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いつか陛下に愛を2の後  作者: 朝野りょう
いつか陛下に愛を(王宮の秘宝)編
26/37

■18話■日常(side陛下)

「あら、いらっしゃい」


 呑気な挨拶で出迎える小さな女主人ティアに言葉を返さず、睨みおろした。

 感情は数時間を経てすでにおさまっている。だが、全てが消えるにはまだ時間が足りないらしい。

 時間の経過とともに原因は記憶の中に消え、感情だけが後を引くのが始末に負えない。彼女へのくすぶった悪感情が残っているというのに、それを言及することができないのだ。

 そして何も出来ぬというのに、なぜここに来たのか。それもまた苛立ちの要因となっていた。

 そうした態度に騎士達もこの家の使用人達も感じており、漂う空気は静かに重い。

 ただ一人を除いて。


「丁度よかったわ。まだヴィルは起きているの。会ってやって? しばらく会ってないと忘れられるわよ? リリア、ヴィルを連れてきて」

「はい」


 こちらの不機嫌などどうでもいいのか、ティアは穏やかな様子で家の奥へと案内しながら使用人へと声をかけた。

 忘れられるなどという表現は、今の余に告げる言葉にしては不適切だと思わないのか?

 配慮が足りぬ娘だ。

 こんな所へ来るべきではなかった。

 そう思うのだが。去るという選択肢を選ぼうとはしない己に諦めのようなものを感じていた。




「かしゃーーっ」


 部屋に元気な声をあげて子供が入ってきた。

 王太子ヴィルフレドだ。やや赤みを帯びた金色の髪がふさふさしている。柔和な顔立ちの幼い子は得意そうな表情を浮かべて歩いていた。だが、その足取りは危うい。

 その頼りなげな足取りの息子ヴィルフレドを見るティアの顔は、どこか超然としているように見えた。


「ほら、ヴィル。父様よ」


 小柄な身体で息子を抱き上げ、こちらへ息子を掲げて見せる。

 この王太子が我が子であると覚えてはいる。ティアが王妃であると思った瞬間から薄れていく記憶のために、この子の認識もおぼろげになるのだが。


「としゃー、なーあー」


 ティアの腕から息子を抱き上げる。彼女の腕にあった時は大きく見えた子は、片手に持てるほどに小さかった。


「大きくなったでしょ? それに口にする単語も多くなってきたのよ。将来は偉い学者様かしらね」


 我が子は小さいままで、大きくなったとは思えない。そしてこの子は王太子であり、将来は国王となるのであり、学者になる道などない。

 今の言葉は王都に住む娘としての発言なのだろう。だが、あまりにも自然すぎた。


「ヴィルフレドは余の跡を継ぐ者だ。ここにいては、満足に知識が得られぬやもしれぬな。早々に引き取ろう」

「な、んですって! ヴィル、こっちにいらっしゃいっ。意地悪な父様より母様の方がいいわよねっ」


 ムッとしたために漏らした言葉だったが、ティアは一気に表情を険しくした。そして 小さな身体で必死に子供を奪おうと手をのばしてくる。


「おあーーっ、あぅあぁーーっ」


 その手をかわすようにひょいと腕を上げると、息子ヴィルは面白かったのか手足をジタバタさせて喜んでいた。が、ティアは必死に腕をおろさせようとしがみ付いてくる。

 しかし、小柄な娘がたとえその全体重をかけたとしても大した重さではなく、何をやっているのかわからないくらいに効果はない。何やら聞き覚えのない語を唸って息子に手を伸ばし、余の腕に拳をぶつけたり、下ろそうと引っ張ったりしている。そうしながら余の懐に納まっているのに気が付いているのかいないのか。

 上げている腕をおろせば簡単にその中に押さえられる。太刀打ちできないとわかっているだろうに足掻く姿は、滑稽に見えた。

 だが。


「何よ、騙したのっ? いつもそんなことしてたら信用なくすわよっ!」


 腕をおろして子供ごとティアを抱えると、こちらが本気でヴィルフレドを引き離そうとしているのではないと察したらしかった。怒っている口調だが、もがくのを止めて大人しく腕の中に納まっている。

 不貞腐れていることを示すためにか頭を振って後頭部を何度か胸に当てるようにしてきたが。それはそれであまりにも無駄過ぎて、可愛らしい仕草に見えない事もない。


「もう陛下は、出入り禁止! ねっ、ヴィルっ!」

「うーあー」


 拗ねた口振りで息子に同意を求めているが、我が子にそれは通じておらず。息子は動くのを期待して笑いながら手足を盛大に動かしていた。

 穏やかでおそろしく緊張感のない空間だった。

 ここでは、記憶が消えることも、ティアが失踪中の王妃であることも、自身が国王であることも、大した意味を持たない。父と母、そして子がいるだけの場。

 いつしかここへ来た時の苛立ちはどこかへ消えていた。それが時間の経過による忘却のせいなのか、ここの雰囲気のせいなのかはわからなかったが。

 これが日常であったことを覚えてはいない。今ある時間もまた何も残すことなく消えていく。それを寂しく思った。

 しかし。

 全てを忘れてしまうとわかっていても手をのばすのは、腕にかかる重みや肌に伝わる体温や身にまとう香りを身体が覚えているからなのかもしれない。

 消えた記憶は、思い出せないだけでどこかに残っているのか。


「余が迎えに来るまで、ここから出るでない」

「陛下?」

「そなたらを失うわけにはいかぬのだ」

「陛下は……ヴィルの事、覚えているのよね」

「覚えている」

「そう」


 自分のことを覚えているか?とは訊かない。思い出して欲しいと言わないのは、なぜなのか。

 王妃のことに関して覚えていないことはわかっているのだろう。

 ティアとしてであればいくらか己の記憶に残せることが判明している。だが、それを伝えているとは思えなかった。何が残り、何が消えるのかは定かではないのだ。

 訊かないのは、訊いても答えがなかったからなのか。諦めているのか。

 腕の中に収まっている様子に悲壮感は全くない。

 穏やかな日常のそのままに、ここにある。


「約束せよ。ここからは動かぬ、と」

「約束はしないわ。危険だと思ったら動かないといけないし、その時に陛下の許可は待ってられないもの」

「……」

「でも、そうね。極力、動かないようにするわ。騎士達もいるし」


 こちらの不機嫌を知っていながら返された中途半端な返答に苦笑する。国王の命に素直に従わないのは王妃という地位にあるせいなのだろう。それほどこれには自由を与えていたのか、それとも単にこれが聞かないだけなのか。後者に違いないと思いながらも、それを許すほど寛容だったかと自身に驚く。

 その後、「もう少しゆっくりしていけばいいのに」という名残惜しそうな言葉に満足しながら、その穏やかな場所を後にした。


 大事だと思いながら、王宮へ連れ帰ろうとは思わなかった。王宮に王妃を害しようと企む者と通じている者がまだいるかもしれず、内部では王妃は失踪中としているためだ。

 だが、それは本当の理由ではない。

 王宮での己の姿を見せたくはなかったのだ。

 記録を読み、記憶を擦り合わせ、何かが欠けていると知るごとに苛立つ。己の中が欠けていると知る時の不快感、それにより関心が薄くなっている王妃へ怒りを抱く事もないわけではない。そんな翻弄される無様な姿を知られたくなかった。あれには……。

 

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