絹枝の日記 その三
絹枝の日記 その三
三月六日 水曜日
今日、律子は退院した。
わたしたちの腕の中にはそれぞれに双子が眠っている。担当医さんと看護婦さんたちに見送られ、タクシーのたまり場まで歩いていった。空は灰色の雲で覆われていて、今にも雪が降りそうな風の冷たい昼下りだった。
先頭で待機しているタクシーの運転手さんがわたしたちに気が付き、こちらに向かってゆっくりと車を進めてくれた。カーブを描きわたしたちの前で停まった車は、間も置かずに後部座席のドアを開けた。
律子は腕に抱いた双子の妹の頭を手で庇いながら、座席に腰を降ろし、不器用にシートの奥まで移動していった。わたしはそれを屈んで確認してから続けてシートに腰を降ろそうとした、その時、わたしは背中に声を掛けられた。半身乗り込んでいたわたしは、頭だけをグリッと回して声の主を見上げた。
するとそこには、先日出産直後に娘さんを亡くしたといって、わたしたちに双子の片方を養子にくれないか、といってきた「田中」という男性が不細工に笑顔を作って立っていた。今日はその後ろに半身隠れるようにして女性も立っていた。
奥のシートから覗くように顔を伸ばした律子は、取りつぐ暇も与えずに運転手さんに発車を催促した。しかし、閉まりかけたドアを田中という男性が片手で掴み止めて、ひと言「もう一度だけ、話を聞いてください」と懇願してきたのだった。
律子の白眼は真っ赤に充血していた。律子は大きく割れた声で「変質者なんです。だから、はやく・・・」と運転席のシートを揺らした。
いわれた運転手も血相を変えて大声を出した。
「な、何だって・・・は、早く乗ってください。発車しますから」
車内で大声を出されたものだから、すやすやと腕の中で眠っていた双子たちは一斉に甲高い泣き声を上げてしまった。
一成さんを失ったショックがまだ癒えているはずがない律子は、それで気が動転してしまい、目も虚ろに唇を震わせていた。
しつこいくらいに何度も懇願する田中という男性と腕の中で泣きやまない娘たち。あやしてもあやしても泣きやまない娘たちを抱いたまま律子の精神状態は、錯乱していってしまう。その表情の変貌を見ていたわたしは、ドアを掴む男性の手を強引に外しドアを勢いよく閉め、車を発車させたのだった。
きらきらと輝く海を喜んでいるように、わたしの腕の中の双子の姉が笑っている。少し前に双子たちは泣きやんでいた。このトモエ大橋のてっぺんからは、函館湾が一望できて今日のような天気の良い日は最高の景色だった。が、隣りに座っている律子は俯いたまま、まったくそれを見ようともしなかった。
律子は自宅に帰ってからも、体をぶるぶると大きく震わせていた。多分、あの夫婦のことを思い出して怒りに触れているのだろう。律子は大きく震えながらも、一点を見つめていたその視線をサイドボードのある方へと回した。その視線の先には、幸せそうに肩を寄せ合う律子と一成さんの写真が立っている。
「ど、どうして・・・こうなるのよ」
ぼそりと呟き視線を落した律子。視線を落した先には抱えられた双子の妹があどけない笑みを浮かべていた。




