■3話■先の不安
結局、使者は剣を抜くことなく神殿から立ち去った。
次に来る時は手間を取らせないで欲しいものですとの言葉を残して。
使者は騎士ボルグ達を目の前には何もできなかったらしい。騎士ボルグや騎士ウルガンは王宮騎士の中では十指に入る強さだというから、そんな二人を相手では勝ち目はないと判断したのだろう。
それにしても、陛下の使者なら彼等を説得ぐらいすればいいのに、なぜ騎士達に何も言わなかったのか。
使者が強気に出ていたのは私を相手にしていた時だけで、騎士ボルグ達には一言も喋らなかった。
力だと対抗できないし、彼等の態度から全く聞く様子が見られなかったからなのか。だとしても、彼等に何も言わないのはおかしい。陛下の命を受けた者同士なのだから、陛下の意思はこちらにありと主張できたはずではないのか。
そうされると困るのは私なのだけれど。
使者が剣を抜こうとした時、騎士ボルグ達が動かなければ、私にあの使者に殺されていた。私がじたばた逃げようとしてみたところで、その事実は変わらなかったろう。
陛下の権威をかざして騎士を説得しなかったのは、できなかったから?
彼には説得するための材料がなかった?
陛下の使者が知っているのは、私に告げた内容、使者が掲げた文書の内容、それだけで。騎士達がそれに従わないとは思わなかった?
いや、それではあまりにお粗末すぎる。王宮の官吏でも陛下付きともなれば優秀なエリートばかりのはず。中には貴族のボンボン脳なし官吏がいて、たまたまそれが使者になったとか。
だとしても、あれが陛下の使者なのだ。
あの使者を陛下が私のもとへと送った理由は、何なのだろう。
私を殺す手間を惜しんだのだろうか。理由など必要なくて、王宮の外で私が亡くなりさえすれば、陛下はそれでよかったのだろうか。
頭の中に次々と押し寄せてくる疑問を、私は頭を振って打ち切った。
そして騎士達へ礼を告げる。
「ありがとう、騎士ボルグ。ウルガン、ヤンジーも」
「いいえ。我々は王妃様をお守りするのが任務ですので当然のことをしたまで」
でも、あれは陛下の使者だった。使者の言葉を優先しないでくれて本当に助かった。
「でも私を護るために陛下の使者を手にかけるようなことになれば、貴方達が咎められてしまうでしょう。あの使者が戻ってくる前に、私はここを発とうと思います」
あの使者はもう一度戻ってくるだろう。悔しそうではあったけど、次は……、そんな目で私を見ていたから。
使者の私に向ける視線は最後まで変わらず陰湿だった。最初から私を殺すのを楽しみにしていたのかもしれない。
どうしてなのか、陛下に尋ねたい。
でも、王宮に戻れば即座に殺されるかもしれない、そう考えると陛下に会いに戻ろうとは思えなかった。
私の話を聞いてくれるつもりがあるなら、そもそも私を神殿に来させたりはしなかっただろうし、私の元に使者を送ったりはしなかっただろう。
使者が戻ってくる前に、陛下の手の届かない場所へ逃げなければ。
「どちらへ?」
「さあ、わからないわ……」
ここを出て、行くあてなどない。
でも殺される気はないのだから、使者に見つからないよう、どこかへ逃げるしかないのだ。
さて、どこへ行くか……。
「王妃様は独特の容姿をなさっておいでですので地方へ行けば目立つでしょう。王都へ戻られてはいかがですか?」
思い悩む私に騎士ボルグが提案してくれたのは、よりによって陛下の御膝元である王都だった。
独特の容姿……。
私の黒髪は鬘で隠せるとしても黒目やアジアン顔、黄色い肌はちょっとくらいでは誤魔化せないということらしい。
彼等に比べると薄っぺらい顔だけど、それほど目立つ顔ではないと思っていた。でも、彼等には目を引くほど違って見えるのだろう。
変わった容姿の見知らぬ人が領地に滞在すれば、そこの領主の耳に入るのも早い。外国からの無断侵入者には重い税が課せられるし、下手をすれば問答無用で殺されても文句は言えないのだ。
人の中に紛れられないとすれば、どこかに身を隠すしかない。
窓の外に見える森は深そうで、そこには隠れる所などいくらでもありそうに見える。なのに、私には無理なのが残念でならない。自給自足ができない私には人里離れて暮らすことはできないのだ。
人間、死ぬ気になればなんでもできる?
いやいや。
自然の中には肉食獣がうじゃうじゃいて、弱肉強食な世界が広がっているのだ。立ち入ればあっという間に自然淘汰されるのは当然のこと。
私一人ならまだしも息子のヴィルもいるのだから、そんな危険は冒せない。
木を隠すなら森という意味では王都は国一番の大都市でぴったりではある。他国からの商人なども多く、多少奇異な姿格好をしていても田舎ほど目立ったりはしないだろう。
だが、陛下のすぐそばだ。私の死を望む人へ近づくことには、強い抵抗がある。しかし……。
「王都、か……。いいかもしれないわね」
私は騎士ボルグの提案に頷いた。
すると。
「すぐさま出立の準備をいたします」
え?
騎士ボルグはいつもと変わらぬ礼の姿勢をとるとすぐに部屋を出た。他の騎士達もそれにならって動きだす。
彼等の態度に変わりはなく、私の警護を第一にとの行動に迷いはない。
彼等は私とともに王都へ行こうとしているらしい。
陛下の使者の言葉を聞いていたのだから、私に非があると陛下が判断したと知っているにもかかわらず、彼等は私と行動を共にするつもりで、いる。
陛下の命令が彼等に下されれば、彼等とて私の死を望む。そして使者のように私に剣を振り下ろすのだろう。けれど。
陛下が選んだ王妃付き騎士達の彼等は信用に足る。今までも命をかけて私を守ってきたのだ。
彼等から死を迫られる状況がいつかくるとしても、彼等にならば……納得できるような気がした。
私は息子ヴィルフレドとともにひっそりと神殿を発った。
遠ざかる神殿を見つめながら、ここへくるまでの出来事や使者の言葉を思い返していた。
神殿へ行けという王妃付きの事務官吏ユーロウスが持ってきたあの通達は間違いなく陛下からのものだった。神殿へ行く目的は書かれていなくて、行けというだけの、今思えばそっけない内容で。
あの文書にも使者の手にしていた命令書と同じように王妃と書かれていた。ナファフィステアという名はなくて、読んだ時に微妙な違和感はあった。けれど、あの時はあまり深く考えなかった。名前一つの事だし、と。
珍しく旅行なんてプレゼントをくれようとするから、いつもと違って王妃と呼びたい気分だったのだろうくらいに流していた。
でも。
ナファフィステアの名がない。
それが、陛下の意思表示だった?
本当に陛下は私を自害させるために、この神殿へ来させた?
王都へ向かうのはやっぱり危険なのではないの?
このまま遠くへ逃げてしまえば、逃げ続ければ、私達母子二人くらい見逃してくれるんじゃないの?
そんな迷いが私の中を駆け巡る。
「かぁしゃ」
ヴィルの声に視線を落すと、私の膝の上でもぞもぞと手足を動かしていた。はじめは馬車に喜んでいたヴィルもそろそろ飽きてきたらしい。
ちょっとふてくされ気味の息子の顔は超絶にかわいい。毎度飽きずに親バカよねと思う。
陛下にはそんなに似てないんだけど、むすっとした顔には片鱗があるかも。
この子の父親は、陛下。
陛下は割としっかりお父さんしていたように思う。
執務の合い間に子供部屋に様子を見にきたり、執務室まで私とヴィルが散歩に行くのを歓迎していた。宰相は雰囲気が崩れるのでとても嫌がっていたけど。
それに陛下は以前よく私の名前を怒鳴るように呼んでいたのに、そうするとヴィルが泣きだしてしまうから、近頃はあまり大声で怒鳴らなくなった。愚図るヴィルにどうして対処すればいいかわからず、あの陛下が困った顔を見せる事もあったりなんかして。
すごく、楽しかった。
陛下は国王だから非情でなくてはいけなくて、きっと国のためなら人の命をどうとでもするのだろう。
でも、国を守ることを考えるように、家族を守ることも考えてくれるものじゃない?
いきなり紙切れ一枚を送りつけて私に自害をせまるなんて方法は、陛下らしくないような。そう思うのは、間違ってるんだろうか。
責任は私にあるとは書いてあったけど、責任の取り方については書いてなかった。自害を迫っているとはいえないんじゃない? 王宮の秘宝がなくなったから探せってこと、とか?
でも、それならわざわざ神殿に遠ざけてから使者を送る意味がないような。
何がどうなっているのか、混乱してまとまらない。
それに、はっきり覚えてはいないけど、確か使者は、王宮の秘宝がなくなったせいで陛下の身に何かあったようなことを言っていたような気がする。
陛下に何か起こっているんだろうか。
息子がいるのだからしっかりしなくちゃいけないのに。私のために動いてくれている騎士達のためにもちゃんと考えないといけないのに。
これから、どうしたらいいんだろう。
不安な私を乗せたまま、馬車は王都へと向かっていた。




