最期の夜:夢のゆめにっきと「さよなら」
「種明かしを始めよう」
おじさんは言う。
わたしの返事の前であった。
「君はあの家であの女と暮らしていたと思っていた」
彼はステッキをつきながらマスクを外した。
綺麗な瞳と美しい輪郭の男であった。
「だが、君は間違っている。正しくは、間違えさせられている」
ステッキはあの夢の鍵穴を差した。
鍵穴を覗き込んだわたしの前には、あの女がいた。
「あの子の最近は変だわ。ナルコレプシーを持っていたのかしら。観察にも力を入れなければね。体調管理しなければ健康なモルモットにはならないもの」
わたしは絶句した。
かつて愛した「母」が、わたしを「モルモット」と呼んだ。
「君は騙されている。赤い箱の鍵穴を覗いてごらん。もう君にはフィルターなしで見える筈だ」
ふらつく足取りで赤い箱の鍵穴を覗いた。
「チオペンタール」
男はハート―――いや、心臓から伸びた青い管に注射した。
暫くした後、男は三日月にメスをいれた。
三日月は、胃であった。
「採取終了」
男は縫合を終えると帽子を外して出て行った。
患者の顔はわたしであった。
わたしは知らぬ間に胃を押さえていた。
わたしの胃は少し切られていた?
そんな――――。
「胃だけではない。肝臓、腎臓、膵臓、十二指腸、小腸、横隔膜、末梢神経、尿管、血管、リンパ管、リンパ球、網膜、角膜、水晶体、三半規管、鼓膜、耳小骨、各所筋肉、脊髄、骨髄、脳髄、皮膚、そして心筋ですら。心臓ですら君は切られていた」
おじさんは悲しそうに俯くと、口を開いた。
「君には知ってもらう必要がある。この子たちはもう夢から目覚める事はない」
いつの間にか、彼のそばにはふたりと猫がいた。
「こちらの少女は、親に虐待を受けていた。虐待に虐待を重ねられ、親に売られた。臓器は切り取られて売り出され、売春すらさせられていた」
少女は服をたくしあげた。
彼女のお腹には、無数の縫合痕、火傷、焼き鏝の傷があった。
だが、少女は悲しそうな表情はしなかった。
「少年は、親に見捨てられていた。同級生からは気が合わないという理由でいじめられていた。現実にいた最後の日には、右目をえぐられ、指は折られ、睾丸は潰され、歯は抜かれていた」
にっ、と笑った少年の口には、殆ど歯は残っていなかった。
でもニコニコした彼らが不思議だった。
「この猫に至っては、地上35階建ての高層ビルの屋上から高速道に投げ捨てられた」
猫は、なぉ。とないて、わたしにすり寄ってきた。
「皆、死にたくなるような体験をしていた。君も事実は知らなかっただろうが、その有り様だった。わたしは夢を現実に引きずり出す事が出来るから、彼女達を救えた」
おじさんは、仮面を再び被った。
今や、不気味だったお面の顔が、救いを与える者の顔に見える。
つり目の穴から除く優しい瞳がこちらを見る。
「君を救おう。君をもう一度だけ現実に戻せる。だから、その時に一番大切なものを持って来たまえ。わたしはテレビの前にいるよ」
その声の後、世界は暗転した。
…
………
……………
「目覚めた!!大丈夫!?突然意識を失ったって聞いたから、心配したのよ?」
あの女がいた。
「大丈夫?体に異常はない?」
「異常?おかしい所?」
「そうよ、どこかある?」
「肝臓、腎臓、膵臓、十二指腸、小腸、横隔膜、末梢神経、尿管、血管、リンパ管、リンパ球、網膜、角膜、水晶体、三半規管、鼓膜、耳小骨、各所筋肉、脊髄、骨髄、脳髄、皮膚、心筋」
「―――えっ」
「あとは心かな、“見知らぬお姉さん”」
「……あなた、どこでそんな―――」
「わたしのゆめにっきはどこ?」
「は!?ゆめにっきじゃないわ!!あなた、どこで私達の計画を知ったのよ!!」
「おじさん、夢を現実に引き出す事は出来る?」
「は?あなたイカレたの!?ここにはあなたと私しかいな―――」
「勿論だとも、お嬢さん」
「!? 誰だ!どこにいる!!」
「ねぇ、わたし………ね?」
わたしは……私は、手にしっかりと鉄のそれを握りしめた。
「お前は黙って―――」
「私、あなたがとっても嫌いなの」
首に包丁が刺さった女は、暫く踏み潰された毛虫のようにのたうち回り、暫くしていつかのかくれんぼの鬼の女の子のようになった。
私は、机にしまわれていたゆめにっきを取った。
「おじさん、これがいい」
「日記でいいのかい?」
「ゆめにっき。ここにある事は夢の話だから。現実なんて場所の思い出より、夢の思い出を綴ったこの日記がいい」
「そうか。じゃあ、言い残す事はないかい?もう二度と戻る事はないからね」
「言い残す事………」
私は少し考えて、動かない死体に話した。
「さよなら」
―…―…―…―…―…―…―…―…―…―
誰も知らない山の中の病院。
白い壁に赤い血が飛んだ部屋。
かつて、女の子が暮らしたベッドの横で。
チリンと、鈴の音が鳴った。




