美咲の日記 その20の4
美咲の日記 その20の4
おばあちゃんの言葉を聞いたあたしと真由は、同時にお互いの顔を見合わせていた。
「あなたたちは・・・何も悪くない」
涙の粒を膝に垂らしながらいった言葉だった。
真由もあたしも多分、同じ疑問を抱いたに違いない。
「あなたたちは・・・」
当然、あたしと真由のことではないので、あたしと誰のことをいっているのか。
あたしと・・・楓。
目の前で涙ぐむおばあちゃんは、きっとそういいたかったのだろう。
あなたと楓は・・・と。
ではその後に続けられた言葉の意味はどうなのか。
「・・・何も悪くない」
誰かが、悪いことをしたとでもいうのか。
あたしと楓は、何も悪くない。
あたしと楓以外の誰かが、そうだということなのか。
「あのお・・・」とあたしは中腰に立上り、口を開いたその時、おばあちゃんの背後にある茶箪笥の上で電話が鳴り出した。
二回、三回。おばあちゃんは一向に電話に出る気配を見せなかったが、四回目が鳴り終わった途端に何かを思い出したような顔で突然むくっと立上り、受話器を耳に当てた。
「はいはい・・・はあはあ、掛端でございます」
さっきまで泣いていたばかりなので、精一杯に声を作っておばあちゃんは応えていた。
「もう来るのかい?」
振り向きざまに向けられた眼差しは、睨むように厳しいものだった。
隣の真由がこそっと肩を寄せ「まさかじゃない」と耳打ちすると、あたしの背中にゾクゾクっと寒気が駆け巡った。
「まさかって・・・まさかでしょ」
恐る恐る真由の方を振り向くと「きっと、そのまさかだよ」と声をさらに小さくした。
その直後、ゴトっと大きな音が聞こえたので、あたしと真由は立ち上がって歩み寄ると、おばあちゃんは受話器を落し呆然としていたのだった。
「大丈夫ですか」と真由がそっと腕に触れると、おばあちゃんは震える唇でこういった。
「切って・・・」
「えっ?」
真由が耳を近づけた。
「いいから、早く切ってちょうだい」
鬼気迫る声でいわれた真由は、ぶら下がる受話器をすかざす拾い電話を切ってしまった。
「何があったんですか」
電話から手を離し、神妙な面持ちで訊ねた真由に「か、楓が・・・く、来るわ」と掠れた声で答えた。
「や、やっぱりね」
往生したように吐いたあたしの呟きに真由は「やっぱりじゃないよ、やばいよ、これは」とあたしの手首を掴んだ。
「か、隠れなさい・・・取りあえずは」
おばあちゃんは呆然とした表情のまま奥の襖を開け、あたしたちをそこへ閉じ込めたのだった。
閉められた襖に張り付くように立っていたあたしと真由は、その場に腰を降ろし、
「これが正解だったのかな」
「・・・」
「逃げたって、しょうがないんじゃ・・・」
俯きながらいったあたしは、真由の横顔を見つめた。真由は目を閉じながら「今は少しだけ様子を見ようよ。焦って結論を急ぐ必要はないんじゃない。会おうと思えば、これからいつでも会えるわけだし」
あたしは素直に頷いていた。
そうしていると、襖の向こうで新たな声が聞こえた。
「大丈夫?おばあちゃん」と聞こえたその声は、あたしの声に似ていた。
「倒れたと思って、びっくりしちゃったよ」
張り上げた高い声もそっくりだった。
真由もそれを聞き「来たね・・・楓が」と声を殺していった。
あたしはまた固唾を飲み込んだ。
「ごめんね、まだご飯支度してなくて・・・何か疲れちゃったのかね、あたし」
「そうだよ、疲れてるんだから無理しなくていいよ、おばあちゃん。今日は私が作るから・・・」
「そうかい、悪いねえ。それじゃ今晩は楓のうちでご飯食べましょうか」
この発言は、あたしたちを意識してのものに違いなかった。
「うちで?」
あたしたちはその場面を見ていなくても、楓が首を傾げたような気がしていた。一寸の間を置き、おばあちゃんが声のテンポを速めて答えた。
「えっ、ああ、そ、その方が律子とも一緒に食べれるかなって思ったから」
楓も一寸だけ間を置いてからいったが、その声に明るさはなかった。
「でも、お仏壇はここにあるんだよ」
ハッという息遣いが聞こえたようだった。
結局、この家で夕飯を食べることになったらしい。あたしと真由は依然と隣りの和室に閉じ込められたままである。
「こりゃ、まずいことになりましたね」
真由の苦笑いに、あたしもつられた。
陽もすっかり暮れてしまった。闇に包まれた隣りの和室であたしたちはまた襖に近寄り、耳をそば立てたが、少し前からつけられたTVの音で二人の会話が遮られ聞きづらくなってしまった。それでも、目を閉じて聞いていたあたしの耳に、楓の声がかすかに届いてきた。
「ねえ、おばあちゃん・・・」
それは夕食が始まって一時間ほど過ぎた頃だった。おばあちゃんはお茶を啜った後に返事をした。
「私にいいたいこと、あったよね」
おばあちゃんは、コトっと湯呑みを置いた。
「・・・そうだったね」
「本当にごめんなさい」
「もう、いいんのよ。心配してただけだから、楓が無事ならそれでいいんだよ」
「ありがと、でもひとつだけ訊いてもいいかな」
楓の声を聞いてあたしの緊張感は、自然と高まっていった。暗闇に目が慣れたのだろう真由も、あたしの方を見ていた。
「今日は、よく訊かれる日だこと」
「えっ?」
「いやいや、何でもないよ。ひとり言だよ、ひとり言」
おばあちゃんの言葉には、まったく覇気が感じられなかった。
「ママが函館に移ってすぐ、私に電話くれたよね。その時おばあちゃんがいったこと、覚えてる?」
「・・・」
返事は聞こえなかった。多分、無言で首を振ったのだろう。
「その時ね、おばあちゃん、どこにいるの楓っていったんだよ。あたしの家に電話しておいて」
おばあちゃんの返事はやっぱり聞こえなかった。
「どうして・・・そんなこといったの?その時、病院で何かあったの」
「そう・・・だね。ホント変だね」とおばあちゃんはやっと口を開いたのだった。「・・・見たのよ」
「えっ?何を」
「・・・もうひとりの楓をだよ」
あたしは襖ごしにそれを聞きながら、タタミに手をついていた。そして瞼を閉じ、その時の事を深く思い出してみた。
「目も・・・鼻も・・・口もね。それに髪型までもそっくりな女の子が、あたしの前に現れたんだよ」
「そ、それは・・・」と楓が続けようとしたが、
「唯一違うのは・・・ホクロだった。楓にはないホクロがあったのよ。ここにね」
おばあちゃんは多分、顔のどこかの部分を指さしているのだろうと思った。あたしは、あたしの顔を思い浮かべ、そこを右手で触れた。
「その子は・・・誰なの?おばあちゃんの知っている人なの」
それからしばらく無言が続いていた。聞きいっていたあたしは我に返り、真由のいる隣りに目を向けた。
「あれっ?真由っ」
視線を止めた先に真由はいなかった。音を立てないように振り向き、部屋の中を見まわすと、真由は古い箪笥のガラス戸をいつの間にか開けて、手を忍ばせていたところだった。
あたしも立上り、真由の手先を見つめた。
「何やってるの、ばれちゃうよ」
「大丈夫、大丈夫」と舌をペロっと出したまま、何かを取り出してしまった。
真由が手にした物を見降ろして「何、これ?」とあたしは首を傾けた。
すると手のひらを丸く曲げあたしの耳に当てて、こう囁いた。
「日記だってさ」
「誰の?」といって再び見降ろすと、そこには「絹枝」と書かれていたのだった。




