■1話■フォル・オト神殿にて
王都から少し離れた静かな街ログト。
今、私は息子ヴィルフレドとともにこの街にあるフォル・オト神殿にいる。
もちろん親子二人だけでというわけではない。
侍女リリアや乳母、女官、王妃付き騎士達はもちろん、料理人やら下働きの者達などが大勢王宮からやってきた。私を含めて全部を客として収容できるのだから、この神殿はかなり広いらしい。
王都内にある神殿ほど華美ではないけど、長閑な雰囲気にちょっと清廉な感じで風情もある。神官や神殿に対しては暗いイメージしかもってなかった。でも、それは私の偏見だったらしい。
ここの神官は気さくな感じで、神殿には町の人々も気軽に訪れて神官に声をかけていた。町の集会所みたいな、どこか田舎じみた雰囲気を感じる。集会所というには建物の規模が少々大きめだけど。
のんびりしてそうなのに、騎士達はピリピリしていた。誰でも簡単に神殿の内部まで入れてしまうことや、古い建物特有の秘密通路があちこちにあるせいで、とても警戒が難しいらしい。
私は王妃という立場だし息子は王太子だから、国の重要人物なわけで、彼等の警戒も理屈としてはわかる。
それはわかるんだけれども、ほんとにのんびり空気なものだから、こんな場所で何がくることもないでしょとついつい楽観的になってしまう私。
悪いなと思いつつ警戒云々は全てを騎士達に任せて、私は窓の外に目を向けた。
澄んだ青い空、爽やかな緑の丘が広がっている。その絵になるような長閑な風景には気分がほぐれ、和む。
ここには王宮では味わえない解放感があった。
王宮の暮らしも悪くはないけど、王宮から出られないのはやっぱり閉塞感があるわけで。
今はすっごく自由な気分だった。空気の味も違うような気がする。
ここに私達が到着したのは昨夕のこと。
私がどうしてこんなところにいるのかといえば、数日前に陛下からフォル・オト神殿へ向かうようにと通知を受けたためだ。
あの陛下が。あれだけ王宮を出るのは危険だと言っていた陛下が!
私は何度もその文面に目を通した。
読み間違い? 勘違い? しかし。
――王妃は北の街ログトにある神殿フォル・オトへ向かえ
何度読んでも内容は変わらず、ひっくり返しても逆さまにしてもどう読んでも、それは間違いなく陛下からの通知だった。そして、侍女リリアや王妃付き騎士ボルグにも王妃とともに神殿に向かう準備をせよとの指示が出されていた。
だから間違いない。
あの陛下が、とうとう私に旅行をプレゼントしてくれた。あの陛下が。
あの陛下が! 一体何がどうしたのか。
何でもいいわ。陛下、ありがとうっ!
常々、旅行っていいよねとか、街を歩いてみたいなとか、王宮の外でブラブラしたいわとか、陛下のいるところで散々独り言を言い続けてきたけれど。陛下には全く取り合ってはもらえなかったけれど。心のどこかには残っていてくれたらしい。独り言をつぶやき続けた成果が今ここに……。感無量。
何事も諦めず、執念深く繰り返し繰り返し繰り返しこれでもかと繰り返し訴えて、諦めないこと。さすれば汝の夢は叶えられん。
私は感慨深く陛下からの文書を胸に抱きしめた。
そして、陛下の気が変わらないうちにと侍女リリアや事務官吏ユーロウスと打ち合わせ、旅行の手筈を整えた。
発つ前には陛下に直接お礼を言いたかったけど、陛下は今とても忙しいらしく全く時間がとれないとかで会うことはできなかった。
ま、国王様は忙しいものだし、邪魔するのも何だし、旅行を遅らせるのも何だし。で、結局、私は陛下へのお礼は手紙に託した。
そうして王宮を発ったわけだけれども。
王妃の旅行で、しかも小さな息子の王太子も一緒なものだから、そう簡単に出発できたわけではない。旅行に必要な荷物を準備するだけでなく、旅行に同行する女官達下働きの者達、料理人まで選んで準備させなければならなかったのだ。
最終的には神殿への旅の同行者は騎士をのぞいて総勢二十名以上にも膨らみ、馬車が何台も連なる非常に大げさな隊列となった。こんなのが王宮を出れば、何事かと人々の目を引くのも当然のこと。
大通りでは多くの人々が手を振って見送ってくれた。
別にそれが嫌だというわけではないけれど。次は身分を隠してひっそり旅行したいわと呟くことにしようと私は固く決心した。
そんなこんなで神殿フォル・オトに到着したのが昨日の夕刻。
小さな子連れの旅だから頻繁に馬車を止めて休憩していたため、本当にゆっくりとした旅路だった。本来なら一日半も走れば着くらしい距離を三日もかけたのだから、同行者達もさぞ疲れただろうと思う。
だから、今日、私は息子のヴィルフレドと神殿の一室でのんびり過ごすことにしていた。私が動くと皆が休めないからだ。
しかし、こうしてのんびりしている間に、明日以降の予定を決めておかなければならない。騎士達や女官達にも都合があるから、少しでも早く伝えておかなければならないのだ。
私の耳にはまだ入ってこないけど、すでに私が神殿に滞在していることを知ったこの地方の有力者が神殿に様子伺いに訪れていると思われる。この街の近辺の領主達とその地位の順位を再確認しておかないとと思っていると。
「王妃様、王宮から陛下の使者が王妃様への面会を求めておりますが、如何いたしましょう?」
侍女リリアが尋ねてきた。
手紙ではなく、陛下がわざわざ使者を寄こしたのなら、急ぎの重要な知らせなのだろう。嫌な予感しかしない。嫌な予感しかなくても、選択肢はないわけで。
「会いましょう。ヴィルをお願い。騎士達を残して、皆下がっていて頂戴」
「はい」
問題ない知らせでありますようにと願いながら、私は使者と会うための部屋へ向かうために腰を上げた。
陛下からの使者に嫌な予感をいだきつつも、たいしたことないはずよと無理やり笑みを作り顔に張り付けて迎えたのだが。
部屋に現れた男性は、陛下の使者にしては灰色の地味な衣装を着た、どことなく陰気な雰囲気の男性だった。
陰気というか、陰湿なというか。顔に笑みを張り付けているけれどどこか歪んだ空気を発している。
使者は腰に剣を携えているけど、その様は室内にいる騎士達とは違うし、王宮の官吏という雰囲気でもない。
王宮の者にしては地味で、なんだか薄気味悪かった。王宮の官吏ならエリートなのだからもっとキリッとしていそうな気がするし、騎士ならばそれこそ隙のない立ち姿だと思うしで、違和感が満載だった。
嫌な知らせだったらと思って面会したせいなのか、嫌な印象ばかりが膨らんでいく。
王宮官吏や騎士というよりも、この使者には時々私のところに面会にくる高慢ちきな貴族に似た印象を持った。陛下の使者ならそれなりの身分なのだろうから、どこかの貴族男性なのかもしれない。
そう様々に憶測している私の前で、陰気な顔をした男はいきなり喋りはじめた。
通常ならあるはずの王妃様への挨拶も、ご機嫌伺いの美辞麗句もすっ飛ばして。私は国王よりの使者である、と。
別に美辞麗句を言って欲しいわけではなかったけれど、前置きくらいはあってもいいだろうに。
「王妃様が王家に代々受け継がれてきた王宮の秘宝を喪失させたため、国王陛下のお身体に異変が生じ始めております。王宮の秘宝は王を護り、我が国を護る大事な宝。それを喪失させるとは、いかにご寵愛厚い王妃様であろうとも許される事ではありません」
前置きをすっ飛ばした使者の言葉は、私には全く意味不明な内容だった。
何が、どうしたって?
私は首を傾げた。首を傾げたからといって理解できるわけではなかったけれど。
使者、こっちの反応見ようよ。
私は使者のあまりの態度にゆっくりと瞬きをした。笑みはキープしたものの、目はすわったかもしれない。