第五夜:雨のゆめにっきとブランコ
太陽がない。
だが世界は暗くない。
空に電球がある。
まるで星のように。
輝く電球はわたしを照らし、わたしの影は消失していた。
だが、正直言って眩しい。
わたしは指を宙に這わせ、円を描く。
どうせなら、浜辺の眩しさがいい。
円の中心へと滑らせた指を、思うがままに振り回した。
やがてそこには不思議な魔法陣が出来上がった。
透き通る先には、輝く砂浜があった。
わたしは足を踏み入れようと右足を前に出した。
…
………
……………
「………あれ?」
気付けばわたしのベッドの上だった。
わたしは体を起こして時計を見る。
時計は、お母さんの来る時間をとっくに過ぎてた。
ここの所、眠る時間が長くなってきた。
夢はちゃんと覚えているようになったし、ゆめにっきも厚くなってきた。
つい先日には、おじさんの夢だけでなく、ただの夢でも自由自在に歩く事が出来るようになった。
そして今日、やっとただの夢で魔法陣が出せた。
嬉しいのだが、自慢する相手がいない。
あの少女も、あの日以来会っていない。
「おじさん、来てる?」
わたしはやはり虚空に声をかけた。
おじさんは、やはりいつの間にかそこにいた。
まるで夢の住人のように。
「お呼びかな?お嬢さん」
やはりおじさんはわたしを名前では呼ばない。
きっとおじさんならわたしの名前を知っているのだろう。
「あぁ、知っているとも。君の名前はよく知っているさ」
「じゃあ、おじさんの名前を教えて?」
わたしがよくする質問。
おじさんはこればかりは教える事は出来ないと言う。
理由すら言ってはくれない。
だが、この日は違った。
「―――そろそろ教えてもいい頃かな。しかし君が堪えられるかが心配だな」
おじさんは神妙な面持ちで私を見た。
「おじさん、教えて」
「――……、いいだろう。なら君には夢で伝えよう。私の昔の話を」
そういうと、彼はいつものように座った。
わたしも座り直した。
彼はいつもとは違う、重い声を出した。
「ある冬の雨の日の事、私は夜道を歩いていた―――」
…
………
……………
夜道は暗かった。
街灯はまるで整備されておらず、ひしゃげた物もあった。
わたしの後ろを、サラリーマンが通った。
わたしは振り返ると、サラリーマンはわたしを見ていた。
性格には、私の後ろの子供を。
「どうして、こんな子がこんな目にあわなくてはいけないのか。あぁ、世界は最低で残酷だ」
彼は語った。
子供を抱き上げた彼は、泣き出した子供をあやした。
「あぁ、君には名すらない。君は名も与えられなかったのか」
彼は子供をあやし続け、遂に泣きやませる事に成功した。
「きっと君は誰かに守られよう。私はいつか君に危機が迫った時にこそ、君のもとに現れよう」
彼は手にメモを持ち、何かを書き込み、わたしを包んでいた毛布にはさんだ。
書き込まれたそれは、奇しくもわたしの名前と一致していた。
……………
………
…
「どうだい?お嬢さん」
短い夢から覚めたわたしは、彼の声がサラリーマンの声と同じ声だと再確認した。
「おじさんが、わたしの名付け親なの?」
彼は、何も言わずただ頷いた。
もうひとつ、確認したい事があった。
「お母さんは?お母さんは私のお母さんじゃないの?」
わたしの問いに、彼は少し躊躇った後答えた。
「ああ、君はあの人の子供ではない。あの人は君を拾っただけだ。君が無意識のうちに母として刷り込みしただけの女だ」
その瞬間、わたしの心が砕けるのを感じた。
お母さんは、いや。
彼女はわたしに対して、私の子供という言葉を多用していた。
わたしも、彼女のその言葉が嬉しく感じていた。
いつか彼女のように育つと思っていた。
それが嬉しかった。
今や彼女のように育つという事は「人を騙す」人間に成り下がる事と同様の意味になってしまった。
絶望感がわたしを包む。
わたしは最早、心を失い世界から逃げたいという心情のみになった。
いつしかわたしは指で宙に円を描く動作ばかりを続けていた。
「世界は残酷だ。とても残酷で最低だ。だからわたしは夢に逃げた」
「君も、夢に逃げたまえ。わたしのように」
……………
………
…
暗い、暗い世界へ。
夢の奥へ、奥へと。
雨が降る。わたしは濡れる。
ぴちゃぴちゃとうるさい水たまりを蹴って走った。
チリン、鈴の音が鳴る。
「久しぶりね」
少女は現れた。
少女はわたしの隣を飛んでついて来た。
わたしはただ、走った。
夢を求めて走った先は、一台のブランコだった。
わたしは、それに乗って漕いだ。
世界が揺れる。
雨も揺れる。
ぐるぐると周り、世界が崩れてゆく。
夢の世界がひび割れ、海が見えた。
それだけではない。
雪の世界。
チェスの世界。
「さ」の世界。
ゆめにっきに書いた世界がひびの奥に現れてゆく。
「あなたは分かれ道にいる」
突然、少女は言った。
「最早選ぶしかない」
少女を見ると、手に仮面を持っていた。
「君は選ぶしかない」
振り返れば、男の子がいた。
「現実に戻りたい?」
仮面をつけた男の子が言う。
「それとも、夢かな?」
わたしを後ろから包んだ大きな腕と共に、おじさんの声がした。
「わたしは………」




