おまけ話(夜の部屋で(ナファフィステア視点))
おまけ話(執務室訪問者の災難)と同日のナファフィステア視点です。
調子が悪そうだというのに陛下はやっぱり忙しくて、執務室でいつも通りに仕事をさせようとする宰相をついつい睨みつけてしまった。
でも、国王が執務を滞らせると大変なのだろうとも思うから、口を挟んだりはしない。
しないけど、睨んではおく。
宰相だけじゃなく、官吏達も。
陛下が老けて見えるのは、きっとこの激務のせいに違いない!と私は確信した。
もっと陛下が楽できるようにならないの? 有能な臣下が大勢いるのだから、王様ってもっと楽できてもいいんじゃないの?
という不満が湧きおこり、ふと自分を考えると……ここにいても何の役にもたってないわけで。
私にできることが……ない、ないわ、全然ない。はっきりいって邪魔者でしかない。悔しいことに、全く。
そんな状態でも仕事をこなしていく陛下は、いつもと同じ無表情だけど、少し、いや、かなり格好よく見えた。
陛下の膝に座っている私の太股をずうっと撫でているとしても。
夕食を終え、陛下に連れられ部屋のとある一室へ移動した。そこは、陛下の部屋の中でも上階にあり、あまり使われない部屋だ。
夜風が吹き抜ける涼やかな小部屋で、ここからは王都の景色がよく見える。建物から少し出っ張った作りになっていて、大きな三つの窓を開け放っている今は部屋を夜の空間に溶け込ませていた。大きな窓が街明かりが点々と輝く静かな夜の街を闇に浮かんでいる。
そんな部屋の灯りは光量を抑えられ、淡い明かりのみで、焚かれた香もほんのりと漂い他の部屋とは違った風流を醸し出している。
昼間、陛下が格好いいと思った後なので、こういうムード満点な部屋だとちょっと戸惑う。照れくさいというか、何だかこう、落ち着かない。
私は、陛下の隣で足をぷらぷらと揺らした。
陛下の部屋のソファはどれも豪華で立派で、陛下サイズなのでとても大きい。行儀は悪いけど、爪先付き姿勢は時々足がつるのだから、ちょっとぶらぶらさせるくらいは許される、はず。
そんな言い訳を心の中でつぶやきながら、そわそわしてしまう。
いつもなら、私の部屋か陛下の部屋で着替えて、そこでお茶飲みながら私が勝手にしゃべってから寝るんだけど。今夜は勝手が違う。
陛下が体調を崩すなんて私が知る中でははじめてのことだし、いつもと違う空気の部屋だし。
この部屋には以前何度か連れてきてもらったことがある。妊娠中に数回。
その時は夜ではなく夕方で、ここで窓から街が赤く染まっていく景色を眺めるのはとても素晴らしかった。
それがとても気に入ったのだけど、ここへ来るには幾つもの階段があるため、陛下が早く仕事を終えた時にしか連れてきてはもらえなかった。
今は出産して身軽になったから階段があっても問題ないはずと一人でも風景を眺めに来たいと陛下にお願いしたことがある。だけど、私一人だと許してくれなくて。この部屋は陛下のプライベート空間だから、そこには王妃でも無断で入ることができなくて。ここは私だけでは来ることができない部屋。
この部屋に来るのは数ヶ月ぶり。夕方だけでなく、夜もこんなに綺麗だとは。
静かで小さな闇に融けたようなこの部屋は、ムードもあるけど、考え事をするには最適そうにも思える。
陛下は何か深刻な悩みでも抱えているのかもしれない。だから、静かな所で落ちついて考えたいことがあるのかも?
体調を崩したのは、そういう精神的なことが引き金に?
私がここへ来た理由を探している間に、女官が私にはお茶を、陛下には酒を運んできた。
「明日は街へ降りる」
女官が部屋を下がると、唐突に陛下が切り出した。
私は食後のお茶を飲みながら、隣に座る陛下を見上げる。
街へ降りる……ということは、王都の街へ出るということで。
街へ……。
口に含んだ茶をゴクリと飲み込んだ。
腰にはまだ陛下に繋がる紐が結ばれていて……。
もしや、私も一緒に街へ行ける、の、かも?
いやいや、陛下は仕事なんだろうし、深刻な事情があるのかもしれないし。体調の悪そうな今この時期に出掛けるのは、止めた方がいいのでは?
いろいろ考えてしまうけど、やっぱり私の頭には「私も行きたいです!」という主張がうるさいほどにチラチラと瞬く。
ダメ駄目! 陛下の心配が先でしょ!
でも、街へ出る! 行きたい!
あぁっ、葛藤がっ。
「でも、陛下。今は体調が悪いのに大丈夫なの? 王都に出るのは危険なんでしょう?」
「身体は問題ない。定期的な街歩きだ。今回は騎士姿で街へ出るため、狙われる危険は低い」
「でも……」
行きたい! 行きたーい! 私も行きたいーーっ!
という言葉を胸の内にぐぐっと押し込み、陛下に問いかけた。
けど、陛下は隣に座る私の腰を引き寄せ、珍しくも口元を緩めて見下ろしてきた。
悩み事という雰囲気では、ない。
ムーディな背景もあいまって、私は陛下の方に身体を傾けた。
ちっとも動かない大きな身体は、逞しくて頼もしい。
これは、私も行きたいですって言ってもいい感じ?
私も街へ行きたいって思っていることは陛下も知っているはずだし。
私はしょっちゅう街へ出たいってぼやいているけど、陛下はいつも危険だからと言って許可してくれない。
許可してくれなくても、何度もアピールしていれば、いつかは実現するかもしれないと呟きを繰り返してきた。
危険は危険なんだろうと思いはするものの、陛下がいうほどとも思えなくて、私は常々こっそり街へ出る機会を狙っていて。
だけど今は、あの仔犬のせいで王宮から私が突然姿を消したため、王宮中に迷惑をかけた直後だから、何かの行動に出るのは自粛中。で、当分無理かとガッカリしていた矢先で。
いやいや、陛下を気遣うのが先でしょう!
めずらしく陛下が体調を崩しているのだから。
と自分を叱責する。けど、その私の頭の中で期待が膨らんでしまう。
だって今ならOKもらえそうな気がする!
陛下と一緒だから!
いや、でも仕事の邪魔になっては……。
うーっと悩む私を、陛下はひょいと抱えて膝に横抱きにした。
本当に陛下はこの態勢が好きらしい。
「加奈」
ずっと近くなった距離で、陛下が私の名前を呼んだ。
至近距離でみる青い目はわりと怖いんだけど、小さく抑えた陛下の声は耳にも腰にも響くから困ってしまう。
そんな声で加奈って呼ばれると、特に、グズグズになって、困る。
頭にキスなんかされるものだから、照れくさくて顔を上げられない。
「そなたも一緒に連れて行く」
「ほんとにっ?」
顔上げられないって思った直後、私は勢い陛下を見上げた。
「本当だ」
口元を緩めた表情だから、陛下ちょっと素敵。
私はそんな現金なことを思いながら、陛下の首に腕を回して、陛下に迫る。
「本当に本当? 後から辞めって言っても、絶対に着いていくわよ?」
「本当だ」
「ありがとう、陛下っ!」
首に抱きついてというか首にぶら下がって、盛大にお礼を告げる。
あぁ、ボヤキを繰り返してきた甲斐があったわ。
陛下は、私の身体を支えて向き合うように変えてくれたんだけど。
唇を軽く二回ほど軽く合わされて……それから至近距離の陛下が動かずに待っている。
吐く息が互いの顔に当たって。
どうしよう。雰囲気が、甘い?
「……陛下……」
「明日は、名前で呼べ」
「アルフレド?」
「そうだ」
街で、陛下、なんて呼んだらマズイっていうのは当然なのだけど。
陛下を名前呼び……。
私にとっては、陛下っていう単語の音が、陛下の名前のようなものだった。だけど、陛下にも名前があるわけで。
そりゃ、書類のサインで見るし、知ってはいた。でも、口に出してその名を呼ぶのは、はじめて、かも。
「アルフレド?」
陛下、嬉しそう? 若干……そんな風に見えなくもない。
嬉しいなら嬉しいって表情しようよっていつもなら思うところだけど。
これはこれで、いいです。うん。
私が名前を呼ばれるのが嬉しかったように、陛下も嬉しいのかもしれない。
今は、陛下の名前を呼ぶ人は、誰もいないみたいだから。
私が名前を呼んで、恥ずかしいついでとばかりに陛下にキスをすると、濃厚なお返しが帰ってきた。
そうして、また、じっと待たれてしまう。
私が陛下の名前を呼んで。キスを待たれて。お返し受けて。
クスクスと笑いながら繰り返す。照れくさいけど、楽しい。
もちろん、それだけでは終わらなくて。
明日は街へ行くから……とかいう思いも頭を過ったんだけど。
過った、だけで。
私達は濃厚な夜を過ごした。
いつの間にか窓の外には綺麗な月が浮かんでいた。