■24話■暗闇からの脱出
暗闇の中、身体に受けた衝撃をやり過ごした私は何とか声を絞り出した。
「大丈夫、騎士クオート?」
騎士達が呼んでいたから一緒に落ちたのは騎士クオートだと思ったのだけれど。返事がない。
嫌な予感がする。動く音が全く聞こえてこないのだ。
「騎士クオート?」
暗闇で痛む身体を起こし、返事をしない騎士クオートの腕が見えた方向へと這うようにして移動する。でも、床はデコボコとした固い石の部分と土の部分があるらしく、この暗闇の中では近くにいるはずのクオートまで辿り着くのも容易ではかった。
「騎士クオート? 大丈夫?」
動きながらも私は声をかけ続けた。声が震える。伸ばす指が、震える。痛みではない理由で。
落ちる時に私のドレスが引っ張られたように感じた。きっと、騎士クオートが私を庇ってくれたに違いない。その彼が、返事をしない……。
ようやく騎士クオートの腕に触れた。けれど。
その腕からは何の反応もなく。何度呼びかけても、息を殺して耳を澄ませても、呼吸音は聞こえてこなかった。耳が痛くなるような音のない世界で、彼の身体はまだ温かいのに、動かない、らしい。
その身体から流れているのか生温かい液体を指に感じた。騎士クオートの血だろうか。
いくら高い場所から落ちたとはいえ、彼なら私を庇いさえしなければ助かっていたかもしれない。いや、落ちることすらなかったのではないのか。
私が落ちてしまったから。私が自分で身を守れなかったから。
私が、王妃だから……。
無音の暗闇が私をやわらかい何かで押しつぶしていく。鼻から口から否応なしに入り込んでくる腐臭に息が苦しい。
上にいるはずの騎士達の声もここには届かない。
私はまだ生きているんだろうか。実はもう死んでいるんじゃないのか。
騎士達は私がここに落ちたことを知っているけど。あの炎が消えても、神官長は粉と火があればどこででも術をかけることができる。
あの後、他の火でまた術をかけていたら。騎士達も私のことを忘れてしまったら。誰も私を助けに来ないかもしれない。
体中が痛い。
耳が痛い。腰が痛い。手が痛い。頭も痛い。
陛下は、どうして来ないの?
わかっている。術をかけられてしまう、こんな場所へ陛下が来てはいけないことくらいは。十分にわかっている。
陛下が怪しんでいるらしい神殿に王妃が現れたと知れば、陛下が騎士達を乗り込ませるに違いないと考えたのだけれど。
でも、本当は。
陛下だったら私を助けに来てくれるはずだと思いもした。私を覚えていたら、絶対に来てくれるはず。そう、思った。神官長の術にかかっていて陛下は私を忘れているんだから仕方ない。けれど。
それでも、私を覚えてなくても、私を助けに来て欲しい。
どれだけ時間が経ったのかわからないけれど、私は立ち上がった。
まだ動ける。私はまだ生きている。
ここは日本ではない。だから、私はここに生きている。
立って、助かる道を探さなくてはならない。ここで死んだら私の身体は日本に帰る。そんなことになったら、騎士クオートの死は何になるのか。
私は生きて、騎士クオートの死を彼の仲間に、家族に、伝えなければならない。彼のおかげで王妃は助かったのだと、生きて伝えるのだ。必ず。
騎士クオートの血で濡れた手を握りしめ、私は暗闇の中で立ち上がった。
ここを出なければ。
その一心で私は軋む身体を動かす。
こうした閉じた空間は壁に仕掛けがあってどこかに出入り口がある場合が多い。王宮内の隠し通路はたいていそうなっている。だからここにもあるかもしれないと考えたのだ。
私は何度も躓きながら足を進め、壁まで到達すると、その石壁を触って何かないかを探した。そして手の届く場所の石を順番に押していく。内側に仕掛けがなくて外からしか開けられないかもしれないけど、可能性がないわけではない。今の私には壁をよじ登ることはできそうになくて、これくらいしかできることはないのだ。
きっと助かる。そう信じて。
私が黙々と作業を続けていると。
ギュィィッという耳障りな音が聞こえてくるようになった。それは凄く小さな音で、私が叩いている石のせいではない。私のいる空間内の音ではないと思う。
何かが、動いている? またどこかに落される? ここに水でも流れてきたら……。
いいや、あれは私を助けるための何かの音に違いない。
そう思いながらも気が焦る。手は固い石を連打してしまっていた。
大丈夫、大丈夫。私は大丈夫。
そう念じながらも効果はあまりなく、焦燥が襲う。恐い。
これじゃない、これも違う。石壁を押しては移動、上から下へ、右から左へ。
その間もギュィィッと耳に痛い音は止まらない。
陛下、陛下! 陛下っ!
悪夢を追い払うように唱える呪文は、陛下、だった。
でも強そうだから陛下なら絶対効果があるに違いない。
実戦だったら絶対に騎士ボルグとか騎士ウルガンとか騎士達の方がきっと強いとは思うけど。
なぜか悪魔でも悪者でも何でも陛下なら強いから追い払ってくれるような気がした。もちろん陛下が万能だと思っているわけじゃない。国のためにはきっと私を殺すこともあり得る立場なんだと理屈では思う。
思うけど、心底では、私を見殺しにはしないと思っている。私を助けにきてくれるはずだと思っている。そこに明確な理由なんかなくて。それが真実かどうかは関係なくて。私がそう信じている、ということ。
だから私は神様仏様のかわりに、陛下を唱えているのだ。
そう自覚すると焦っていた気分が落ち着いてきた。あれこれと考えるよりも、もっと深い場所で、私は陛下を頼りにしているらしい。
陛下もきっと待っているから。みんなも待ってくれているのだから、出口を探そう。まだ、私は動ける。
さあ次の列をと立ち上がり上の石壁に手を置いた時。
ギュィッギィィッ、という雑音がより大きくなった。
その発信源は石壁からのようだが、私の手元ではない。右上の壁?
私は動きを止めて耳を澄ます。
奇妙な音だけではなく、人の声を含んでいるように聞こえる。どこからか、音が漏れ聞こえてきているのだ。
さっきまではなかった。
ということは、どこかに隙間ができた?
本当に助けが来ている?
「誰かいるの!? 私はここよっ。誰かっ、誰か、返事をして!」
音の主が神官だったらとかは考えなかった。
私を探しに来た誰かに違いない。絶対そうに違いない。
私は何度も大声を張り上げた。
――ナファフィステア
幻聴?
でも、そう聞こえた。
変な音と人の声が混じった雑音。その中で、私の名前だけ聞きとれるはずはないんだけど。
もっとよく聞こうと右上の壁に近付こうとするといきなり大きな音をたてて何かが床に落ちた。
そこから光が差し込む。暗闇に目が慣れていた私にはその光は眩しすぎた。視界の白さに目がくらむ。
「ナファフィステアっ」
幻聴ではない。それは陛下の声だった。
「陛下っ、陛下、陛下っ」
馬鹿みたいに何度も陛下を呼びながら、私は高い位置にある光の差し込む穴に手を伸ばした。痛みなんて吹き飛んでいて、踵を上げて上部を探る。
陛下がいる。そこに。助けが来てる。
必死に伸ばした私の手を、大きな手が包み込んだ。
「ナファフィステア、無事だったか」
陛下が私の名を呼んでいる。陛下の記憶が戻ったんだ。
よかった。
「陛下……」
「ナファフィステア? ナファフィステア、どうしたのだ!? 返事をしろっ、ナファフィステアっ」
陛下の声を聞いた私の全身から力が抜けていく。張り詰めていた緊張の糸が途切れたためか、脱力に襲われていた。壁に張り付いて立っている状態だったけれど、膝の力が抜け身体を支えられずに沈んでしまう。伸びきった腕が痛い。それでも陛下に繋がれた手を離して欲しくはなかった。
「ナファフィステアっ」
「……陛下……」
陛下の必死な呼びかけに答えた私の声は弱々しかった。どうしたんだろう。全身を襲う脱力感のせいで小声になってしまったらしい。それに明るい光があるのに、陛下がいるはずなのに、声のする方向には白しか見えない。どうやら私は目が見えていないらしい、そう思ったのが最後だった。




