■21話■騎士ボルグの救出
「もう休んでいいわよ、リリア。後で私と交代してくれればいいから」
「いいえ。一日や二日働き通しくらいでねをあげるようでは、王宮女官は務まりません」
「そ、そう」
王宮女官は厳しい職業らしい。
もうすぐ空も白みはじめようという時間で、騎士達の半数は神殿に出ているので家の中は静まりかえっていた。
コンッと軽いノックの音もやけに大きく響く。
リリアが戸を開けると、騎士ヤンジーが入ってきた。
「作戦は成功したようです。すぐに戻ってくるでしょう。ですが、外の騎士に知られたようです」
外の騎士とは陛下がこの家を警護させているらしい騎士達のことだ。
通常なら陛下付き騎士である騎士カウンゼルから陛下側の意向をくみ取ることができるのだが、今はそういうわけにはいかない。
陛下にどういう情報が伝えられるのやら。
「仕方ないわね、こう出入りが激しくては……。事務官吏ユーロウスに陛下の様子を探らせて」
「はい」
私のことはいいけど……後々騎士達が咎められるのは防がなければ。騎士達だけでなくリリアもここで雇っている人達の事も。
私もすっかりここの人になったなと思っていると玄関の方が騒がしくなってきた。
夜中よりも騒がしいのは、成功の喜びのせいなのだろう。
私は騎士ボルグを出迎えるべく立ち上がった。
「申し訳ありませんでした」
戻ってきた騎士ボルグは平静を装っている風だったけれどその表情は険しく、かなり悔しそうだ。
「無事に戻ってきてくれて嬉しいわ」
「はっ」
「私のことは、覚えている?」
「はい」
陛下のことや騎士カウンゼル達のことを知っている騎士ボルグには私が何を聞きたいのかわかっていたらしく、神殿での出来事を詳しく語ってくれた。
見当をつけていたとおり、神官長が持っていた手燭の炎が命令を効かせる重要アイテムだったらしい。
騎士ボルグは神官達に囲まれた後、ひきずられるようにして神殿地下の小部屋へと放り込まれていた。木戸の隙間から漏れる光だけの暗い部屋で、何かで縛られているわけでもないのに身体は自由にならず立っているだけだった。
そこへ手燭を持った神官長が現れた。
そして。
「ボルグよ。何のためにここへ侵入したのか?」
「神官見習いのウェス・コルトンを救出するため」
「ボルグよ、それは誰の命令か?」
「王妃様のご命令」
「王妃はウェス・コルトンを救出してどうするつもりか?」
「知らん」
「ボルグ、王妃はウェス・コルトンをどうするつもりだと思うか?」
「わからん」
「……まあいい。ボルグよ、王妃はこの国を破滅に追いやる恐ろしい魔物だ。ボルグ、必ず王妃の息の根を止めるのだ。それまで、お前は言葉を使うことを禁ずる」
そう言って、神官長は部屋を出て行った。
再び残された暗闇の中でボルグはしだいに王妃を殺さねばならないと考えが変化していくのを感じていたらしい。そんな者を排除することこそが自身の使命なのだと言い聞かせるのだが、そんな言葉は薄れていき。神官長の言葉ばかりが頭を満たしていくのを止めることができずにいるところへ騎士カウンゼルが現れたという。
陛下の方でもエテル・オト神殿に何かがあると探っていたらしい。
だが、ボルグは騎士カウンゼルに神官長の命令を伝えることができなかった。口は思うようには動かない。このまま時間が経てば自分が王妃を殺しに戻ってしまう。そう判断した騎士ボルグは神殿の地下小部屋から脱出した後、騎士カウンゼルに短剣で攻撃を仕掛けた。彼ならやすやすとは倒せない上、こちらが本気だと知れば反撃せざるを得ない。彼ならば武装の違いもあり最終的に捕らえるだろうと考えたのだ。
騎士カウンゼルも最初は戸惑っていたが、ボルグは簡単にやり込められる相手ではなく。二人はしばらく神殿の暗闇でやり合っていたらしい。
そうこうしているうちに、神殿に騎士クオート達が到着し、騒ぎとなった。神官長を見つけ出し、手燭を手から落とさせたらしい。突然、騎士ボルグは何とも言えない解放感と虚脱感に襲われたという。動きが止まり、あやうくカウンゼルの剣を身に受けそうになった。おそらく、その時が手燭の炎が消えた時ではないかと騎士クオートに合流してから思ったらしい。
「神官長の手燭の炎が消えたことで、騎士カウンゼルの記憶は戻った?」
「いいえ。戻りませんでした。神殿の神官達にも変化はありません」
「そう……」
騎士カウンゼルに変わりがないのなら、陛下にも変わりがないのだろう。
騎士カウンゼルはボルグ達と一緒に神殿を出たが、途中でボルグ達と別れた。陛下に報告するため王宮へ戻ったのだ。どう行動するかは互いに口にはしなかったという。カウンゼルの中で王妃の記憶が薄い今、ボルグに関してどれほど信頼が残っているのか。
今晩の王妃付き騎士達の神殿侵入を見ており、ボルグとクオートとの会話も聞いていた。だが、今のカウンゼルは記憶をなくす以前とは違い、陛下が何を掴んでいるのかを全く漏らさず、ボルグから状況を聞こうともしなかったらしい。
陛下にどんな報告をするのか。見た事実を曲げはしないとしても、王妃付き騎士達が神殿に侵入したことは紛れもない事実なのだ。
そして。
「神官長はボルグが術から解放されたことを知っているかしら?」
「知っているでしょう。騎士クオートの話では手燭を隠そうとしていたようですから、炎に意味があるのは間違いないはずです」
神官長はどうするだろう。こちらが炎を消せば術が破れると知ったのを気付いた?
騎士ボルグも戻ったし、神官達では武力的に騎士達に対抗はできないんだから、普通なら逃げそうなものだけど。神官長が怪しげな術を使うことをボルグは知っていて、当然、それが王妃に伝わるわけだから。
でも、陛下に知られたわけではない。陛下に忘れられた王妃の言葉など、重要性は低いとも考えるだろうか。陛下に王妃を忘れさせた本人なら逃げるよりも、むしろ私を消す方を選びそう。そのためにまた誰かを操るかもしれない。あの偽使者も、その一人だったのか。誰かが、陛下や国政に大きく関与する人物が術にかけられたら……。
一刻も早く、陛下や騎士達の術をかけた炎を見つけ出さなくては。神官長が何かする前に。
でも。
それ、できる?
神殿からウェスを連れ出すくらいならまだしも。確証もなく、あるかないかわからない炎を騎士達に捜索させていいものか。
それに、私が騎士達に勝手な命令を下したら、陛下を邪魔することになりはしない?
騎士カウンゼルから、夜に走った騎士から、陛下はどれだけの情報を得ていて、これからどうするのか。わからない。
陛下に全てを報せるべきなのはわかっている。陛下に全てを任せるべきに違いない。
けれど。
時間が経てば経つほど神官長に猶予を与えてしまう。神官長が何かの手を打つ前に、神殿内の炎を消すべきではないの? そう気が急くのは、誤りなの?
神官長の術についての証拠もないし、私には何の権限もないのはわかっている。今のところ私は私欲のために神殿へ騎士達を侵入させただけでしかない。王妃付き騎士達にこれ以上陛下の指示から離れた行動をさせるべきではない。
そう、思う。けれど。
「騎士セイルは神官長の術にかからなかった?」
「確かめられなかったようです。神官長は騎士セイルの名を知らなかったようですので」
「……そりゃ、そうよね……」
私は鬘を外した。
「私が神殿へ行きましょう。王妃として」
「危険です、王妃様っ」
朝、神殿の正面門が開かれ、一般人と混じって王妃が神殿に入れば、神官達は私に手が出せないだろう。曲がりなりにも王妃なのだし、この黒髪の外見は多くの人々の目を引く。
そんな状況なら神官長は簡単に術をかけることはできないだろう。もしも神殿の中へ入っても、私が戻るのが遅れれば、王妃捜索を理由に騎士達が神殿中を調べることができるのだ。
王妃の我儘なら理由がなくてもできることはある。王妃という地位の女性ならば。
それに。
「きっと、陛下が動くわ」
私を忘れていても、神殿を疑っているだろう今の陛下なら、騎士を動かしてくれるに違いない。失踪を公にはしていないとしても王妃が神殿に現れるという正当な理由があるのだから。……たぶん。




