楓の日記 その十八
楓の日記 その十八
八月十三日月曜日 天候 曇のち雨
昨日、ママが亡くなった。
「それでも、がんばった方だよ」とおばあちゃんが私の肩を抱いていった。
ママの遺体は大間に運ばれた。私とおばあちゃんは今日、ママと一緒にフェリーで帰ってきたのだった。明日火葬が行われ、ママとお別れをしなければいけない、といわれた。
久し振りに帰ってきた我が家は、窓をしばらく開けなかったこともあるが、じめじめした空気が澱んでいるように感じた。さっき開けた窓からはとても爽やかな風が入りこんでいる。私は風にはためくカーテンを見つめ、動くことをやめていた。
ママとの想い出が詰まった家で、私は独り。何をするにも、どこを見ても、何もかもがママを思い出させる物ばかりだ。瞼を閉じてもだ。
私は膝を落した。
「・・・ママ」
不思議と涙が出ない。ママが息を引き取る瞬間も、ママの奇麗な顔を見ても、ママの部屋に入っても、ママの布団の匂いを嗅いでもだ。まったく涙は流れてこない。
多分、悲しいんだと思う。でもなんか心の中が空っぽというか、真っ白というか、実感が湧いていないという簡単な言葉では形容できないほど、無、な感じが私を取り巻いている。しかも、さっきからとてつもない睡魔が私を襲っているのだ。こんな時に。
でも私は、ふと思った。
(こんな時って・・・どんな時)だと。
最愛の人を失うと人はどうなるのかなんて、私は知らない。興奮して眠れなくなってしまうものなのか。それが普通、一般的なことならば、私は残酷な人間ということになる。
人が、死ぬ、ということ。
今までの人生で深く考えたことなどなかった。隣りに暮らすゲンさんだってママよりもずっと年上なのにすっごく元気だし、私のおばあちゃんだってそうだ。もうすぐ七十歳を迎えようとしていても、病気ひとつしない健康体だ。誰がこのママの死を予想できたというのか。誰が昨日、ママが死ぬことを知っていただろうか。たしかに夜の仕事をして体に相当の負担はかかっていたと思う。でも、死、までは想像できない。ママ本人だって思っていなかったに違いない。
運命。
そういってしまえば解決してしまう便利な言葉。おばあちゃんだっていつそうなるかわからない。そのうち私は本当の孤独というものを迎えるのだろう。いや、私だっていつ命を失うか、長く生きられる保障なんてどこにもないのだから。
私は、部屋の天井を見つめていた。見慣れた天井だ。でもそれがいつしか見ることができなくなってしまう。それがいつなのか人間にはわからない。
ママの最後を思い出した。悲哀に溢れた何ともいえない表情だった。声を発することも難しそうなママは、息を引き取る間際に口を縦、横、縦と何やら喋りたそうに動かした。
かすかに漏れる息を私はこう聞いていた。
「・・・はひとりじゃないよ」と。




