楓の日記 その二十一の一
楓の日記 その二十一の一
八月十六日木曜日 天候 晴
「楓、大丈夫だった?」
昨晩。
麻巳子は私が部屋に入るなり、そういって両肩を鷲掴みにした。
「あれからずっと心配で・・・」
肩を掴んだまま、麻巳子は瞳を潤ませていた。
「なんか、とんでもないことになってるんじゃないかって、ハラハラしてたんだよ」
私は笑顔だけで、それに応えた。あのおばあちゃんとのやりとりは、結論すら出なかったものの、形になっていない何かを体感できたような気がしていたから、言葉ではいい表せないにしても、不安そうに見つめる麻巳子には、この方が余計な心配をかけないで済むと思えたから。
「その表情は会ってないんだね」
麻巳子が見た、もうひとりの私、のことをいっているのだろう。
「楓。私、余計なことしてないよね。楓の邪魔とかしてないよね」
私は麻巳子の肩を掴み返して「してないよ。ありがとね」と再び笑顔を見せると、さっきまで強張っていた麻巳子の表情が、氷が解けていくように緩んでいったのだった。
「私ね、これでよかったんだって思ってるの」
麻巳子は、興味深々の眼差しを私に向けた。
「今晩、私は意を決しておばあちゃんの家に向かったの。覚悟は決まってた。どんなことを話されても、どんなことが起きても受け止めようって。自分が想像する範囲なんてたかが知れてるけど麻巳子が見た、もうひとりの私、のことにしたって常軌を逸してるよね。だって、私の知らない私だよ。普通ならそれだけでも驚きなのに・・・だからその、もうひとりの私、に会うという想像をして心構えをしておけば、大抵の衝撃には堪えられるかなって思ってさ」
「ごめん、私のせい・・・」
「違う、違うよ麻巳子。麻巳子は何も間違ってないからね。逆に私より先に見つけてくれて有難いと思ってるんだよ。そのお陰で気持ちの整理が出来たっていうか、それこそ覚悟を決めれたっていうかさ」
「ほ、本当?」
麻巳子はこれ以上にないほどに畏まった表情をしていた。麻巳子は麻巳子なりに、重く受け止めているのだろう。
「うん、ホントのホントだよ。だって、何も知らないで会ってたらと思うとゾッとしない?あー、恐ろしくて想像したくなーい」と私が笑いながら頭を抱えて見せると、麻巳子も表情を崩して笑った。
「多分、私たち、会わないような気がするんだ」
「えっ、もうひとりの楓にってこと?」
「うん」
「だって大間に来てるんだよ。こんなに近くにいるんだよ。それでも・・・」
「うん、そうなんだろうけど、なんかこう気持ちが前向きにならないというか」といって私が胸に手を当てると、
「なんかよくわかんないけど、それって・・・淋しいね」と麻巳子も胸に手を当てて、ぎゅっと握りしめた。
「・・・そうなの。会ったこともないのに、淋しいよね。変だよね。でもね、なんか今思うと、会わなくてはいけない・・・みたいに思っちゃってて、でもそれを何かの大きな力が拒んでいるというか、邪魔をしているというか」
「そう思うってことは、やっぱり会った方がいいってことだよ。会っちゃだめな人だったら、嫌な予感ていうか、ムシの知らせみたいなの感じるんじゃないかな」
「人生ってさ、必然の連続だと思うんだよね。自分的にはたまたま今日起こったことでも、それは偶然なんかじゃなくて人生全体でいったらすでに決められていることなんじゃないかなって・・・ママが亡くなったことだってそうだし、もうひとりの私とこうなることだって・・・なにもかもがね」
「ん~、そう考えると人生って、つまんないね」
私は麻巳子の顔を見た。麻巳子は怪訝そうに口を尖らせていた。私はそれを見て、急におかしくなってしまった。
「あは、ホントだね、かなりつまんないね、人生って」
私を見て麻巳子も笑った。二人の笑い声が部屋から溢れていきそうなくらい、壁掛けの時計は夜の十一時を廻っているというのに、私たちはそれでもお構いなしに笑った。決して明るくない結末ということは、想像するのに難しくはなかったのだが。
世の中にはそっくりさんが最低三人はいると以前に聞いたことはあったが、まさか自分がそのそっくりさんとニアミスをするとは夢にも思っていなかったから、心の整理をするだけでも結構しんどい作業ではあったが、私には、私を心配してくれる麻巳子という存在がいつも傍にいてくれて、いつもこうやって相談にのってくれるので、私はまだ恵まれていると思った。
「探す?明日」
私は首を横に振った。
「会わなければいけない人だったら、自然と会うことになるよ、きっと。今はまだそのタイミングじゃないってことだよ」
「今、会っちゃまずいってこと?」
「まずいかどうかはわからないけど、今は違うんじゃないかな」
徐々に他人事のようになっていた私。
「まあ、明日は明日の風が吹くってことでしょ」
そんな他人事な私は、麻巳子に向かってウィンクをして見せたのだった。




