■7話■遭遇
事務官吏ユーロウスとの話を終え、私達は店を出た。
王宮の秘宝について、そして、偽使者の関係について何かわかれば連絡してくれるようにと伝えて。
王宮へ戻るかどうかは迷ったけど。でも、今はまだ王都の家に隠れていることにした。
事務官吏ユーロウスが来たのに、陛下は来ない。
それが理由だった。
コソコソしているのは私だけど、私の居場所をつきとめられない陛下ではないと思う。
使者は偽物だったのだから、陛下が私の死を望んではいない。そのはずだけれど。
私が行方不明でも冷静だったというユーロウスの言葉。あの命令書と、フォル・オト神殿へ向かわせた陛下の文書。
王宮の人々は、陛下がおかしいと思っている。陛下がおかしいのが王宮の秘宝がなくなったせいで、それは私のせいだというなら、どうだというのか。
色々なことが頭の中をめぐる。
そして、陛下が私の死を望んでいないとは言えないんじゃないかと、私は疑っている。
もしもそうなら、王宮に戻れば逃げ場がない。だから陛下の異変とやらには目をそむけて、保身に走る、私。
だって殺されたくないんだから、仕方ないでしょ!
そう思いつつも、胸にしこりは残る。これで、いいのか。隠れていて、解決するのか。いつまで隠れていればいいのか……。
気が重いまま、私は足を動かした。
早く帰らなくては。ヴィルが待っている。しっかりしなくちゃ。
叱咤するように歩く私の左肩を、背後からグイッと強く掴まれた。
それは結構な力だった。突然引き止められてしまった私の身体は前に進めず足が空回りする。掴まれて動かない肩と、前へと宙をかく私の足の間抜けなこと。重心が後ろへと傾き、私は背中側へと崩れる。
転ぶ!
そう思ったけど、肩を掴んでいた手は私の身体を落さなかった。その手のおかげで、ドレスの裾が石畳みを掃除したけれど、私は空中椅子くらいですんでいた。
何て怪力。さすが私の体重くらい軽く持ち上げる人種だなと妙なことに感心する。
「どうかしたの?」
てっきり騎士ヤンジーがいるものとばかり思って振り向いたそこにいたのは、陛下だった。
来ないと思った矢先の登場に、私は声を失う。
陛下?
陛下、来る予定だった?
ユーロウスはそんなこと一言もいってなかったのに。
私の事なんてちーっとも心配してませんでしたって言ってたけど。それは私の居場所を知っていたからだったのか。
そっか、そうだよね。陛下なんだし。
そう、喜んだ。
でも。
何も言わず、私の肩を掴んだまま無表情な顔で陛下は私を見下ろしていた。
怒っているという様子ではなく、不機嫌というのでもなく。ただ、じっと見ている。
その陛下の顔には何の感情も浮かんではいない。
最近、少しは陛下の無表情が読みとれるように思っていたのだけれど。今日のこれは全く読めなかった。
機嫌がいいのか悪いのか、何を訴えようとしているのか、全然わからない。
わかると思っていたのは、陛下がそうした感情を私にわかるように表に出していたから。
そして、今は、私に何も悟らせたくはないと考えている、ということ。
私はゆっくりと顔を下に向けた。
物言わぬ青い目はただ威圧感のみを降りそそいでくる。
迎えに来たと喜んだ私の気分は、今やすっかり息をひそめていた。
何を考えているのか、まるでわからない。
どう見ても心配しているようにはないから、私を咎めているのか。捕える、つもりなのか。
わからない。
王都の大通りでは多くの人が行き交っているというのに。すぐそこで日常の雑多な音が繰り広げられているのに。
陛下と、陛下に見下ろされた私の間にあるのは、音のない重苦しい空気だった。自分の立っている場所だけ、違う空間のようだ。
私達の横を通り過ぎる人々は、大きな街だけあって私と陛下のことなど目に止めない。ちらりと目を向ける人も、すぐに流れて行く。
見えていないというより、見てはいけない触れてはいけないものだとでも思っているのかもしれない。
そこに陛下がいるのを知っているみたいだ。
陛下は王都民的な服装に身を包んではいても、全身から滲み出る威圧感がそうさせるのだろうか。
そんな中で。
問答無用で私に降ってくる無言の視線。意味はわからない。
動きもしない。
そんな陛下に対して、私はと言えば。
周囲からは何の助けもないと結論を出すしかなかった。騎士ヤンジーや騎士ボルグも近くにいるはずだけど、何の介入もない。
相手は陛下なのだから当然といえば当然だった。
降り注ぐ威圧感に、後ろめたさが押し寄せる。
陛下から逃げてたわけじゃないわよ?
あの使者は偽使者だと今は知っているけど、さっきユーロウスに聞くまで偽物だなんて知らなかったから。
だから、陛下が私を殺そうとしてるんだと思って。
だから、私が王宮に戻らないのは当然よね?
王宮の秘宝がなくなって陛下がおかしくなってるって聞いて、心配はしたわよ?
でも、殺されたくないし、ね?
陛下がフォル・オト神殿に行けって言ったんだしね?
コソコソしている言い訳を、私は必死で探していた。
が。
「そなた……名は何という?」
は?
陛下の問いに私は、固まった。あれだけ威圧感ガンガン降らせておいて、私の罪悪感を煽っておいて、何ですって?
名前? 何を言い出したの、陛下?
もしかして陛下、私だってわかってない?
そういえば。
今の私は変装中で、小金持ち家のフリフリ残念最悪なお子様姿だった!
超絶ぶっさいくな格好しているんだった!
だから、わからないの?
こんな姿……陛下にはわからなくてよかった、かも、しれないんだけど。
でも。でも……。
金髪の鬘をかぶっているし、前髪で顔半分を隠しているし、変な格好しているから。だから陛下にわからなくてもおかしくないのかもしれないけど。
でも。
「ティアです」
私は短く答えた。
これでわかるでしょ!
以前、陛下と王都を歩いた時、私はその名前を使っていたんだし。
こんな格好でバレたいわけじゃないけど。
全然バレたくはないんだけど、そこは、察して欲しいわけで。
でも、依然、沈黙のまま陛下は私を見下ろしていた。
まさか……わからない、の?
私が?
いくら前髪で目元は隠してあるとはいえ、陛下は金髪姿の私を見たことがある。あの時だって少しも躊躇しなかった。
それに声は変わらないのだから、わからないはずが……ない…………よね?
さっきは短い間だったけど目も合わせていたから、この国では独特だっていう薄っぺらい顔も見てるはずなのに。
こんなドレスを着てるくらいでは知っている人にならわからないはずが、ない。
「連れはおらぬのか? 一人歩きは感心せぬ」
連れいるし!
前にも後ろにも変装した騎士がついていたし!
ふと視線を流してみれば、彼等は微妙な位置にいた。陛下が来たので遠慮しつつ、距離を保っているようだ。
彼等もどうすべきかと悩んだ結果の対応なのだろう。それだけではなく、陛下付き騎士達も微妙な配置である。
「……別に……一人でも問題ありません」
陛下、私だと知っててこのやり取りなの?
わかっているんでしょ! そうでしょ?
どうしてわからないふりをするの?
顔をあげたいのに、上げられない。
陛下の顔を見たいのに、もう見ることができない。
私の黒い目は、前髪で隠していても、この距離ではわかってしまうから。
でも。
陛下がわかっているんなら。顔をあげても、いいんじゃないの?
わからなくても、バレてもいいんじゃないの?
どうすればいいのかと、私は一人焦る。
焦っているのは私だけ。陛下からの眼差しは威圧感をともなってはいても、それだけだった。
何を考えているのかわからない。
「この街は人が多く、中には娘を攫う悪者も潜んでおる。気をつけるがよい」
子供を気遣う言葉に何が込められているのか、いないのか。
陛下は、私がわからないのか、知っていて知らないふりをしているのか。
綺麗に感情を隠した声で、陛下は何を考えているのか。
どちらにしても。
私を連れ戻しに来たのではないらしい。
「はい」
陛下は私の肩から手を離した。軽くなったと同時に、温もりを失う寂しさと、離れていく焦りがこみあげる。
どうしてここにいるの?
どうして私を呼び止めたの?
本当に私がわからないの?
声をかけたのは、私に何か伝えるためじゃないの?
私を迎えに来たんじゃないの?
私の事、心配じゃないの?
何か言いたいのに。何を言えばいいのかわからず。
私はじれったさに歯噛みする。
「イスルが見つかりましたっ」
陛下の向こうから陛下の騎士からだろう言葉が聞こえた。
時間が、終わる。
「気をつけて帰るがよい」
「……あのっ……」
私はとっさに呼び止めてしまったけれど。当然、先に続く言葉なんてなかった。ただ、陛下を引き留めたかっただけで。
「どうした?」
「いいえ。何でもありません」
結局、そう言うしかなかった。
そんな俯いた私の頭をポンと軽くのせた後、陛下はその場から立ち去った。
何、だったのか……。
私は陛下の姿が見えなくなるのをぼんやりと見送った。見えなくなっても、しばらく、その場を動くことができなかった。
「……陛下……の、バカ」
誰も見つけてくれなかった子供の頃のかくれんぼの時のように、世界から見捨てられたような気がした。
そんなことは被害妄想なのだと知っている。
私だと言えば陛下は気付いただろうし、陛下に直接訊けるチャンスでもあった。冷静に考えれば、何とでもしようがあったはずなのに。
私は馬鹿みたいに興奮して。陛下に尋ねられたことを答えるだけしかできなかった。
陛下にバレてるはずだと思いながら顔を上げられなかったのは、私だと言っても知らないふりをされるのが恐かったから。手を振り払われると思ったから。そこに私の死を望む感情を見つけてしまったらと思うと。
結局、私は何も、できなかった。
陛下のことを知っているつもりだったけど。それは、つもり、でしかなかったらしい。
陛下は、全然わからない。
こんなドレスは、やっぱり大嫌い。




