■4話■王宮
一方、王宮では。
王妃の観察記録係である官吏ソブが王宮の門をくぐろうとしていた。神殿へ向かう王妃達とともにここを離れてから数日ぶりの王宮入りだった。
荘厳な王宮の本宮は出入りする人の数も、働く人の数も、警備する騎士達の数も多い。
美しい華やかな場所でありながら、王宮の壁を隔てた王都の賑わいをまるで感じさせない独特のピンと張った空気がある。
だがしかし、官吏ソブの抱く緊張とは違う、王宮の日常がそこにはあった。
本宮の奥へ進むにつれ物々しい警備と静けさから緊張はいやがおうでも高まるのだが。官吏ソブは自分が何かとんでもない勘違いをしているのではないのかと、そんな不安に駆られていた。一介の報告事務役である自分が慌てる必要はないのではないだろうか。陛下は全てを承知しておいでのはずなのだから。
そう思いつつもソブは執務室へと向かう足を止めることはなかった。
陛下への取り次ぎは速やかに通り、ソブは陛下の待つ執務室へと通された。
そこでは、部屋の中央奥に国王陛下が、そして宰相など政務に関わる重鎮貴族達が脇に居並ぶ。
官吏ソブにとってここは何度訪れても緊張する場所ではあるが、彼のはやる気持ちを否定するかのような坦々とした執務室の空気にやはり気が削がれていた。やはり来るべきではなかったか、と。
「どうした、官吏ソブ?」
「はっ……」
官吏ソブが喋ろうとしないのを見かねて、宰相は彼を促した。
陛下は黙ってテーブルの向こうから官吏を見ている。いつもの執務室の様子だ。
それはソブにとっていつもと変わりなさすぎた。フォル・オト神殿での事態を知っているはずであるのに、なぜこうも日常なのだろう。
彼は陛下から王妃の外出時には必ず王妃に随行し、王妃の様子を細かく報告するのが役目だ。陛下は寵愛する王妃のことになると殊更神経質になられるので、報告には最新の注意を払ってきた。内容を吟味した上で報告を行い、書類を提出していた。
だが、今回はそれでは遅いと判断し、報告書を書き上げる前に急ぎ報告に来たのだが。
判断を誤ったかと、報告の内容を口に出せずにいた。彼は事務官吏ではあったが業務的にこうした事態に慣れてはいなかったのだ。
逡巡の後、宰相の我慢が度を越す前に、ようやくソブは報告をはじめた。
「六日前、王妃様はフォル・オト神殿へ到着なさいました。その翌日、陛下の使者とお会いになり大層ご立腹の様子でした。その後、ひっそり神殿を発たれ、後を追おうとしたのですが行方は掴めませんでした。以上です。詳しい内容は本日中に報告書にまとめ、提出いたします」
入室する前に考えていた内容とは異なり、官吏ソブはいつもと同等の報告に切り替えていた。
しかし。
「陛下の使者? 王妃様を……見失った、と? 腹を立てたぐらいで、神殿を出られたというのか? 王太子殿下はどうなされておられるのだ?」
「王妃様とご一緒です。王妃様付き騎士達とともに」
「王太子殿下は大事な御身だというのに、あの方は……。一体、何を考えておられるのか……」
宰相が苛々とした態度を隠さず、不満を漏らしている。執務室の空気がざわめいていた。
執務者達は知っていたのではないのか? ソブは戸惑った。
宰相の反応では、まるで王妃が癇癪を起して神殿を出てしまったかのようだ。
つまり、宰相だけでなく、この場にいる大半の者が何も知らないのだ。王妃に起こっていることも、王妃の元を訪れた使者のことも。
王宮へ急ぎ戻ってきたソブが緊急性を感じていたのは誤りではなかったのだろう。
しかし、このままでは王妃の我儘と捕えられてしまう。この場にいる者が誰も事態を知らないはずはない。驚いていない者は事情を知っていると思われるが。
宰相が向きを変えた。反応を示さない者、全く動かない、陛下へと。
官吏ソブはごくりと唾を飲み込んだ。
「陛下、王妃様へ何と伝える使者を遣わされたのでしょうか?」
宰相は苦笑ぎみに陛下へ尋ねた。室内の視線は陛下へと集中する。
あれほど寵愛していた王妃が行方不明だというのに、静かに室内の様子を眺めているだけの陛下。常ならば室内で真っ先に反応してもおかしくない人物が沈黙を守っている。それは、全てを知っているためであろうと誰もが思った。
王妃が行方をくらますような使者を、宰相にすら知られぬように送っていた。その内容に王妃が怒ったということは夫婦喧嘩のようなものが発生したのだろう。平然とした陛下の様子では陛下も王妃に対して何らかの不満を覚えているのか。だが、王妃の失踪とは外聞が悪い。しかも王太子殿下を巻き込んでとなると危険極まりない事態である。陛下はどうなさるおつもりなのか。
宰相以下、陛下の言葉を待った。
「余は王妃に使者など送ってはおらぬ」
陛下の言葉は、室内のガラリと空気を変えた。
静かな日常が崩れ、緊迫感に包まれる。
それは官吏ソブがこの部屋に入るまでに抱いていた危機感と同種のものであったが。到底、喜べる状況ではなかった。
陛下は使者を送ってはいない。
それは、王妃の元を訪れた使者は陛下の使者ではなかったということであり。何者かが陛下の使者と偽り、王妃を行方不明にさせたということになるのだ。
「官吏ソブ、王妃様の元を訪れたのは本当に陛下の使者だったのか? 別の者ではないのか?」
陛下の言葉を受けて宰相は官吏ソブへと向き直った。使者が偽物、となれば官吏ソブの知る事実の一部が崩れてしまっている。何が正しいのか、何が正しくないのか。ソブはフォル・オト神殿で見たことを慎重に思い出した。
「あの者は陛下の使者であるしるしを持っておりました。王妃様付き騎士二人が王妃様へ取り次ぐ際にしるしを確認しておりましたので、間違いはないかと思われます。それに陛下直筆の書状を持っていたと騎士が言っておりましたので」
「陛下直筆の書状? 誰が使者であった? 陛下の使者ならばお前の同僚も一緒にいたのだろう?」
「いいえ。使者一人だけです。従者は二人ほど連れておりましたが、フォル・オト神殿への道案内人のようでした。王宮官吏は誰も連れておりませんでした」
「一人? 陛下の使者ならばお前達王付き官吏が同行するのが常と知っているだろう? おかしいとは思わなかったのか?」
「しかし、彼は特殊な役割を請け負う者だと考えましたので……我々が同行しない場合もあるかと……」
「特殊な役割、だと? 何だ、それは?」
「身分の高い方の………………処刑執行です」
「それでは、お前は、王妃様へ陛下が処刑執行人を遣わされたと考えた、というのか?」
ゆっくりと一語一語を確認するかのように宰相は官吏ソブに問いかけた。
「はい。ですが、そう思ったのは私だけではありません。王妃様付き騎士達もそう考えているようでした。だからこそ、王妃様と姿を消してしまわれたのです」
「なぜ王妃様へ何故処刑人を向かわせる必要あるというのだっ。王妃様は王太子殿下をもうけられたばかりではないか! その王妃様を処刑? 何を馬鹿なことをっ…………。そのような重大事が起こっていたならば、なぜもっと早く報告しないか!」
官吏ソブへと怒鳴った宰相だったが。
ふと陛下を振り返った。
陛下はいまだ無言のまま、表情を変えることなく動くことなく、そこに居る。偽の使者が王妃の元を訪れたことも、陛下が王妃へ処刑人を差し向けたかのような誤解を生じさせている事も、王妃の行方が知れぬことも、どれも大事ではないというかのように。
あれほど寵愛していた王妃だというのに、何の反応もない。とは、どういうことなのか。
感情を表に出さない様は、まるで、本当に陛下がそれを望んでいたのではないかと邪推しかねない様子であり。
宰相は、陛下の胸の内が少しも読めないことに不安を感じた。本来、このようであるべきだと思っていたにもかかわらず。
「王妃様はご無事なのか? 王太子殿下もご一緒であったろう? 殿下はどうなさっておられるのだ?」
宰相に詰め寄られても、官吏セブは先刻王妃一行を見失ったと告げたばかりである。宰相の問いに答えられるはずはなかった。
「騎士達がついておりましたので、王妃様も王太子殿下もご無事ではないかと……」
「その使者は王妃様に何を告げたのだ? 処刑執行人だなどと……まさか本当に王妃様に死を言い渡したというのか?」
「おそらく……。使者との面会に立ち会うことはできませんでしたので詳しいことはわかりません。ですが王妃様付き騎士の漏らした話では、使者は王妃様に死を促したと」
「使者の話は!? 陛下の書状には何と書いてあったのだ?」
「わかりません」
「……」
宰相は言葉を失った。
陛下からの書状の内容をそうベラベラと喋ってもらっては困るのだが。陛下付き官吏のソブにくらい少しは漏らしてくれていれば……。いや、意図的に漏らしたのが王妃に陛下が死を望んだという事実なのだ。その後に王妃が失踪する正統な理由を、事前に官吏ソブに伝えているのではあるが。もう少し、王妃が失踪する理由を詳しく知れたなら。だが、王妃付き騎士とすれば、王宮の方こそ事情を知っていると考えただろうから、多くを語らないのもわからないではない。
だが。
個々の中では疑問があっただろうが、言葉の途切れた執務室に。
「余の使者を騙った者を探しだせ。官吏ソブはその使者の顔を覚えているのであろう? 王妃と王太子の行方も突き止めさせよ」
陛下の命令が下された。
「至急、手配いたします」
陛下はこれで話は終わりだという様子で視線を流した。
宰相は陛下の無表情にそら恐ろしい感覚を覚えたが、王妃と王太子の無事が先だとその感覚から目をそらした。
その頃、王宮事務局では。
事務官吏ユーロウスを筆頭とする王妃付き官吏達が無言でせわしなく伝達を回しあっていた。
彼等は王の執務室よりも早くに王妃の情報を得ていたが状況の把握に至ってはいなかった。
王妃のフォル・オト神殿行きへ随行していた官吏からの手紙で緊急事態を読み取ってはいたが、暗号じみた文面に隠された内容は詳細ではない。
国王から王妃が罪を咎められ、陛下の使者に死を促された。陛下の使者であると確認はしたが、不審なところがあり調査するというものだった。
その後の連絡はない。
だが、王妃と王太子が身の危険を感じ、騎士達とともにフォル・オト神殿を発ったことは把握していた。おそらく王都へ向かっているだろうことも。
王妃達と一緒に神殿へ行っていた料理人達や女官達は明日には戻ってくるらしい。彼等は王妃がまだ旅行を続けていると思っている。王妃付き女官達は何かを感じているようだったが、皆一様に口を閉ざして語ろうとはしないという。王妃達より後に神殿を発った彼等に話を聞いても、詳しい情報は得られないと思われる。
先に神殿を発った王妃一行は、もう王都へ到着しているはずだが。王宮へ戻ってくる気配はない。
それは王宮にこそ危険があると判断しているからに違いないだろう。
王妃付き官吏達は焦る気持ちを隠して、王妃がいないと静かで楽だなと軽口を交わしながら、情報収集活動にいそしむ。
そこへ陛下付き官吏が近づいてきた。
また陛下に王妃に関する無理難題を言いつけられるのかと嫌な顔で彼を迎える。味方なのか、そうでないのか判断できない以上、陛下付き官吏相手でも油断はしない。
まあ、彼等には王妃の評判はかんばしくなく、王政に関しないこちらの部署をひどく下に見ているため、彼等への対処は難しくはない。
王妃付き事務官吏は王妃相手に数年をこなしてきた。他部門の官吏達に気取られることなく処理するのは得意である。陛下付きエリート官吏達などチョロいものである。
「事務官吏ユーロウス、宰相閣下がお呼びだ」
「王妃様がいらっしゃらないのに? 陛下ではなく宰相閣下が? 何の御用でしょうねぇ」
「行けばわかる。王妃様が問題を起こされたらしい」
王妃様観察報告の者が戻ってきたのだろう。呼びにきた官吏の言葉から、王妃に問題があって王宮側ではないというスタンスを読み取る。切迫した様子はなく、大きな問題ではないと思っているようだ。王妃と王太子の居場所を王宮側では既に把握しているのか。それとも失踪の事実を知らないのか。
「では、行きましょうか」
嫌そうに立ち上がりながらユーロウスは同僚へと視線を向けた。
「無理なことは引き受けないでくださいよ」
「わかってますって」
同僚達は内心は緊張しながら苦笑でユーロウスを見送った。




