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日記  作者: ダイすけ
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楓の日記 その四

楓の日記 その四


三月二日金曜日 天候 曇


 今日は麻巳子と放課後に、海に突き出した防波堤へとまっすぐ向かった。天気はやや曇ってはいたが、今日は風もなくて暖かい日だったので、とても心地が良かった。

「楓」

「ん?」

 私は防波堤から垂れ下げた足をぶらぶらさせながら麻巳子の方に振り向いた。麻巳子は俯きかげんだった。

「黙ってもらってくれるかな」

 もぞもぞとした仕草で鞄を開け、中から何かを取り出した。

「何なに~」

 差しだされたそれを見て、私の胸は少し躍っていた。

「笑わないでね」

 麻巳子は真顔だ。

「笑わないけど、何これ?」

 手渡された薄い箱を目の前まで持ち上げ、回しながら眺め「どうしたの突然」と私は首を傾けた。

「何って、誕生日の贈り物だよ。一応・・・」

 そういった麻巳子は、照れくさそうな表情をした。

「えっ、本当に」嬉しくて堪らない私は、麻巳子の両手を拾いギュっと握りしめた。「見てもいい」

 麻巳子は苦虫を潰したような顔で「ウチに帰ってからにしない?」と片方の頬を歪めた。

「それじゃダメだよ」といった私は、すでに箱の蓋を開けていた。薄いわりには重みを感じる箱だった。蓋を開け、滑らせるように取り出した。「うわ~」それはハート型の手鏡だった。「かわいいー、ありがとね、麻巳子」

 麻巳子は、はにかみながら頷いた。

「私、鏡欲しかったんだよね。いっつもママのおっきいやつ借りてたんだけど、あれ重くて使いづらいんだよね。ちょうどよかったよ。しかもこのピンクのハートが最高だね」と私ははしゃぎながらいったが、麻巳子はまだ照れくさそうに下を向いていた。

「あんまり時間なかったから、ごめんね。そんなんで」

 私は、そんなことないよ、とかぶりを振って見せた。

「楓の誕生日の前の日に、ママがあそこに行くっていってたから」と麻巳子は、水平線に浮かぶあの島を指さした。「私も一緒にいったんだけど、途中で船酔いしちゃってさ」

「だからあの日、早く帰ったの?」

「うん。そうなんだけど、結果具合悪過ぎて、ママに頼んだらそれになっちゃって・・・」申し訳なさそうに麻巳子は頭を掻いた。「子供臭いよね」と。

「麻巳子のママが選んでくれたんだね。かわいいセンスしてるね。麻巳子のママらしいね」

「やめてよお、ホントママに頼むんじゃなかったわ」と不満そうに唇を尖らせた。

「そっかあ、麻巳子あの島に渡ったんだね」

「うん、あの日で二度目だったよ。でも初めて行った時は私がまだ幼い時だったから、あんまり覚えてなくてさ。街の雰囲気とかも結構変わっていたような気がするよ」

「麻巳子、ひとつ訊いてもいいかな」

「プレゼントのこと以外ならOKだよ」と苦笑いを見せた。

「あの島って、何ていう名前か知ってる?」

「名前ねえ。何ていったかなあ。それこそ初めて行った時におばあちゃんが教えてくれたんだけど・・・」と空を見上げ、張りのある頬をすりすりとさすった。「でも、急にどうしたの?」

「いや別になんか気になってさ。毎日こうして見ているのに名前も知らないなんて」

「そうだよね、毎日見てるのにね。本当だね」といいながら、麻巳子はうんうんと頷いた。「そういえば、確か・・・ソイでもないし、トイ?でなかったかなあ」と目をパチパチさせた。

「トイ?」

「そう、トイ」

 私は麻巳子と別れてからも、ずっと「トイ」という響きが頭から離れなかった。また、海沿いの道を歩いた。あの島を右手に眺めながら、夕暮れになずむ海に向かって行くように歩いた。しばらく歩くとガードレールが切れてなくなる、そこを左に曲がり、緩い坂道を登ってゆく。学校の坂道よりも少し緩いくらいの坂だ。連日の暖気のおかげで雪はそんなに積もっておらず、歩きやすくなっている。

 坂を登りきると、数軒の古びた木造の家がある。その一番奥に私とママが暮らす家があるのだ。平屋で、冬になると窓にビニールを張らないといけないくらいに寒い家だけど、もうここに住むようになって六年が過ぎていた。寒さにはもう慣れっこだった。

「あら、おかえり楓ちゃん」

「かえでおねえちゃん、おかえりなさい」と隣に住んでいる綾子ママと三歳になるター君が、玄関先でお出迎えをしてくれた。

「ただいま、ター君いい子にしてたかなあ」

 私はいつもそういって、ター君の小さな頭を撫でてあげる。ター君は頭を撫でられるとすごく喜ぶのだ。

「うん、タッ君ね、いい子だったよ。ねえママ」

 ター君の笑顔は食べてしまいたくなるほどにかわいい。私は振り向きざまにバイバイをしながら、その場を立ち去った。ター君も短い腕を目一杯振って返してくれた。

 そこから一段だけ坂を登ったところに我が家がある。ちょっとした丘の上に建つ我が家は、そこからの風景だけでも十分に絶景ではあったが、私の部屋は方向が悪く、残念ながらあの島は見えない。

 こげ茶色した玄関の戸を引く。ガラガラって感じで。

 開けるなり「お帰り」とママの声が聞こえたが、姿は見えない。ママはこれから夜の仕事があるので、準備に忙しくしているはずだった。

 私はいつものように、姿の見えないママに「ただいま」と声を張り返す。すると決まってママは「ご飯、テーブルの上にあるからね」という。私はそれを聞きながら、玄関入ってすぐ左にある自分の部屋の襖を開けるのだった。日中、暖のとられていない部屋の中は、凍てついた空気が澱んでいるようだった。でも私は寒いからといって、居間で着替える気にはなれないのである。何故ならウチの居間は、ママが吸うタバコの煙が充満していて、学校の制服に臭いが付いてしまうから、私は寒さを耐えながら一気に着替えるのであった。

 居間に入ると、ママの声がまた飛んできた。

「楓、悪いけど明日の朝のお米、研いでおいてくれない。ママ、寝坊しちゃってさ」といっているママの声は照れ臭そうだった。

 私はそれも慣れっこだったので、空返事をしながらTVのリモコンを手に取った。

「ママ、今日も遅くなるの?」

「そうなのよ。組合の団体が来るってアケミさんからさっき連絡がきたのよ。今晩はちょっと遅くなるかもね」と一度切ったドライヤーのスイッチを再び入れる音が聞こえた。

「ママ、そういえばトイって知ってる?」

 返事はない。ドライヤーの音で聞こえないのか。私はそう思ってもう一度息を吸い込んだ時、ママがドライヤーのスイッチを切ってこういった。

「知らないね。そんな所」

 私は「そうなんだ」といって、TVのボリュームを上げた。TVでは歌番組が放送されていた。私の知らない演歌歌手が、右手に拳を作り歌っていた。

「ちょっと音、大きくない」と背後で声がした。ママは髪を乾かし終わり部屋から出てきていた。

「ママ、その格好ダメだってば」

 私はソファの上で振り返りながらいった。

 駄目出しされたママは、「ゴメンゴメン」と黒いスリップ一枚で小走りしたのだった。そしてわざとらしく壁に掛けられた時計を見上げ「わあ、もうこんな時間。アケミさんのお迎えがきちゃうよー」と私に聞こえるようにいうのだった。

 私はいつも一人で夕食を採る。今のように慌ただしい中ではあまり食べたくなかったから、ママが出掛けるのを待ち、それから食卓につくのだった。でもママはそんなことも知らずに「お腹すいてるでしょ。早く食べちゃいなよ」と促すのだった。

 そんなことをしていると、玄関のチャイムがピンポーンと鳴るのだった。いつも決まってそうだった。

「アケミさ~ん、今行きま~す」と余所行きの声に変わるママ。支度が間に合っていないのはいつものことなので、アケミさんも勝手に玄関の襖を開けて「楓ちゃん、おはよう」と真っ白な顔をひょこっと出す。

 私も慣れたようにソファの上で振り向き「おはようございま~す」と返すのだった。夜のお仕事をする人達は、何故か朝でも夜でも「おはよう」というらしい。だいぶ前にアケミさんに「こんばんは」といったらそう教えてくれたので、私もすっかりそういうようになってしまった。

「相変わらずかわいいわね、楓ちゃんは」と顔を覗かせた状態でアケミさんはいった。「ホント、若いっていいわ」半分愚痴にも聞こえるが、私はそれには触れず、ニコっと笑顔で応えるのであった。

 アケミさんはママが勤めるお店の「ちーまま」だそうだ。前にママがいっていた。多分ママよりも偉いのだろう。ママがあんな声を出すのだから。

 ママがご出勤したあと、予定通り私は食卓につき、ママが忙しいながらに作ってくれた晩ご飯をいただいた。忙しいママが折角作ってくれたんだから、私はそれに文句をいったことはない。食器を洗い、TVを消して部屋に戻った。さっきストーブをつけておいたので、中はすでに暖かくなっている。私は部屋に入るなりすぐにベッドに倒れ込んだ。そして、天井を見ながら、ある言葉、を思い出していた。

「知らないね。そんな所」

 そう、さっきママがいった言葉だった。

(しらないね。そんなところ・・・そんなところ・・・所。場所?)

 きっと、ママは知っている。だって、誰も場所だとはいっていないのに「そんな所」とママが零したから。どうして知らないフリをしたのだろう、と思った。知らないフリなのか、ごまかしたのか。どちらでも同じことだが、結果的には私に隠しごとをしているということだろう。では何故隠すのか。さっきからこの疑問を何度も何度も反芻していた。してはいたが結局は答えが出ないままだった。こめかみの辺りがぎゅうっと絞めつけられるような痛みを覚えた。それはまるで解けない公式を睨んだ時のような痛みだった。

「ママはきっと知っているんだ」

 すぐに迷宮入りしたこの謎は、すぐには解けそうもなかった。でも何かの糸口はあるはずなんだ。この町中の知っている顔を順に思い浮かべた。スロットマシーンが頭の中でぐるぐると回転するように。そして、一人の女性の所でピタリと静止したのだった。

 その女性とは、私の「おばあちゃん」であった。

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