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日記  作者: ダイすけ
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美咲の日記 その20の3

美咲の日記 その20の3


「大間町・・・次はここだね」と真由がハガキを振って見せた。

 あの白髪のおばあちゃん、掛端絹枝の住所がそのハガキには書かれている。真由はそこに向かうべく、歩き出していた。

「もうお葬式、終わったかな」

「そうだね、そろそろだと思うんだけどね」といいながら腕時計を覗いていた。時計の針は「3時」を少し回っていた。

 町の唯一の道路を道なりに歩いていった。港町なのでくねくねと海なりに道は曲がっている。その通り沿いには例の斎場もある。

「今通ると、まずいんじゃない?」

「大丈夫だよ、その為のこれでしょ」といい、あたしがかぶっている麦わら帽子のつばを摘まんだ。この帽子はつばの部分が普通の物よりも大きいので、避暑するための目的ではなく「いざ、という時に隠すんだよ」といって真由があたしにかぶせたものだった。

「これだけでホントに大丈夫かな」

 前を歩く真由が、だいじょうぶでしょ、っていう感じでウィンクを飛ばした。

 しばらく歩くと「公民館」と書かれた看板が見えた。その建物の前には大間の地図が立っていた。真由は胸のポケットからハガキを取り出し、ぶつぶつとなにやら喋りながら地図を舐めるように見ている。

「近くだといいね」

「ホント、もう足がフラフラだよ」真由は苦笑いを浮かべながら、またハガキに目を戻し「現在地はここだよね~」と呟いた。

 夢中になって地図を見ていると、海から突風が吹いてきた。麦わら帽子を飛ばされそうになったあたしは、すかさず帽子を手で押え、深くかぶり直したのだった。その時、あたしたちの後ろを一台の車が通り過ぎていった。真由はくるっとあたしの方を見て「あは、2台目だね。今ので」と嬉しそうに笑っていたけど、真由がなんで喜んでいるのかはわからなかった。

 真由の指が地図をなぞっている。

「う~ん、う~ん」と何度も唸っていたのだが、ある場所で指がピタリと止まったのだった。

「あったの?」

 真由はニカって笑い、ピースサインを作っていた。

 あたしたちは再び、真由を先頭に歩き出した。陽も傾いた涼しげな午後。残り少ない大間での時間を満喫するように、あたしは腕を広げた。

「もう少しだね」

「ホント、あっという間だったね」

 真由は顔の片側だけをしかめ、あたしの方に振り向いた。

「もう少し・・・だけど、心の準備はできてるの?美咲」

 あたしは、あたしの思い違いに気付き、襟を正すように真由を見つめた。

「ごめん、はっきりいってまだ実感がないの」

「当人て、そんな感じなんだろうね。私は逆にドキドキしていて呼吸困難にでもなりそうだよ」

「真由・・・ホントにありがとね。あたしの為に」

 無言で首を横に振った真由は、優しい笑顔を見せてくれた。あたしは心の中でもう一度、ありがとう、といった。

 一歩、一歩近づくにつれ、さっきまで感情になかったものが、あたしの胸に充満してきた。真由がいっていた呼吸困難な感じを自然と理解していた。大きく、深く深呼吸した。香る潮風が今のあたしの立場を再認識させてくれた。

(旅行に来ているわけではない)

 これが真由とのふたり旅だったら、どんなに楽しかったことか。香る潮風が嫌がおうにもそれを許してくれそうになかった。

「ここだっ」真由の足がピタっと止まった。「この坂だよ」といって坂の上を指さした。その瞬間、あたしの心臓が大きく跳ねたように感じた。貧血のようにふらついたあたしを受け止めてくれた真由は「無理だったら今だよ」と目に力を込めていった。

 あたしはそれに薄く笑って「行くしかないっしょ」と自分にいい聞かせたのだった。

 ハガキを見ながらも真由は、あたしの腕を離すことはなかった。

「この丘の上にも、けっこう家建ってるんだね。この上からだと見晴らしいいだろうね」

 あくまで平静を装ってはいるが、真由だって疲れているに違いない。あたしは「ありがと、もう大丈夫だよ」といったのだが、

 無視しているように「ほら見てよ、美咲。すごく奇麗だよ。あれ函館山だよね、すごく近く見えるね」といって話を逸らすのだった。

 坂も中盤に差しかかった所であたしは、一本の大きな樹を見つけた。

「何の樹だろうね、これ」

 真由も同感のようで、じろじろとその樹を見上げていた。

「それは桜の樹だよ」

 へえーと、真由と顔を見合わせてから声のした方に振り向いた。そこには・・・あの白髪のおばあちゃんが立っていた。

 おばあちゃんは見上げていた眼差しをゆっくりとあたしの方に下げてきた。にこやかに微笑んでいたおばあちゃんの表情があたしの顔を見てから、見る見るうちに強張っていってしまった。

「か、楓?だよね」といった白髪のおばあちゃんは、あたしの顔に手を伸ばしてきたが、触れる寸前でその動きを止めた。「あなた、楓じゃ・・・ないね」と歪めた眉間が印象的だった。


 布団のない炬燵の前で正座をして白髪のおばあちゃんを待った。あたしは入る時に見た玄関の表札を思い出していた。

(掛端絹枝・・・)

 ハガキに書かれていた名前と同じだったので、ここで間違いはないと思い、あたしはゴクリと固唾を飲んだ。そのおばあちゃんは今、奥の台所でお茶を淹れているのだろう。待っているこの時間がけっこう痺れを感じさせた。

「はいはい、おまちどうさん」と炬燵の上に麦茶の入ったガラスのコップを、お盆から二つ降ろした。

 真由はその最中に手に持っていたハガキを滑らせるように置き「これ、お店のおばあちゃんに頼まれたんです」といった。

「えっ、昌枝と会ったのかい」

「はい、偶然ですけど」

「偶然・・・ね」

「はい、名前は訊きませんでしたけど、おばあちゃんの妹だと窺いました」

「その他に何かいってなかったかい」

「その他といいますと・・・」

 おばあちゃんは、それを聞いてからゆっくりと視線をあたしの顔に移した。真由は毅然としたいい方で「いいえ、特には」と続けた。

「何から話せばいいのかね。こんな日は絶対に来ないと信じていたのに」

 おばあちゃんは少しずつ俯いていった。

「私から・・・質問してもいいですか」

 おばあちゃんは俯きながら、頷いた。

「まず、この子は田中美咲といって函館に住んでいる高校生です。私は中村真由といって美咲の親友です。まあ、私のことはいいんですが」

 おばあちゃんは無言で、またコクリと頷いた。

「つい最近になってからなのですが、この美咲が見知らぬ誰かと間違われることが頻繁に、続けざまにありまして・・・そこで窺いたいのですが、楓という子をご存じですか。その子が美咲に似ていると、あなたの妹さんも間違われたくらいで」

 おばあちゃんは顔を上げ、音をさせずにホッと息をひとつ吐いた。

「どうして・・・来たの?知らなくても別に困らなかったはず」

「それは美咲の両親も、普通じゃないといいますか、ちょっと変わった行動がありまして、きっかけはそれからなんですが」

「田中さんがねえ」

「知ってるんですか、あたしのお父さんとお母さんのこと」

 おばあちゃんは躊躇いながらも、首を縦に小さく動かした。

「何故、どうして知ってるんですか?うちの両親とはどういう関係なんですか?」

 身を乗り出しかけたあたしの腕を、真由がそっと掴んだ。

「美咲、焦っちゃだめだよ、ゆっくりだよ、ゆっくり」

 あたしはハッと我に返り、開いた口を閉じたのだった。

「聞かせてくれますか・・・順を追って。美咲にわかりやすいように」

 真由は背筋をピンと伸ばして訊いていた。

「本当に・・・いわなくちゃならないのかい」

 真由が隣りで、頷いた。

「知らなくてもいいことだってあるんだよ。いや、知らない方がいいことだってね」

「さっきから何を躊躇われているんですか、そんなにいいづらいことなんですか」

「真由ちゃんていったわよね。こういういい方はしたくないんだけど、他人がどうこういえる問題じゃないのよ。これだけは」といいながらおばあちゃんの視線があたしを捕らえた。「あなたは、美咲ちゃんはどうなの?本当に心底から訊きたいの?どうしても知りたいことなの」

 あたしは何て答えていいか迷っていた。このおばあちゃんがいいたくないほどの真相を、知りたい自分と触れたくない自分が正直二人いる。おばあちゃんが拒むにつれ増してくる恐怖感と後悔したくないという思いが、あたしの胸の中で入り乱れ、頭の中を駆けめぐっていた。

「どうなの?」

 怖いくらいのおばあちゃんの迫力に、あたしは終始押され気味だった。そんな時、隣りで息を殺していた真由が口を開いた。

「いいたくないということは、何かおばあちゃんに後ろめたさがあるんじゃないですか。他人の私が失礼だとは思いますが、私は美咲に後悔してほしくないから、私は美咲の味方ですから」ときっぱりといい切った。

 するとおばあちゃんは静かに鼻を啜った。そして、俯いた頬に一筋の涙がつたっていった。

「・・・私が、悪いのよ」

「えっ」

 震える肩、震える声。おばあちゃんは涙目を持ち上げて、唇を動かした。

「あなたたちは・・・何も悪くない」と。

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