第三話
朝食を終え、綺麗に洗濯されたドレスに着替え、私は気を落ちつけた。
腹の虫は全然収まらないけど、この館の方々に当たり散らすほど私は暴力的ではない。
昼にはオーエンス夫妻と一緒に食事をすることにした。
オーエンス夫妻は王妃様と同席するなど恐れ多いと辞退したがっていたけど、突然押しかけて申し訳ないのは私の方。
あの仔犬のせいとはいえ、オーエンス夫妻がいい人達で助かった。
何とか恩を返したい。
それもあって、昼食を一緒にしてもらった。
食事を一緒にとるというのは、それだけ気を許している関係だとの表明になる。
それをわかってくれたのか、夫妻はできるだけ堅苦しくない接し方に変えてくれた。
ほんとに、これはありがたい。
彼等が貴族位をもたないということも良かったのかもしれない。
食事の話題は、この領地のことになった。
この辺りは荒地ばかりで収穫効率が非常に悪い土地らしい。
オーエンス氏は周辺貴族から領地を買い、敷地面積を増やしている。
荒れ地でも育つ作物を改良して育てているらしいけど、なかなか安定した収入にはならないという。
「ここは、穴を掘ればお湯が湧くと聞いたのだけど」
「はい。非常に珍しいことですが、ある特定の場所を掘りますと湯が出てまいります。このような小さな田舎のこと。さすがは王妃様、そのようなことまでご存知でいらっしゃいましたか!」
それ知ってたのは、仔犬なんだけど。
でも王妃の格好がつくから、この際、私が知っていたことにしてしまおう。
「オーエンス氏は、温泉街というのを知っていて?」
私はやや勿体ぶるようにしてオーエンス氏に話をはじめた。
壮大な私の夢の温泉郷について。
オーエンス氏もふむふむと興味深げに耳を傾けてくれるものだから、私の口も滑る滑る。壮大な話につい熱がこもってしまう。
「ここは王都からも近いですが、集客できるかが問題ですな」
「貴族達は、なんだかんだといって娯楽を求めているもの。王都の羽振りのいい実業家達に投資させましょう。彼等なら、利益のために金を持っている貴族達へ宣伝してくれるはずよ。役者を雇って宣伝するのもいいわね」
「は、はいっ」
「オーエンス氏、早速、私が投資するから、湯が湧く場所とその周辺の土地を買い集めてちょうだい」
「承知いたしました。そうなると、じきに多くの働き手が必要になりますな。建築関係、そして宿。食事処なども」
「そうね。道の整備も必要だわ」
私とオーエンス氏が熱心に話すのを夫人はニコニコと聞いていた。
私よりかなり年上のようだけど子供には恵まれなかったらしく、この屋敷には夫婦だけらしい。本当に仲のよい夫婦のようで、館全体が温かみのある居心地のよい空間となっている。
理想的な夫婦で、いいな、と思った。
食堂から場所を移し、居間で時間を忘れてオーエンス氏と地図を広げてああでもないこうでもないと白熱していると、客の来訪が告げられた。
その直後、無作法な男が部屋へと入ってきて。
「王妃様がいらっしゃると聞き及び、参上いたしました。このようなみすぼらしい荒屋ではなく、ぜひ我がガーシッサス家にお越し……」
貴族らしい男は、部屋の中を見て言葉をとぎらせた。
正確には、私を見て。
ちっ。
館の主を無視した振る舞いには虫唾が走る。
せっかくのほんわかした空気がこの男の登場のせいで既にない。
「王妃様は、どちらにおられるのか、オーエンス」
キョロキョロを室内を見回す男に、ここにいるでしょうよ、と苛々しつつ黙っていると。
そうだった。
私は今、金髪のチビだった。
私のトレードマークである黒髪がないのだから、この男が私に気付かないのも不思議ではない。
うーん、王妃と気付かれないのはいいのか、悪いのか。何とも微妙な気分だった。
オーエンス氏は困ったように私を見た。
私が王妃だと言っていいものかどうか悩んでいるらしい。
「私が王妃ナファフィステアです。今、私はオーエンス氏と面会中です。出直しなさい」
金髪だからといって王妃であることを隠しても仕方がない。館の人々は皆知っているのだから。
私は立ち上がり、男を睨み据えた。
しかし。
効果はなかったらしい。
「あーーっはっはっはっ。お前が王妃様だと? 笑わせやがる。オーエンス、こんな金髪ブスチビに騙されているのか?」
金髪ブスチビ……女性に向かって言ってはならぬことを。
この男、許さん!
「出直せと言っているのが、聞こえないの?」
「王妃様! ガーシッサス卿、無礼な真似は控えなさい。困るのは、貴方なんだぞ」
「あっはっはっはっ。オーエンス、王妃様のことを知らないのか? ああ、お前は貴族位を持たないから、知らないんだな。王妃様ってのは、遠くからでもわかる真っ黒な髪をお持ちなんだよ。こんなありふれた金髪じゃない!」
そう言って、男が私の頭に手を伸ばしてきた時。
「私の妻に、触れるな」
重々しい声が響いた。
手を伸ばしてきた男は手を止めたまま、振り返った。
卿だけでなく、オーエンス夫妻も使用人達も、皆、視線は騎士達を従えた戸口の男性に向けられ、誰もが声を失ったかのよう。
視線の中を比較的簡易な出で立ちの陛下が堂々と進む。
私は陛下の目に止まりたくなくて、俯いて身体の向きを変えた。
そんなことをしても、室内に逃げ場はないんだけど。
「妻が世話になったようだな、オーエンス。後で褒美をとらせる」
「身に余る光栄でございます、陛下」
陛下はオーエンス氏に向かって言葉をかけた。
そういえば陛下の到着が早すぎる。
私は朝手紙を出して欲しいと頼んだけど、昨晩のうちにオーエンス氏が王宮へ連絡していたのだろう。
「陛下っ、陛下にお目にかかれ」
「今、これは身分をふせて静養していたところだ。お前が私の妻に触れようとしたことを、咎めはせぬ」
陛下は私の身体を抱き上げた。
いつも慣れ親しんだ場所に、私はほっとした。
そして私を見た陛下の態度が変わらなかったことに。
でも、まだわからない。
私は陛下の胸元に顔を伏せた。
「だが、今後、私の妻の視界に入ることは許さぬ」
陛下はそう言いおくと、その場を後にした。
私は陛下の腕に抱えられたまま馬車に乗り込む。
その馬車は堅固さと速度を重視した作りで、華美豪華さは控え目だ。あくまで控え目なだけ。
これは実用を重視しているのだろう。
馬車は物凄く大きな音を立てて走っていく。流れる風景の早さは、他の馬車とは比較にならなかった。
それにしても、こんな騒音の中では会話もできない。
奇妙な今回の件についての話は、王宮についてからかな。
そう思ったのだけど。
「どういうことだ、ナファフィステア? 二週間もどうするつもりだったのだ?」
私の耳元に唇を触れるようにして、陛下が尋ねた。