紅の宝石と、忘れられた神
「で……、これがその、キラキラとした宝石、のような何か、とやらか?」
「あぁ。すっごく綺麗だろう? 昼と夜で当たる光の加減によって、違う顔を見せてくれる石だ」
美しい物よりも、食べ物の類を愛するガルヴァには珍しく、その瞳は恋でもしているかのように遥か眼下のそれを熱心に見つめおろしている。
発掘された物だと聞いてはいたが……、やはり、ガルヴァの説明には穴がありすぎた。
『キラキラとした宝石のような何か』とやらは、ソリュ・フェイトが想像していた物とは比較にならない、――恐ろしいほどに巨大な自然の産物だったのだから。
しかも、鉱山の類からではなく、灰色の固い岩肌を地面としている、その、ど真ん中。
ソリュ・フェイトと同じ、真紅の色合いをした美しい宝石は大地に円を描く姿でそこに在った。
そして、その周囲には大勢の人間や、他種族の者達の姿が群れのように見えている。
「あの石……、あれを、誰の物にするかで、連日争いがなぁ」
最初は口論だけの可愛らしい喧嘩だったそうだ。
眼下に見える真っ赤な宝石を誰の物とするのか、この一帯を誰の支配地とするのか。
欲望と感情が露わになるにつれ、今では連日連夜、別の場所で大量の血が流れるに至った、と。
「宝石の周りにいる奴らは、互いを牽制し合ってるようでなぁ。あの石はこの場所から動かせないようだから、場所の所有主張というか、勝負が決まるまでは睨み合いを続けるそうだ」
「……たかが宝石ひとつの為に、幾千幾万の犠牲を出す、か。愚かだな」
「欲望に塗れた民の目は、気持ち悪くて仕方がない!! やめろと何度言っても聞いてくれんし、挙句の果てには、……うぅっ、俺の事をおぞましい化け物だとっ」
その大きな図体に反して、意外に繊細なところのあるガルヴァ。
彼は空中で器用に蹲り、大粒の涙を零しながら嘆き始めてしまう。
おぞましい化け物、か。ソリュ・フェイトにとっては、それが人の姿をしていようが、獣の姿をしていようが、皆、等しく愛おしい命だ。
真っ赤な髪に、もっふりとした毛並みと二足歩行の獣人体をしているガルヴァも同様に。
「皆、相手の欠点を乱暴に探し出して罵りあってもいるんだっ。自分達の種族こそが、完璧な命の在り方だとか、獣が二足歩行をするなとか、髪や瞳の色がどうとかっ、姿形がおかしいとかっ」
「……激しくどうでもいい事で低レベルの戦いをしている、と?」
なるほど、それでガルヴァもその被害を受けたわけか。
大方、話をしようとしただけで、神の力は一切使わなかったな? こいつ……。
正面からの正々堂々とした決闘や腕の競い合いには惜しみなく腕を揮うというのに、そうでない場合は、子犬の如く弱い。
一方的な侵略や支配を望まない温厚な気質とも言えるが、それでは意味がない。
ただの口を挟んできた獣人その1レベルで石を投げられたのだろう。
状況によって、強くもなれば弱くもなる弟のような神の残念な姿に溜息を吐くと、ソリュ・フェイトは仕方なく地上に降り立つ事にした。
紅蓮に燃え盛る炎にも似た神々しい光を身に纏い、自分が地上の民とは違う上位の存在である事を知らしめながら神の降臨を演出する。
ソリュ・フェイトの意には沿わない登場の仕方だが、これくらいやらないと話を聞こうとはしないだろう。
案の定、巨大な宝石の周囲を取り囲んでいた地上の民達から困惑や怖れの声が波のように広がり、やがてその中から……、何人かの男女が前へと進み出てきた。
「お、恐れながら……、あ、貴方様は一体」
最初に口を開いたのは、人間の外見年齢換算で、六十を少し過ぎたあたりの初老の男だった。
このはじまりの世界において、人間の寿命は百年ほど。他種族で長い者でも、二百年が限界だ。
彼らよりも少し離れた空中で制止したソリュ・フェイトは、ひれ伏すようにその場へと膝を屈し、蹲るように頭を下げて怯えている地上の民をぐるりと見まわして視線を元の場所に定めた。
そして、断罪の気配を滲ませた低い声音で一言。
「答えろ。お前達の地を統べる最高神の御名を」
「は……、あぁ……、我らの、神の御名、でございますか?」
「そうだ」
「戦と勝利の神、ドゥルメノ様にございますが……」
答えた初老の男に、ソリュ・フェイトの頭の中で理解不能の疑問符が浮かんだ。
はじまりの世界を創造せしは、彼とガルヴァを含めた十二人。
その眷属として数多の神が生み出されてはいるが……。それも数える程だ。
大体、ソリュ・フェイトが尋ねたのは、最高神の名だ。この地を司る親神の名。
威圧感の増した名も知らぬ神……、と思っているのだろう。
ソリュ・フェイトへの怖れの気配が一気に強まった。
「俺は、この地を司る最高神の御名を述べよと、そう言ったのだがな?」
「は、はいぃっ。で、ですから、ドゥ、ドゥルメノ様がっ、我らの父なる存在でしてっ」
「お前達の父なる神は、俺の横にいるこのガルヴァだ」
「そ、そうだぞ!! 我こそは、人々と大地に燃え上がる闘志と活力を与える、戦神とも名高き、偉大なる、――ぐはっ!!」
名乗りは大事だが、隣でやられるとかなりうるさい。
身振りも手振りも声もドでかいガルヴァの頭に鉄拳をお見舞いして黙らせると、ソリュ・フェイトは他の民にも話を聞いてみた。
しかし、……誰もガルヴァの名を口にしない。それぞれに主神と仰ぐ絶対なる神がいると、怯えながらも主張するばかりだ。
ガルヴァの存在など知らない。名も聞いた事などない。……どういう事だ?
「お前達……、はじまりの十二神についての記憶はあるか?」
「はじまりの、……十二神、ですか? さ、さぁ……。我らの部族では、最初からドゥルメノ神様御一人を信仰しておりまして。この世界の創造も、ドゥルメノ様が……」
「なんだと!! 世界の創造は、我らが最高神、ラヴァム様が行われた事だぞ!!」
「何を言う!! 貴様らの神など、偽りの存在ではないか!! 真に世界を創造したもうたのは!!」
……周囲から次々に自分達の神こそが唯一神だと主張する者達が騒々しい声を上げ始める。
だが、ドゥルメノやラヴァムといった神々の名に、ソリュ・フェイトは心当たりがない。
ガルヴァも、自分の守護している地に現れたという名も知らぬ神の存在など知らぬと、全力で首を横に振っている。
新しくどこかで生まれた、という偶然の存在である可能性も考えられるが……。
耳に障る程騒々しい周囲の声に段々と苛立ってきたソリュ・フェイトは、彼らを黙らせるべく、神の雷と称して、天空より轟音を大地へと響かせる一撃を振り下ろした。
「「「ひいいいいいいいいっ!!」」」
「そ、ソル……!! 民を無意味に怯えさせるような真似はやめろ!!」
「怯えさせてなどいない。騒々しいから黙らせただけだ。……それにしても、奇妙だな」
幾つも無数に絡み合って聞こえていた民からの話は、ソリュ・フェイトに二つ目の疑問を抱かせた。彼らが口にしていた神の起源と、その話がいつから伝わるものなのか……。
それに、新しい神の存在が在ったとしても、まず、話がおかしい。
何故、誰もが知っているような、はじまりの十二神の話を誰も知らないのだ?
ソリュ・フェイト達が守護するこの世界において、はじまりの十二神は絶対の存在であり、知らぬ者などいないはず……。いや、万が一無知な者達がいたとしても、こんなにも大勢の民が口を揃えて、聞いた事もない、とは。
五十年前と、今の違いは何だ……? 両腕を胸の前で組み、この疑問に答えを出すべく、思考を働かせる。
「……とりあえず、まずは無用な争いを治めるのが先か」
「ソル?」
一秒ごとに失われているかもしれない、多くの命。
地上の揉め事や面倒事に関してある程度の一線を守って守護しているとはいえ、今回の件は見過ごしておけない。……他神の守護区だけども。
ソリュ・フェイトはガルヴァの背中をバシンッ!! と叩き、こっそりと実行内容を耳に囁いた。
ガルヴァの頭から生えている狼のそれに似た獣耳がピクピクと擽ったそうに震えている。
「――うむっ!! そうだな、それが一番だな!!」
「むしろ、何故それを早く実行しなかったかを問い質し、説教をしてやりたいが……、まぁいい。やるぞ」
「おう!!」
ガルヴァの存在に困惑し、名も知らぬ偉大なる力を見せつけたソリュ・フェイトに恐れながら、地上の民達はその姿を見上げ続けている。
彼らにとっては残念な結果に終わるだろうが、手っ取り早く済ませた方が新たな犠牲を出さずに済む。幸い、先ほどのソリュ・フェイト降臨の効果と、雷撃のお陰で、離れた場所で争っていた戦闘担当の民達の動きは止まっている。
「地上の民達よ!! はじまりの神々を知らぬというのなら、その力、存在の意味を、その目に、心に焼き付けるがいい!!」
「焼き付けるが良いぞぉ~!!」
「……ガルヴァ、お前が言うと、気が抜けるから黙っていろ。名乗りの時だけ振ってやるから」
「す、すまん……っ」
ぎろりと兄貴分に当たる神にひと睨みされ、ガルヴァはしゅんと上空高くで項垂れてしまった。
その可哀想で、ある意味可愛らしい姿を無視し、ソリュ・フェイトはクセのある漆黒の長い髪を靡かせていた風の流れを強制的に鎮め、その真紅の双眸を黄金の輝きへと染め上げてゆく。
「我は、はじまりの十二神が一人、――創炎のソリュ・フェイトなり」
そこで一度区切り、次はお前の番だ! と、再度ガルヴァを睨む。
「お、同じく、はじまりの十二神が一人、――創地のガルヴァ!!」
天空より響き渡る二神の高らかな力強い声音に、地上の民達は呼吸さえ忘れて、それを見上げている。膨れ上がる炎のような揺らめきを纏う神がその手を横に薙ぎ払った瞬間に、大気が神の波動を受けて荒れ狂い始めた。
ガルヴァの声を受けた大地が歓喜しているかのように地表の底で激しく脈打つ。
地上の民達は本能的な恐れと畏敬の念を抱きながら、争っていた事も忘れて、互いに寄り添いあい、その手を取り合って震え上がる。
「我らはこの世界の生命と秩序を守る者と知れ!! 我らが愛し、育むそれを脅かす存在は、我らが敵!! ソリュ・フェイトとガルヴァの名において、――」
ソリュ・フェイトとガルヴァの両手が地上から顔を出している巨大な宝石へと向けられ……。
「災いの根源よ!! 人の世を離れ、神々の世界にて眠れ!!」
「眠れ!!」
彼らの力強い声音と共に、巨大な宝石を両手で包むように守っていた岩肌が轟音を立て始めた。
腰を抜かす地上の民達の目に映る、神の御業。
鮮やかな赤を纏う巨大な宝石が自ら大地を抜け出してくるかのように浮き上がり、その全容が露わになる。
「……卵みたいだな」
「本当だなぁ……。表面がツルツルしてたのは、こういう形をしていたからなのかぁ」
ただし、こんな大きな卵を産める動物はどこにも存在しないが。
巨大な宝石改め、巨大な美しい卵型のそれを神の力によって上空高くに飛翔させると、地上の民達の欲望に駆られたその目に、――悲惨な大爆発の光景が刻み付けられた。
「あぁああああっ、か、神の……、ドゥルメノ様の御神体がぁぁぁあっ」
「ラヴァム様ぁあああぁああああっ」
自分達の頭上目がけて降り注ぐ真っ赤な石の欠片を掬い上げ、涙を流す民の群れ。
それが幻影だとも気付かずに、自分達の神が死んだかのように……、その心は折れていく。
(なるほどな……。あの石を自分達の神そのものだと、思い込んでいたのか)
悲嘆に暮れる民達を眺め下ろしながら、天空の大神殿に転移させた卵型の石について考える。
詳しく調べてみないとわからないが……。先程地上の民と話をした際、もうひとつ、奇妙な点があった。自分と話をしているのに、彼らの瞳の気配はどこか虚ろで、その奥に何かが隠れているような気がしたのだ。
そして……、大神殿に飛ばした卵型の石。あれを地表から引き剥がした瞬間、神の力に干渉しようとする何かを、ソリュ・フェイトは感じ取ったように思う。
ガルヴァもそれを感じ取っていたのか、自分の両手を握ったり開いたりとしながら、目を丸くしていた。
「十二神を一度全員集める必要があるかもしれないな……」
「ソル……、あの石」
「ガルヴァ?」
「地上に埋まってる時は何も感じなかったのに、……さっき、匂いがした」
匂い? 十二神の中でも、野性味の強いガルヴァの言葉。
匂いに関しては何も感じなかったが、その言葉を無意味だと一蹴するほど、ソリュ・フェイトは愚かではない。
念の為、地上の民達やガルヴァの守護している大地へ浄化の力を降り注がせ、彼らの記憶からあの真っ赤な石の事を綺麗に消し去り、元の生活へと戻した。
そして……、第一の神として生を受けた神々の統括であるソリュ・フェイトの御名の許に、神々が集められる日が決まったのは、翌日の事。