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田沼意次

 さて、江戸を代表する汚職政治家の汚名を着た男の登場である。いわゆる賄賂政治(わいろせいじ)で汚職をおおいに横行させ、幕政を風紀紊乱の窮地に追い込んだとされる。大きな誤解である。

 江戸の時代劇に言う、「おぬしも(ワル)よのう」の悪代官なイメージは鳥居耀蔵(とりいようぞう)、それより悪い暴れん坊将軍などに成敗される悪領主、暴君は田沼型などと言われるが、筆者はもちろん、このようなイメージはあまりにステレオタイプである、と苦言を呈したい。

 まず賄賂についでである。欧米式のビジネスマナー(これも近代突然確立したにわかものもいいところなのだが)が耳慣れた日本人にとってはとんでもないことかも知れないが、武士社会においては賄賂(わいろ)を使わないで出世した武士はいない、と断言していい。これは上下に対して、である。

 そもそも武士社会においては、人に奢れぬ人間は、『棟梁』として人の上に立つことかなわず、例え立場があったとしても『頼りにならない人』と見限られるのが、常識であった。

 遡るが、この風習は下剋上の戦国時代においても当然、守られている。織田信長や豊臣秀吉があれだけ大盤振る舞いし、その場で褒美を与えることを常としたのも、武家社会ではケチは認められないが故なのである。明智光秀の妻が髪を売ってまで、同輩と催す酒宴の費用を捻出(ねんしゅつ)したのも、この理由による。がっつり出世に響くのである。

 即ち出世をしたり実入りがあったら、後輩・同輩を呼んで酒を奢り、上司に贈り物をするのが江戸時代においても常識であり、江戸のあらゆる武士の勘定簿には『付け届け』として賄賂の費用があらかじめ計上されているのが普通であった。

 余計に字数を割いたが、こと賄賂政治においては田沼意次が、批判されるいわれは全くないのである。前出の吉良義央のように、彼が無駄な乱費や無心をし、諸大名家を困らせた、と言う記録もなく、この辺りは、八代将軍吉宗の孫であった松平定信(まつだいらさだのぶ)を取って代わらせようと魂胆を練った反田沼派、一橋家徳川治斉(とくがわはるなり)などの誹謗中傷があったものと思われる。

 意次こそはまさに、江戸官僚主義においてシンデレラストーリーを体現した人物と言って過言ではない。まず田沼家は元来、徳川旗本家でもなかったのである。出自は御三家、紀州家の足軽であった。これがもう一人のシンデレラ、徳川吉宗の部屋住みの折に目をかけられ、彼がめでたく八代将軍に就任した際に、江戸詰めになり、旗本身分を被った。それが意次の父、意行(おきゆき)の代であったと言うから尋常な運命の転変ではない。

 だが才覚あった意次にはうってつけであり、吉宗没して後の家重・家治と二代にわたって重用され、側用人から老中へと前代未聞の出世を遂げる。たった六百石の足軽が、一代で五万七千石の大名になったと言うから、その手腕のほどがうかがえる。

 後年、印旛沼や利根川の干拓にも手を染めたと言うが、意次の政治家としての才覚の一つはインフラ事業であり、最初に任じられた遠江相良藩でも沿道整備や災害対策などに手腕を発揮したと言う。巨視的視野を持った稀有の政治家であったことはまず、間違いない。

 ちなみに俗に田沼時代と言うが、老中時代においても彼が筆頭ではなく、首座の人間は別にいたのである。老中と言う幕政執行部において、意次は総大将的存在ではなく、いわゆる急先鋒だったのだ。しかるに意次は田沼派と言われる部下たちを使い、自在に幕政を切り回した。前代未聞の側用人からの抜擢(ばってき)、と言う華々しい経歴に見合って、その手腕も実に時代の最先端を行くものであったようだ。

 当時、幕政を悩ませていたのは、重農主義(じゅうのうしゅぎ)の崩壊である。始祖徳川家康以来、「石高」いわゆる「米」を通貨とする、米兌換制は崩壊の途にあり、歴代首脳の苦慮の種になっていた。

 そもそも米食は当時から日本人の常識である。どこへ持って行っても物々交換が利き、乾燥させれば何年でも保ったのだ。マルクス経済学で言う、交換可能性(こうかんかのうせい)、流通性、そして価値保存性(かちほぞんせい)があったのである。つまり、金や銀の希少金属よりも当時は、通貨としての通用性があったのだ。

 しかし農作物である米には、抜き差し難い不安定性があった。豊作・不作の波が激しく、しかもそれには大きな地域差があったのだった。江戸時代、各藩の武士たちはお米で給料をもらった。これを米相場に応じた金銀に替えて、他の生活費を賄ったのである。すなわち毎年毎月の米の価格が生活そのものに直結した。

 大藩の大名でもそれは同然であり、年貢米が届く大坂・江戸の大きな川沿いには、米を保管する蔵屋敷がずらりと並び、これを換金する札差(ふださし)、いわゆる両替商がすべてを牛耳ったのである。すなわち、凶作の藩と豊作の藩では、収入に大きな格差が生まれたのだ。

 幕府の閣僚たちは、その格差を埋めるために、新田開発を行い米の流通量を増やしたり、新貨幣(小判)を鋳造して、米価とのバランスを取ろうとしたが、焼け石に水であった。中興の英邁(えいまい)、と言われる『暴れん坊将軍』徳川吉宗も、やったことと言えば「暴れないこと」、最も効果的だったのは「お米=お金をあまり消費しないこと」に過ぎなかった。

 そしてさらなる問題は、凶作をはじめとした自然現象だけではなかった。それが札差をはじめとした米商人の暗躍である。彼らは市場に流通する米が少ないほどに、米の価値が高くなるほどに気づいた。そこで現物の米を買占め、蔵の中で『塩漬け』(市場に流通させないこと)にすることにより米価を吊り上げることを憶えてしまったのだ。現代金融に謂う、仕手戦がこの頃すでにあった。

 ちなみ当時、現在の先物相場に相当する手形や信用取引も登場していた。いわば株価ならぬ『米価金融経済』がすでに猛威を振るい、現物の米の流通量すらを上回るバブル経済をも産み出していたのだ。

 多くの将軍や老中がこれを封じ込めようとする中、意次だけは逆に目をつけ、米商人たちの金融利益を確保する体制を作るとともに、そこから運上金(賄賂である)として利益を吸い上げる仕組みを作ったのである。これが現在では独占禁止法で禁止されている株仲間(かぶなかま)の結成だった。あえて株仲間を作らせたのは、買占めをはじめとした米価操作を防ぐ狙いもあっただろう。

 言い方は悪いが、博打を取り締まるより、博打の元締めになって管理してしまった方が逆に健全である、と言う考え方なのだ。その是非は読んで下さる方の判断に譲るが、結果的に意次の図は当たり、幕府備蓄の金蔵は、最も豊かだったという元禄、五代綱吉以降の最高額を記録した、と言う。

 新田開発事業により雇用も改善し、金融が活発になることで景気が改善し都市労働者たちも潤った。だが意次は問題の根本を見誤っていた。それは米価経済の基本である生産者、肝心のお米を作る農業従事者たちには、一切の利益還元をしなかったことである。

 確かに新田開発により、農業従者は新興されたし、米の流通は活発になった。しかし米価が膨らんだのは生産者からみて川下、流通の末端のはずの米問屋や札差によって、であった。すなわち米商人ばかりが自分たちの販売価格を吊り上げる中、年貢によって米を取られる農民たちは、ちっとも潤わなかったのだ。

 さらには農業人口の減少が過酷な労働環境に拍車をかけた。彼らが贅沢の限りを尽くしてお金を落とす都市部に、人口は移ったのだ。また、米を買い尽くされた後の農村に、ふいの飢饉を防ぐ手立てはなかった。

 天明(てんめい)二年(1782年)から足掛け六年に渡って起きたいわゆる天明の大飢饉は、江戸時代最大の飢饉になった。農村では餓死者があふれ、ついには人肉食が横行したと言う。それでも各藩は飢饉で米価が上がったため、借金返済のチャンスと年貢の取り立てを厳しくしたと言うから、農地を棄て逃散する農民が相次いだ。米価経済のなれの果てが引き起こしたのは本末転倒、日本の稲作農業そのものの崩壊だったのである。

 江戸市中では金儲けのために米を隠し持つ米問屋を襲撃する打ちこわしが流行り、その元凶である幕政への怨嗟の声が上がった。意次はその頃、将軍家治の喪中にひっそりと失脚した。『汚職政治家の代名詞』として幕政失敗の責任を一身に背負わされたのである。

 だが意次一人に、この暴れ狂う米価バブル経済の責を問えるだろうか。餓死者を続出させ、日本の農業の崩壊自体すら招きかねない恐ろしい失策をしたとは言え、意次がそれを意図的に仕組んだのではない。

 米価が高い方が自分にとって都合がいい、と言う個人の合理的と思える判断そのものが、自分たちにとっても最も不都合な結果を招きよせた。彼もまたその巨大な「多数派の沈黙」に身を任せたに過ぎなかったのだ。そう、わたしは思う。

 ちなみにこれを経済学で合成の誤謬(ごびゅう)と言う。どんな豪勢な宝船でも、皆が挙って乗りこめば、転覆する泥船になるのである。


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