■9話■来客
陛下が、来た。
でも陛下が来たと口にはできない。
陛下がこんな場所にくるはずがなく、貴族でもないこの家の者が陛下を知っているはずがないのだから。
そんな小芝居をしなければならないのは、この家にいるのはリリアと騎士達だけではないからだった。
現在、滞在しているこの家には何人かの人を雇っている。侍女リリアと騎士達だけで家は維持できないし、これだけ大きな家なのに誰も雇わないのはおかしい。
だから、私達は始終お嬢様ティアとその家人を演じているわけだけど。
そこに陛下が変装して訪ねてきた。陛下としてではなく。
貴族の場合、どこそこの誰それと名乗るのが普通で、だからノーデルエン家のアルフレドと名乗っているのだ。
なぜ陛下がわざわざ貴族男になってまでやってきたのか。
私の居場所を突き止めたなら、騎士を寄越して私を王宮に呼び出せばいいだけのことなのに。
でも、それはこちらにとっても都合のいいことではある。
私は陛下の待つ部屋へと向かった。
変装した私、変装した陛下。
そこに居合わせるのは変装した双方の騎士達数名。
皆が皆わかっていながら茶番を演じており、室内はかなり微妙な空気が充満していた。
「お待たせいたしました、ノーデルエンのアルフレド様。私がこの家の主、ティア・オーエンスです」
私は丁寧に腰を落として見せた。庶民的な挨拶の動きは腕の角度とかを気にしないので私にも簡単。
大歓迎という挨拶ではないけれど、ごくごく一般的な客への挨拶ができているはず。
そんな私に、陛下は立ち上がりもせずに告げた。
「ルエンのアルフレドだ。座るがよい」
ルエンのアルフレドって。ノーデルエンじゃなかったの? ノーデ・ルエン? 後でリリアに確認しておこう。貴族名ってわからない。
で、陛下……。
この家の主は私なわけよ。
貴族のつもりで訪ねてきておいて、座るがよいって、それはないと思う。
いくら貴族の訪問とはいえ、主の方がお座り下さいって促すのが普通のはずなのに。
変装、下手なの?
服を変えればいいってものじゃないのよ?
チラッと陛下の騎士に目を向けると、彼等も微妙な顔をしていた。
まあ、陛下だし……?
いや、それで許されるのは、どうなの。
だがしかし、そこを追求してもはじまらない。
私は大人しく陛下の前の椅子に腰を下ろした。
あまりの陛下の態度に私は呆れてしまったけれど。同時に、街で突然話しかけられた時のような緊張感はない。
あの時のような、何も得られないようなことにはしない。
落ち着いて陛下を見る。
陛下はわざわざ私に会いにここまで来た。
少なくとも今は、私を殺すことも捕らえることもないに違いない。そうした疑いを抱くことに苦い思いを抱きながら、私は気を引き締める。
陛下は私がわかっているのか、いないのか。私をどうしたいのか、何をしようとしているのか。
さあ、陛下。
まずは何をしにきたか聞かせてもらいましょうか。
そう思ったのだけれども。
陛下は私を眺めるばかりで一向に話を切り出そうとはしない。
私の居場所を突き止めたから来たのではないの?
王妃に用があって来たんでしょう?
その用って何なのよ!?
沈黙の間、私はジリジリしながら待っていた。こちらを焦らしているのか、じっと見つめるだけの陛下。
早く何か言ってよ!
そうした長い間の後、陛下がようやく口にしたのは。
「そなたの発音、この国の者ではないのか」
「へ? あ、えぇ……まあ……」
私にはあまり違ってるようには聞こえないんだけど。やっぱり、この国の人には、ワタシ、ヨソカラキタ、アルヨ的に聞こえるのだろうか。
でも。
そんなこと、重要?
今、重要?
このしらーっとした空気の中で、今、それ、訊く?
陛下が何がしたいんだろう。脇道それて焦らしておいて核心を突く戦法?
たしかに私の頭の中は白くなっていた。
そこに興味もなさそうな平坦な陛下の言葉が続く。
「どこの国の者か?」
「……転々としておりましたので……」
何処と言われても。ごにょごにょと誤魔化す。どこの地名も答えられないし。下手な国を言って、その国の言葉が喋れないんじゃおかしいし。
この国の人じゃないと何か不都合があったりする?
これ重要? これに答えないといけないの? これ、本当に重要?
私が脳内で抵抗していると、陛下は突然手を上げた。
「他の者は部屋を出ておれ」
「駄目ですっ」
陛下の指示にかぶせるように私は速攻で否定した。
「わ、私もれっきとした娘ですので、よく知らない男性と二人きりになるわけにはまいりません」
一応、子供に見えるとはいえ、私と二人っきりにはさせませんから!
陛下はピクッと眉を動かし、わずかに感情を動かした。けれど、相変わらず無表情で何を考えているのかは読めない。ま、機嫌が良くなったのではないのは間違いないだろう。
でも!
ここの一般常識的に親族でもない男性と二人になるのはおかしいのよ!
女の子だったら、子供だったら、余計におかしなことになるのよ!?
わかってるんでしょうねっ!
そう訴えるように私が陛下を睨みつけていると。
「そなたは、何者か?」
やや不機嫌な口調で陛下は話題を変えた。表情は無だけど、声は低く暗い。低気圧を滲ませている。
しかし、そんな質問されても、普通の人は答えられないと思う。
王妃ですって答えて欲しいわけ?
私が王妃で、陛下から逃げてるって言わせたいとか?
それならはっきりそう言えばすむことなのに何て回りくどい。
こうしてネチネチと質問して、上げ足をとる作戦?
はっきり言えばいいでしょうに。どうしてこう直球でこないのかな、いつも。
「そういう貴方は何者なのでしょうかっ?」
私がツンと顎を上げて切り返すと陛下は押し黙った。
トゲトゲしい目を私に向けているけど、それ、私のせいじゃないから。
陛下は部屋を出るべきかと判断しかねて困っていた騎士に不要だと手振りで伝える。が、その後は椅子に腰かけたまま不動。
会話の意味がわからなくて苛々していた私だったけど。
陛下付き騎士二人の方をチラリと見た私は、スウッと自分の感情が冷えていくのがわかった。
陛下付き騎士二人とも困惑している様子だったから。
二人には私が王妃だとわかっている。部屋には王妃付き騎士達がいて、小さな身長の娘がいれば変装をしていようとも自ずと結論が出る。だが、陛下の態度はまるで私のことがわかっていないかのようで。それに戸惑っているのだ。今日の陛下は何か変ではないか?と。
陛下が私にカマをかけるためにわざとそうした振舞いをしているかもしれないのに。
事務官吏ユーロウスが言っていたのはこういうことなんだ。
こうして、陛下の周辺の人々は陛下に違和感を覚えていく。
以前なら陛下に何らかの意図があってそうしているのだと判断し、疑念など抱かなかっただろう。たとえ疑念を抱いたとしても表に出したりはしなかったに違いない。それなのに、陛下付き騎士がこうだとは……。
王宮内では思った以上に陛下の異変が知られ、広まっているらしい。
「いいわ。皆、部屋を出てて頂戴」
「しかし……」
「いいの。騎士ボルグ、彼等と一緒に部屋の外で待っていて」
「はい」
彼等が部屋から出ていき、部屋には陛下と二人だけが残った。
陛下は無表情なままだったけれど、私の指示を見ているだけだった。
陛下を疑っていたのは私なのに。男性と二人きりになるなんて、家人に示しがつかないと思っていたのに。私はなぜ、その陛下と二人になることを選んだのか。
それは、この中で、陛下だけがわからないということに、私が耐えられなかったから。
他の誰もがわかる変装でしかないのに、陛下だけがわからない。陛下には陛下付き騎士達の様子も見えているのに。
わからないふりをしているのでは、ない。
「陛下は……私のことを、忘れているのね?」
陛下がわからないふりをしているのか、本当に私がわからないのか。
ようやくはっきりした。
陛下には、私がわからない。




