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日記  作者: ダイすけ
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絹枝の日記 その四

絹枝の日記 その四


三月七日 木曜日


 わたしはいつものように朝早く起きて、朝ご飯の支度をしていた。

 鍋で湯が湧く音にまざり、寝室の奥からは双子たちが何やら会話でもしているような、ふにゃふにゃという言葉のようなものが聞こえていた。

 午後九時を廻った頃、玄関のチャイムが鳴った。わたしは洗い物をする手を止めエプロンで拭いながら、掛け時計をちらっと見上げ玄関へと小走りして向かった。

 何の警戒もせずにドアを開けると、そこには見知らぬ男性が二人無造作に立っていた。彼らはわたしの顔を見るなり一礼し、胸から手帳を取り出して開いて見せ、単刀直入に本題に入っていった。

「木村一成さんの事故原因についてですが・・・」と静かな切り口だった。わたしは緩やかに血圧が上昇していくのを感じていた。胸から首へ、そして頬からこめかみへと血が遡っていくような、熱くて窮屈な苦しさだった。

 眉毛の濃い若い警察官の視線がわたしの背後に向けられた。わたしも背中に気配を感じ、半身だけ振り返った。そこには髪をぼさぼさにした律子が立っていたのだ。律子はそのぼさぼさの髪をかき上げながら「どちらさん?」とわたしに訊ねた。

「警察の方だよ」といったわたしに、

「入ってもらったら」と踵を返したのだった。

 沸かし過ぎたお茶の湯気が揺ら揺らと立ち昇っている。年配の警察官がそれを熱そうに二本の指で摘まみ、ずうーっと音をたてて啜った。眉毛の濃い若い警察官の方は、猫舌なのか飲もうともしない。

 朝陽が燦々と差し込む清々しい空気の中、それに見合わない言葉を年配の警察官が呟くように喋り始めた。

「若い命が失われることは、私くらいの歳になると非常に悔しいという感情を覚えます。やはりモノには順番があって、その順番でいくと自分の方が早くなければいけない。こういう仕事をしていると色々な事件や事故に携わりますが、その度に胸が絞めつけられるような思いでいっぱいなります・・・」

 年配の警察官は、しっかりとした眼差しで続けた。

「・・・この度のご主人の事故もそうです。ちょっとした隙、ちょっとした油断がこれに繋がったのではないかと・・・、だから私たちは、警察は、うるさいほど交通を取り締まり、不幸な事故をなくするように努めているのですが、まだまだ努力不足のようで・・・」

 そういった後、今まで表情を動かさなかった年配の警察官が、少しだけ唇を噛んだように見えた。

「煙草やなんかと違い、携帯電話はとても危険なんです。ただ片手で運転しているというそんな単純なことではなく、運転手の意識もそっくりそっちに持っていかれてしまいますので、運転に対する注意が散漫になり、突然のハプニングにも対応できなくなるのです。今回の事故はまったくそれに当て嵌まります」

 わたしは隣りに座る律子の表情を窺っていた。律子は年配の警察官同様、表情を崩すことなく聞いていたがわたしの視線を感じ、こちらにそれを向けてきた。わたしは律子のそれから逃れるように視線を年配の警察官に戻したのだった。律子が今、どういう思いで警察の話を聞いているのか気になって仕方がなかった。

「直接の原因は・・・携帯電話ってことですか」

 律子はわたしに向けた視線をすぐに戻し、年配の警察官に訊ねた。年配の警察官は無言で頷き、瞼を降ろした。

「じゃあ・・・携帯で話をしてたから、雨に濡れた路面でスリップしてガードレールに衝突してしまった・・・・と」

 今度は眉毛の濃い若い警察官が「そうです」と事務的な声で肯定した。

 律子はそれに「そうですか」といいながら膝の上に置いた拳に力を入れた。

 わたしの体は細かく震えていた。緊張が走っている背筋も、力が入りせり上がっている両肩も、そして力を入れた拳も。早ければいいというものでもないが、律子に告白していないことをわたしはその時その場で悔やんでいたのだ。

「奥さん、それもそうなんですが・・・」

 目を閉じていた年配の警察官が再び口を開いた。

「・・・それもそうなんですが今日伺った理由はですね、ご主人が話をしていた相手のことなんです。一応、耳に入れておいた方がいいかと思いまして」

「結構です」

「えっ?」

「だから・・・結構です」

「いいんですか、聞かないんですか電話の相手。直接的な事故の原因なんですよ」

 眉毛の濃い若い警察官は、それこそその眉毛を吊りあげて律子に膝を寄せていった。

「もう、いいんです。今さら聞いたってどうしようもないですし・・・」

「で、でも・・・」といいかけた眉毛の濃い若い警察官の左肩を、年配の警察官がくわっと掴んで制したのだった。


 飲み残したお茶の湯気はもう既に立ち昇ってはいない。

 こたつの上にある四つの湯呑みと、中途半端な長さで消された煙草の吸殻。

 二人の警察官が帰ってからも、わたしと律子は微動だにせず座ったままだった。どこか遠くで聞こえる少年野球の子供たちの声も聞こえるくらいにわたしたちは静寂に包まれていた。

 わたしは今しかないと思った。真実を告白するには、今しかないと。そう思ったわたしは徐に律子の方へと膝を向け、大きく息を吸い込んだ。そして、

「り、律子、実はね・・・」

「いいって」

 わたしが今、話しかけることがわかっていたような早さだった。

「よくないのよ」

「いいよ」

「これは・・・いわなくちゃいけないことなの」

 わたしは少しだけ語尾を強くした。

「おねがいだから・・・いわないで・・・もうこれいじょう・・・うしないたくないの」

 あくまでわたしと視線を合わせようとしない律子の瞳が涙で濡れていた。わたしはそれを見て、萎縮せざるをえなかった。

「なぜ、こうなったとかは・・・もうどうでもいいの。たしかに一成さんを失ったことは悲しいけれど・・・・・・・・・早く切り替えないと、気持ちを。だってわたしには・・・あの子たちがいるんだから」

 返す言葉なんて、見つかるはずがなかった。気丈夫に努める律子の姿勢と、それに反するこれからの厳しい現実。それを見定めて律子に助言できるほどわたしの心は整理できていなかったから。

 それでもわたしはいいたかった。律子の母として、双子の祖母として、これだけはいいたかったのだ。

「立派に・・・育てましょう」と。

 

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