■5話■王都の家
コンッ、コンッ。
「ティア様、朝食の支度が整っております」
「ありがとう、リリア。今行くわ」
眠い目をこすりながら、私は寝台に伏せていた身体を起こした。息子のヴィルはまだ寝台でぐっすりと気持ちよさそうに眠っている。
昨晩はヴィルが遅くまで愚図ってくれたものだから、寝付いたのは夜明け前で。ものすごく眠い。
少し前に一度起きていたはずなのに、朝食の支度が整うまでとヴィルの側についていたらウトウトと二度寝してしまっていたらしい。
私は息子を起こさないように静かに立ち上がると、そっと部屋を出た。
ここは王都のとある貸家で、私達一行が貸し切っている。ややお金持ちな人が泊まる一軒まるごと借りるタイプで、家としてはとても大きい。貴族の屋敷というほどの贅沢さはないけれど、警備人や使用人用の部屋数も十分あり、噴水付き中庭まで完備されている。
こうした貸家は各国の主要都市にはどこにでもあるのだという。国を越える商人や他国からの外交官などが使用人達を大勢ひきつれて移動することを考えると確かに需要があるだろう。
「さぁ、どうぞ」
食事用の部屋ではリリアがパンと燻製肉などを準備してくれていた。
「リリアはもう食べたの? 一緒に食べましょうよ」
「とんでもございません。お嬢様のお食事に私が同席するわけにはまいりません」
リリアは侍女姿ではなく、今は灰色っぽいくすんだ色のドレスを着ている。それなりにお金持ちの家の娘と家人という設定らしい。
私はお金持ちの家のティアお嬢様なのだ。
「お嬢様、じゃなくて……奥様は、無理なの?」
「無理です」
私は不満を伝えてみたけど、スパッと切り捨てられてしまった。
みんな親戚とか家族ってことにすればいいじゃないと提案したのだけど、誰も私と家族にはなりたくなかったらしく。私の夫役を募集しても鼻にもかけてもらえず、みんな華麗なるスルー。そんなに嫌って……。
ヴィルがいるから両親役が必要だと思ったんだけど、結局、ヴィルは私の歳の離れた弟になってしまった。無念。
この歳になって、結婚もして、子供もいて、三十前だっていうのに。背が低くて小さい体格のせいで、私はお嬢様にしか変装できない。
ここの人々が非常に視力がいいとしても視線が私より遥か上である以上、彼等が私の顔をまじまじとみることなどできない。だからぱっと見の体格というのは年齢判定において重要だ。しかも近くで見たとしても慣れないアジアン顔の私では年齢を判定できないという。
私が年齢を詐称するのが一番違和感がないと説得されてしまった。実年齢は三十前、この国での年齢が二十二歳とすでに詐欺状態であるにもかかわらず……。
一応、王都内で身分を隠して潜伏している身の私としては、変装するのは当たり前だと思っていたし、お嬢様と呼ばれることに抵抗があるわけでもない。
実際、お嬢様って呼ばれても日本語で呼ばれるわけじゃないので、お嬢様っていう単語が名前のような感じだ。例えて言うなら、マドモアゼルとかセニョリータという名で呼ばれているようなものだろうか。その国の人だったら違和感があるんだろうけど、私にはない。
なら、なぜ文句を言ってるのかといえば。
その理由は私の衣装にあった。
お金持ちのお嬢様達は、貴族もそうなのだけど、皆が皆、フリフリひらひらの過剰フリル装飾の服を着ている。彼女等は白さの違う肌でほとんどが天使のように美しい。だから、こんなのも似合うのだろうけれども。
それと、同じ格好を、している私。
三十路前で。
フリフリ子供服。
ここのお嬢様達にくらべると頭がちょっと大きくて、肩幅がちょっと小さくて、首がちょっと短いだけだけど……このドレスは似合わない。
鏡に映る自身の姿は我ながら、あんたマジで頭大丈夫?と言いたいレベルだった。
こんなだったから、お嬢様ドレスを着ることには俄然抵抗したわけだけど。
もっと普通の服を着たいとリリアに訴えてみても、全く取り合ってはもらえなかった。お嬢様というのはフリフリの量で貧富を表現しているらしい。つまりフリフリが少ないと貧乏ということになるのだ。
だから金持ち設定やめればと言ってみたが、そうなると私のような子供に大勢の家人や護衛がついている理由がなくなってしまう。こんな家を借りるのも変だし、となってしまい、設定のあちこちが破綻してくる。そうならないためには、私が我慢すればすむだけ。
かくして私はフリフリドレスのお嬢様に納まった。
が、似合わない服を着ているだけで襲いくるこの敗北感といったら尋常ではない。
ああ、ファッションって自己表現なのよ、大事なのよ、人生を語るのよ。
そんな事を内心もやもやと思いながら、私は朝食を平らげた。見た目は質素な食事に見えるけど、これが結構おいしい。
パンは外側が固いのでリリアがあらかじめ私が食べやすい大きさに切ってくれていた。それにジャムを少しだけ付けて、ミルクに浸して食べるのだけど。パンにはしょっぱさに苦みのような味も微かにあって、そこに濃厚な甘みのジャムが絡んで癖になる味。
しかもミルクにもその味が混ざるから、臭みの強いミルクは苦手な私でも飲めるミルクに変わっていた。何の動物のミルクかは、知らないけど。
さすがは、リリア。
本当は、リリアとは神殿で別れるつもりだった。私は騎士達とこっそり姿をくらませる予定だったのだけれど。
ずっと私のそばにいるリリアに隠れて行動するというのは、私には不可能だった。
彼女は私から引き離そうとする騎士達に詰め寄ったらしい。王妃と王太子を、貴方達だけで世話ができるとでも思っているのですか?と。王宮で暮らしていた王妃様は虫が大嫌いだし、食べ物の好き嫌いも激しい。そして、王妃だけならまだしも幼子の王太子もいらっしゃるのだということを本当に理解しているのでしょうね?と迫力満点の冷笑を浮かべて迫ったという。
神殿へと同行してくれた人達の帰路を指示する傍ら、私の動向を見張り、何食わぬ顔で私の乗った馬車の御者台に上ったのだと騎士ヤンジーが教えてくれた。さも当然といった様子のリリアに誰も何も言えなかったらしい。
彼女の言う通り、私と小さな子供を彼等だけで世話をするのは無理があると思っていたのだろう。だが、だからといって私の世話役として同行を強制することもできず。リリアの申し出は、騎士達にも願ってもいない申し出だったのだ。
途中休憩で馬車を降りる時、そこに笑顔のリリアがいて驚いた。その時、美人の笑顔は、こわいなと思ったのだった。
私が騎士達とコソコソしているのを察していたのだし、騎士ヤンジーもやんわりとだが陛下に背く行為ととられるかもしれないのだと匂わせたらしいのだが。それでも彼女は、だから?と軽くいなしたらしい。
結局、同行することになったリリアにも陛下の使者が来た時のことを簡単に説明した。
すると、彼女はテキパキと設定を考え、変装用の買い物をし、食料調達の指揮をとり、合間に私のヴィルをあやしてくれまでして。現在に至るまで、見事な手腕を発揮してくれていた。
それは騎士達にもわかっているようで、彼女の指示にはほいほいと従っている。ま、リリアが美女だというのはあるのだろうけど。
彼女を連れて行くか、迷いはした。
王宮女官で地位も高く、二十歳すぎのまだ若い娘で、実家は貴族位を持つという。いわば、お嬢様なわけで。騎士達と違って、女性の名誉は一度傷が付くとどこまでも付いて回る。
そうわかっていても。リリアが居てくれるのは心強くて。彼女の瞳を見れば内に断固たる決意を秘めている事も伝わってきて。私は心底ありがたいと思いながら、それに甘えることを選択した。
私の行動が人を巻き込んでいく。それをこわいと思いながらも、手放せないとも思う。王妃という形のないものの重みを、感じた。
食事をしていると、騎士ヤンジーが入ってきた。騎士ボルグや騎士ウルガンに比べるとスリムな体型のため、騎士姿でない今は街の青年といった様子だ。
「ティアお嬢様。ユーロと連絡がつき、明日、落ち合う約束をとりつけました。如何なさいますか?」
王妃付き事務官吏ユーロウスと連絡がついた。つまり秘密裏に会おうとしているのだ。
彼ならば王宮内の詳しい現状を教えてくれるだろう。私の事を王宮側に漏らすことなく。
王妃付き事務官吏達は陛下付き事務官吏とは違って頭が柔らかく融通がきく。王宮内の伝統にのっとった方法や手段に縛られないでくれるため、私にはとてもやりやすい。他の事務官吏達なら、こうはいかなかっただろう。
しかし王妃付き事務官吏のトップであるユーロウスはしばしば残念な上司を持つ中間管理職はつらいよ的な空気を放出しまくるので、たまに鬱陶しいことはあるのだが。
「もちろん会うわ」
「承知いたしました。では、そのように」
これで王宮内の現状を知ることができる。あの使者の言葉などではなく、本当の状況がわかる。
本当に陛下が私を……殺したいと思っているのか、が。
明日……。




