美咲の日記 その21の2
美咲の日記 その21の2
ゆっくりと、とてもゆっくりと離れてゆく船着き場。柔らかな海峡の風を感じながらあたしは大間の町を見つめていた。
結局、謎は謎のまま。何も解決にはなっておらず、ただ疑問が深まっただけかもしれないけど、声だけ聞けた「楓」の存在は、きっと忘れ難いものになることだろう。
「良かったの?これで」
真由も長い髪を靡かせながら、あたしと共に大間を見送っていた。あたしたちが大間から立ち去るわけだが、なぜか大間を見送っているような感覚を抱いていた。それはきっとあたしの大切な何かがあたしの元から去ってゆくというか、あたしが何かを失うというか、よくわからないけどあたしが何かから取り残されてしまうような感覚を抱いていたからなのだろう。
「何も、悪くはないよね・・・」
真由は髪をかき上げながら、あたしの言葉にコクンと頷いた。
フェリー日和って言葉は聞いたことがないけど、そんな表現が当てはまるくらいに快晴な青空だった。あたしはまだ、大間の港を見つめていた。何かを期待しているわけではないけれど、遠ざかってゆく大間の町があたしに呼び掛けているような気がしてならなかったから、あたしはフェリーが出港してからずっと同じ場所、大間の港を見つめていたのだった。
「あっ」
隣りで声がしたので振り向くと、真由が口を開けたまま指を遠くに向かって差し伸ばしていた。
「どうしたの?」
あたしがそういいながら指の差す方に視線を移すと、遠くなっていたフェリー乗り場のガラス張りの待ち合いロビーで大きく手を振る人影が見えたのだった。
「み、美咲、あれって・・・」
「来てくれたんだね・・・おばあちゃん」
遠く遠く離れてしまってその表情までははっきりと見えないはずなのだが、あたしの瞳には映っていたのだ。おばあちゃんが涙を流している様子が。しかも、大きな口を開けて叫んでいるのもわかった。
「美咲、見えてるの?」
真由は目を細めていった。
あたしにはその口の動きまでもが、不思議と手に取るようにわかっていた。おばあちゃんは涙ながらにこういいたかったのだろう。
「ご、め、ん、ね、み、さ、き、あ、た、し、が、わ、る、い、の、よ」と。
そう口を動かし終わったおばあちゃんは、崩れるように膝をついていた。あたしはそれに絞り出すように応えた。
「だれもわるくなんかないよ」と。
もう、二度と逢うことはないだろう。一晩だけ過ごしたおばあちゃんとの時間は、あたしにとって欠かすことのできない何かになったような気がしていた。それが何なのか、今はまだ漠然としていてわからないけど、絆よりも太く、そして濃いものを感じてはいた。
「ありがとう、おばあちゃん」
その声は海峡を渡る風にかき消され、決して届くことはないかもしれない。けれど、お互いの心に相通じていることは疑っていなかった。
「みさき」
「ん?」
真由の声も風が邪魔をしていたが、あたしは唇の端をわずかに持ち上げて微笑んで応えた。
「実は・・・さ」
「どうしたの?」
真由は肩をモジモジさせながらも、ショルダーバッグに手をつっこみ何やら中を漁り始めたのだった。きょろきょろと動く視線がある箇所でピタリと止まると、真由はバッグから手を抜き始めた。
「美咲、どうしよう」
「だから、なんなの?」
「・・・これ」
真由の手は小刻みに震えていた。その震える手が掴んでいた物。あたしは真由の顔からゆっくりと視線を降ろしていった。その視線の行き先にあった物とは、真由の手が震えていた理由とは・・・。
「持って・・・きちゃった」
強張った苦笑いが、海峡を渡る風も、波も、香りも、なにもかもを止めてしまった。あたしは一文字ずつ噛みしめるように読んでいった。
「に、っ、き・・・き、ぬ、え?・・・う、嘘」
真由は返さなかったのだ。真由は持ってきてしまった。
昨晩、あの和室の本棚で見つけた『絹枝の日記』を・・・。




