろ。図書館の中だと言うのに周りを気にしない声が響いていた。
「ああ。そうだけど、俺が言ってるのはその挑戦者のことだよ」
「いくら挑戦者とやらが勝ったって、どうせあの番人には勝てないだろ。ほら、あの、なんかよくわかんない名前の剣を担いだ——」
「——辻海斗。だろ?」
「そう、そいつ!」
机からバンっと音が出るほど強く叩いてから指を指す。
「そう思うだろ? だがな。今年はそうじゃなかったんだ。なんと、10年ぶりに挑戦者が勝ったんだ。しかも、そいつらは昨日来たばかりの女だってよ。一人は赤い短髪でもう一人は黄色の長髪。どの女神に転生させてもらったのかは知らないが、恩恵も受けてないって話だぞ」
少年の眉がピクリと動いた。瞬間、両手で机を力一杯叩き立ち上がった。
後ろの男達は身震いさせた後、彼を見て苦笑いを浮かべた。
「わ、悪い。そんな怒るなよ。もうちょい静かにするからさ」
「違う!」
「え?」
「その話だ! その話。もっとよく聞かせろ」
「あ、ああ」
少年がどんなに大きな声を出そうと、周りの人は彼を注意できなかった。彼の鬼のような形相と、怒りで小刻みに震える姿に恐怖を抱いたのだ。無論、話しかけられた噂好きの男二人も例外ではなかった。