楓の日記 その二十の一
楓の日記 その二十の一
八月十五日水曜日 天候 曇
依然として雨は降り続いていた。
ただでも雨の日はしんみりするのに、この静かな雨はまるでママが私に話し掛けているような気持ちにさせた。
今日で本当にママとはお別れになるのだと、おばあちゃんが再度私に念を押すようにいった。微笑みを浮かべてはいたが、その表情は淋しさを隠しきれてはいなかった。それも雨のせいなのかはわからない。
十二時半から告別式は行われた。線香の匂いが染みついた制服に袖を通し、会場に向かった。途中、込み上げてくる感情を押さえることに必死で、何を考えていたかは思い出せないほど、貧血にでも襲われたような意識のない状態で廊下を歩いていたようだ。
読経の最中、何度も何度もママの名を呼び、何度も何度も感謝の言葉をいった。左手にはママの数珠を握りしめ、終始目を瞑りながら。
(ありがとね、ママ。でも、どうして私を残していったの・・・どうして私を独りぼっちにしたの)
ママと暮らした十六年という月日は、あまりにも短く、そしてあまりにも儚いものだと思った。この世には、ママとおばあちゃんと私しかいないのに、私のウェディングドレスも、私の旦那様も、私の子供にも会っていないのに、ママはある言葉を残して逝ってしまった。
「・・・はひとりじゃない」
命の炎が消えかかったその時、息を引き取る間際のほんの一瞬にママがそういった。掠れてなくなりそうな声で、静かな病院でなきゃ聞こえないような小さな声で。その時のママの瞳はまだ死んでしまってはいなかった。
(ひとりじゃない)
おばあちゃんと私・・・のふたり。聞いたままに考えるとそういうことになる。でも私はそれに違和感を覚えていた。
(・・・はひとりじゃない)
掠れて聞こえなかった初めの言葉。「・・・」の部分には当然私の名前が入るはず。「楓はひとりじゃない、おばあちゃんがいるから」と続くだろう。
普通なら。
普通ならそう考えるのが妥当だから。でも私はそう思っていなかった。私の胸の中の言葉にならない第六感的なものが否定しているのだ。首を振っているのだ。そういう意味でママが私にいったのではないと、最後の最後にわざわざいう言葉とは思えないから。
じゃ「・・・」に入る言葉とは、一体何なのか。私の名前じゃないとすると、他に誰が考えられるのか。
「楓」はひとりじゃない。
「楓とおばあちゃん」はひとりじゃない。そんな回りくどいいい方はしないだろう。
「楓たち」はひとりじゃない。私と・・・誰?
「あななたち」はひとりじゃない。
私と誰のことなのか。ママとおばあちゃんと私しかいないのに。他に誰の名前が当てはまるというのか。いくら考えても謎は深まるばかりだった。
告別式が終わった後、私の元に麻巳子がやってきた。その表情は魂でも吸い取られたような顔をしていた。
「麻巳子、今日はありがとね。麻巳子も疲れたでしょ」
私の声が届かなかったのか、麻巳子は無反応だった。
「ごめんね、ホントお疲れだね」といって私は麻巳子の左手を取った。私が手を触れた瞬間、麻巳子は体をビクつかせ驚いた表情で私を見たのだった。
「どうした?麻巳子」
麻巳子の瞳はこまかく揺れている。
「具合でも悪いの?」
「・がうよ」
なにやらぼそっと呟いたが、私にはよく聞こえなかった。
「えっ、何っ?」
麻巳子の喉元がゴクリと動いた。
「楓・・・違うよ」
「えっ、何が?」
「だから、そんなんじゃないって」
「意味がわかんないよ、麻巳子。どうしたっていうの」
麻巳子の遠い眼差しが私に焦点を合わせた。
「いたのよ」
私の手を掴み返すように、麻巳子は両手でその手を覆った。
「楓が・・・もうひとり」




