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いつか陛下に愛を2の後  作者: 朝野りょう
いつか陛下に愛を(王宮の秘宝)編
20/37

■12話■再訪(side陛下)

「いらっしゃい、へ……ノーデルエンのアルフレド様」


 この家の小さな女主人ティア・オーエンスがにこやかな笑顔で出迎えた。

 ここは王都のとある家だ。

 そして、この女主人は王妃の変装した姿である。

 前回ここへ来たのは五日ほど前。

 当然のことながら前回の来訪の記憶はない。王妃に関する記憶は長くて一日しか持続しないからだ。ここへ来たことでわかっているのは前回来訪の日に書き記しておいた内容にすぎず、実感はない。

 子供のように小柄で愛想のよい笑みを浮かべたこの娘が現在行方不明となっている王妃のはずだ。だが、娘に王妃らしさは微塵も感じられなかった。

 記録には、女主人は奇妙な娘だと記されていた。滑稽で面白いとも。しかし、そこには美しさや妖艶さにつながる記載は一切なかった。

 王妃という身分にはいささか不似合いな記述しかなかったが、この女主人のことであればおかしな記述ではない。

 大きな頭で不格好な体型のこの娘はどこか目を引く。この体型が人として奇異であるがゆえに目を引くのかもしれないが、奇妙で滑稽で面白い存在には違いなさそうだ。

 これが、王妃、なのか。


「さ、皆、出て行って頂戴。私が呼ぶまで部屋には入ってこないで」

「承知いたしました」


 彼女は部屋へ案内すると、他の者を追い出した。きびきびと使用人へ指示する姿は、子供が精一杯がんばって大人の真似をしているようで微笑ましい。

 王妃なら子も産んだ妙齢の娘のはずだが、はりきっている感じがそう思わせるのだ。

 前回この部屋へ来たことは覚えており、室内には見覚えがある。そこにこの娘がいた間の記憶がないだけだ。女主人がいたということは覚えているのだから、何らかの会話を交わしたはずだというのに。

 つじつまの合わない記憶。にも関わらず、おかしいとは思わない。それどころか、それについて考え続けるにはかなりの集中力を要する。

 前回ここへ来た後、偽使者の件が解決するまでここへは来ない予定だった。これ以上、欠損するとわかっている記憶を増やしたくはなかったのだ。その欠損部分を王妃は知っている。それは、望ましい事ではない。

 であるにもかかわらず、ここへ来ているのは、この女主人が官吏を使って国王を呼び付けたからである。

 もちろん要求に即刻応じたわけではない。

 王妃付き官吏が王宮の執務室を訪れ、「ティアお嬢様が陛下のお越しを待ちわびております。ぜひとももう一度お越しくださるようお願い申し上げます」と告げた。

 このような時に王妃付き官吏が一体何を言い出したのかと執務室ではざわめいた。

 王妃は行方不明であるというのに国王へ別の女性を近付けようとする発言なのだから、それも無理はない。

 しかも王妃付き官吏の言葉は国王がすでに街娘に一度は手をつけたかのようであり、側近達は落ち着きを無くしていた。

 その騒ぎが、少々面白く感じた。いつも探るような目を向けられ続け、執務室の居心地は悪くなる一方だったからだ。空気を変えるこうした小芝居も、たまにならば悪くはない。

 官吏の口にしたティアという名に覚えはあった。王都で会った娘で、王都の家の女主人であると記憶に残っていたのだ。一度は訪ねたことがあるものの、どういった娘だったかを思い出すことはできない。そこに苛立ちを感じる。

 その感覚が記憶の欠損部に触れることなのだと自覚していても、気持ちの良いものではない。

 官吏には「気が向かぬ」と答え、退けた。


 だが、その後も官吏は何度もやってきた。執務室に限らず、廊下で待ち構え、もう一度お越しくださいと繰り返した。

 王宮内の者達からは官吏に冷たい視線が注がれていたが、官吏は気にした様子はなく、機会を見つけては繰り返すのを止めなかった。

 そして先日は訪ねて来ないとお嬢様が王都の真ん中で大声で陛下がロリコンだと叫ぶという珍妙な脅しまでかけてきた。

 平時の不愉快さを一瞬忘れる、馬鹿らしく間の抜けた脅し文句だった。間が抜け過ぎて、それが脅し言葉なのかと興味を引かれるほどの威力を持っていた。

 思わず王妃付き官吏に今日訪ねると答えた。鬱屈した王宮から出たかったのかもしれない。その夜、書き記している己の覚書をめくった。ティアの名を探して。

 ティアは、失踪中の王妃のことだった。だから王妃付き官吏が動いており、ティアに関する覚えも鮮明ではなかったのだ。そして、ティアの名を探して覚書をめくったのは、それが初めてではないとも気付いた。

 ティアという名を、毎日、記しているからだった。

 毎晩、覚書を繰り、読み返しているというのに、それすらも残らない己の記憶。

 たった数日前の出来事だというのに、こんな記録に頼らなければならない己に苛立つ。それもこれも王妃に関する事だからだ。王妃が消えてしまえば、この苛立ちから解放されるのか。しかし、それでまた別の誰かの記憶が消えればどうする。また消えてしまえばいいと思うのか。

 埒もない考えに捕らわれる。

 不快な視線が纏わりついてくることも悪い方へと考える理由になっているのだろう。

 馬鹿らしい脅し文句を頭に思い浮かべ、覚書をめくった。毎日記している割に、記述は少ない。

 だが、そのわずかな記述を目に焼きつくほどに何度も読み返す。そうすると不思議と苛立ちが納まっていくようだった。

 奇妙な娘、滑稽な様、おかしい、面白い。

 文章を読んでも、その人物像は全く想像できなかった。滑稽な様などとはとても好意的な表現ではない。しかし、その筆跡や前後の文章から、非常に気に入ってのことであるとわかる。

 女性に対して己がこのような感情を抱いていると知るのは、ややバツの悪い気もした。相手は王妃であり、記憶がなく関心が薄い相手なのだ。初対面であろうに、王妃はよほど気に入る女性であるらしい。

 そう思う度に、どんな娘であるのか思い出せないことに苛立ったのだが。


 王都でこうして目にすれば、なるほど、と思う。

 目の前にいる、小さく華奢な子供のような娘は王妃であるにもかかわらず清楚さも上品さも可憐さも備えてはいない。そして、国王が相手だと知っているにも関わらず、その態度に畏怖の念は微塵も感じられない。

 チョロチョロと動く様も奇妙で滑稽で。覚書の文章を、本当の意味で理解した。


「じゃーん。せっかく来てくれたから、今日も黒髪を見せてあげましょう。でも、ほどかないでね」


 彼女は楽しそうに言うと被っていた鬘をとった。やはり鬘だったか。そう思ったのは僅かの間で。

 現れた見事に艶光る黒髪に目を奪われた。

 確かにこれは……見事な髪だ。

 娘が誇らしげに披露するのも頷ける。


「あら? また驚いている? え?」


 また驚いている。また……とは。

 それは前回来た時も、という意味なのだろう。前回も驚いていたのだ。初めて目にする黒髪に。

 では、前回、王妃に関する記憶がないということを王妃に教えたのか?

 王妃とはいえ、今は全く知らない娘にそのようなことを軽々しく教えるとは考えられない。

 交わしたはずの会話は家を出たときにはすでに忘れていたと記してあった。そのため王妃とどのような会話がなされたのかはわからない。

 だが、あの脅し文句からさして頭の良い娘ではないと判断していたのだが。


「また忘れたの? 困ったわね。でも、今日は髪の紐はほどかないでよ」


 困ったわね、だと?

 そのまるで他人事のような流し方は何なのだ?

 拘るところはそこなのか?

 王が王妃を忘れたことを、紐をほどかないなどというよりも軽く扱えるのは何故なのだ?

 そなたが忘れられた張本人の王妃ではないのか!?

 怒涛のように脳裏に次々と疑問が浮かび上がっているが。娘がこちらの様子に気づく様子はない。


「さあ、どうぞ座って?」


 そう言うと娘は椅子に腰をおろした。目の前で。

 そこに座れと王に命令したのか? 王妃が?

 変装して身分を伏せての訪問ではあるが、国王だと知っているにもかかわらず。わざわざ国王が足を運んだ事に対する礼もなく。

 さすがに王を呼び付けるだけあって、配慮が足りぬ娘だ。

 だが、ここは王宮ではない。国王として訪れているわけでもない。

 気に入らないが、娘の前の椅子に腰を下ろすことにした。


「この前、偽の使者が持っていた陛下の命令書、あれを書いたのは陛下だって言ってたでしょ? あれはどうして書いたの?」 

「わからぬ」


 娘は機嫌よさそうな笑顔で尋ねた。

 だが。

 また忘れたのかと言ったばかりのその口で、前回のことを訊く神経はどうなっているのだ?


「また誤魔化すつもりね。あれは自分が書いたけどって何かを言いかけたじゃない」

「覚えておらぬ」


 腹立ちぎみに答えると、王妃はムッとしたようだった。

 口を尖らせて不満そうな顔だ。

 まるで子供だな。

 そう思い。王都の真ん中でロリコンだと叫ぶと言ったのは本気だったのかもしれない。


「じゃあ、王宮の秘宝って、何? 偽の使者はそれについては全く知らないようだったけど、陛下がおかしいのはそれがないせいなんでしょう?」


 ムッとして腹を立てていたはずだが、立ち直りも早いらしい。あっさりと質問を切り替えてきた。表情ももう拗ねてはいない。

 その切り替えの早さに、あっけにとられる。


「そのような事、軽々しく教えるはずがなかろう」

「知っているのね。王宮の秘宝が、何かってことを」


 国王に忘れられた事など、これにとっては些細なことであるらしい。悲嘆にくれて泣き喚く、涙ながらにこれから我が身はどうなるのかと訴えるなどということは間違ってもなさそうだった。国王に忘れられた王妃であれば、そうした行動をするものではないのか。

 それがこの者ときたら、王都の生活に馴染み、王妃の命を狙った者を探そうとしているらしい。

 前回の覚書を記した時、覚えていないにもかかわらず、これを気に入っていたというのもわかる気がした。

 小柄で華奢なのにおかしな存在が、その黒い瞳で見つめてくるのは大層気分がいい。

 王宮で過ごす時間にはない、娘そのもののようなおかしさに、穏やかな自信と落ち着きを取り戻せるような気がした。


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