楓の日記 その二十一の二
楓の日記 その二十一の二
さっき、麻巳子から電話が来た。
「ママも見たって・・・もうひとりの楓を」
フェリー乗り場で働いている麻巳子ママが見たそうだ。
「帰ったんだね」
「そういうことなるね」
私の視線はしばらくの間、焦点が合わないように宙を彷徨っていた。
「楓。良かったんだよね、これで」
これで良かったのか、良くなかったのかは、今の私には判断できなかった。結果的には「逢っていない」ということになったが、将来的には逢うのかもしれないし、これが今生の別れだったのかもしれない。実際は逢っていないわけだから「別れ」という表現が適切ではないのかもしれないが。
「麻巳子は・・・どう思う?」
「私は」と一呼吸間を置いてから「良いに決まってる」と語尾を強くした。
「どうして、そう思うの?」
「私は・・・私は、楓を失いたくないから」
「えっ」
「これからもずっと、今の楓のままでいてほしいから」
「まみこ・・・」
「もうひとりの楓に出逢っていたら、絶対に何らかの影響を受けることになってたよ。それが例え、楓にとって、楓の人生にとってとても重大なことだとしても・・・わがままかもしれないけど私は、私は絶対にそうなることは望まないよ。私は今のままの楓とずっと一緒に、ずっと友達でいたいから」
麻巳子は受話器の向こうで力強くそういった。麻巳子の想いの強さみたいなものを肌身で感じていた。
「ありがとう、麻巳子。でも心配いらないよ。私に何があっても、誰と出逢ったとしても、麻巳子は私にとって特別な存在に変わりはないから。多少のことには影響なんてされないから」
私がそういい終わると、麻巳子は鼻を啜るような音をさせていた。
「なーに泣いてるの、何も悲しいことなんてないでしょ。私たちはこれからもずっと一緒にいれるんだからさ」
麻巳子は声を掠れさせながら「そ、そうだよね」とシクシクといった。
(これで良かったんだ)
私は受話器を握りしめながら、内心で自分にいい聞かせていたのだ。無かったことにしようと、すべて幻だったんだと。そう思うようにすれば今まで通りの生活を取り戻せる。唯一変わったといえば、ママが亡くなったという何よりも重く辛いことなのだけど、それは自然の摂理として納得するように努力していくしかない。いくら悲しんでも、いくら想っても、ママが再び私の目の前に現れることはないから。
来週から学校が始まる。ひと夏の想い出は今週中で踏ん切りをつけ、新たな気持ちに切り替えようと決めていた。
「・・・さようなら」
私は受話器を静かに置いた後、居間の窓からあの島を見つめた。
私があの島に特別な感情を抱いたことも、そして、これからその島のことを忘れなければいけないことも、すべて納得がいっていた。
言葉ではいい表せない「繋がり」みたいなもの。あえて例えるなら「絆」か。あの島と私にはそれがあったから、自然と興味を持ち、惹かれていったのだろう。でも、忘れなければならない、消さなければいけない。答えが出なかったわけだから、そうしなければいけないのだ。
「でも・・・ありがとう」
私は唇を噛み、そして涙を拭った。真っ黒な海に浮かぶ無数の煌びやかな漁火たちが、嵐に襲われたように歪んで見えていた。




