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日記  作者: ダイすけ
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楓の日記 その八

楓の日記 その八


七月七日土曜日 天候 雨


 今日は学校がお休みだったから、朝からずっと病院にいたの。ママがいつも気にいって読んでいる雑誌とか、ママが大好きなドラマの原作の小説とか、その他にもいろいろと持っていってあげた。

 入院はもう少しかかりそうだと、おばあちゃんがいっていた。

 町の診療所にはおじいちゃん先生がいる。聴診器を使わないと耳が遠くて聞こえなさそうな感じに見えるが、町のみんなは結構頼りにしているようだ。でも「後継ぎがいない」って待合室の喫煙所で漁組の会長さんと深刻に話しているのを聞いてしまった。

 ママがいる病室の窓からは、あの島が見える。でも今日は雨が降っているのでまったく見えない。眼下に見える海が荒れているように見えた。

 ママは質素な病院の昼食を食べた後、すやすやと寝ていた。私も初めは本を読んで堪えていたのだけれど、ママにつられてしまったらしく、いつの間にかうつ伏していた。そんな時病室の戸が引かれ、おばあちゃんの声が聞こえた。私たちが寝ているのを見つけると、何やら声を殺して喋っていた。私は意識が残っていたのだが、襲ってくる睡魔には勝てず耳だけをそばだてさせた。

「どうぞ」というおばあちゃんの声に続くようにしてスリッパを滑らせる音が聞こえた。ひとりかふたりだと思った。招かれたであろうその人たちは、それには答えずにまたスリッパを滑らせていた。多分、病室に入ってきたのだ。

 パイプイスを引く音が聞こえた。

「すいません」と女性の声が聞こえた。ママの友達がお見舞いに来たのかなと思った。おばあちゃんにお礼をいったその女性は、続けてこういった。「まあ」と。

 それを聞いて私はうつ伏せながら、眉間に皺を寄せていた。「まあ」の意味がどうしても理解できないでいたから。

「わざわざお越しくださらなくても良かったのに」とおばあちゃんの畏まった声。

「そんなわけにはいきません」と今度は男性の声がした。私は、やっぱり二人だ、と思った。

「具合は?」という問いに、おばあちゃんは無言だった。その仕草を見ていない私は、多少の動揺を覚えていた。

「みさきちゃんは?」

「はい、お陰さまで、大切にしております」と男性の方が滑舌よくいっていた。

 みさきちゃんとは、多分その夫婦の娘さんなのだろう。おばあちゃんはその子を知っているらしい。

 同じ体勢をし続けている私は、鼻の頭が痒くて堪らなくなっていたが、もう少しだけ我慢することにした。

「楓ちゃんもお元気そうで」

 おばあちゃんは少し間を置いて「ええ」と答えた。

「いつ移られるのですか」

「そんな先ではないと、先生がおっしゃってました」と声のトーンを一段下げて、おばあちゃんがいった。

「こっちのどこに?」

「カンビョーだと」

「そうですか、その時はまた連絡下さい。私たちにできることがあれば何でもしますから」と男性が何かを必死で訴えるよういった。おばあちゃんはそれに対して何度も何度も声にならない声で「ありがとう、ありがとう」と答えた。

 二人を見送ってきたおばあちゃんが病室に戻ってきた。私はいかにも今起きたように欠伸をしながら立上り、背伸びもして見せた。

「起きてたのかい?」

 私は寝ぼけたように、ううん、と首を振って見せると、おばあちゃんは安心したように、ふー、と息をひとつ吐いていた。私は思い出したように、鼻の頭を掻いた。

 小さな町なので「今日はひとりで帰るよ」とおばあちゃんに告げた。

「気をつけるんだよ」と「後で晩ご飯持っていくからね」と手を振った。

 海岸沿いにある診療所を出ると、冷たい風が吹いていた。家までは歩いて三十分くらいはかかる。歩いていく、と決めたことをすでに後悔していた私。

 ここでも私はあの島を眺めていた。「北海道」とおばあちゃんはそういった。一体そこには何があるのか。そしておばあちゃんが否定した「トイ」という言葉の意味。あの日から考えている謎は壁にぶち当たったままだった。

 灰色の海。いかにも冬の海だった。私はそれから目を逸らし俯きながら、脇のガードレールをコンコンと叩いて歩いていった。

 目の前のカーブを鋭角に曲がると、私たちが暮らす大間の町が見えてくる。そのカーブの途中にはフェリー乗り場があり、私はそこでトイレを借りることにした。フェリーは出港したばかりのようで、待合室のお客さんはまばらだった。トイレの位置は把握していたので、中に入った私はまっすぐに向かっていった。入口を入って右側の奥である。反対の左側は受付カウンターになっていて、そこには麻巳子のママが働いているから見つからないように駆け抜けた。麻巳子のママは話好きなので、見つかったらトイレに行けなくなってしまうから。

 用を済ませ、手をハンカチで拭きながら、今度はロビーの中央を悠然と歩いた。もう麻巳子ママに見つかっていいからだ。挨拶もしなければいけないし。でも麻巳子ママはいなかったのだ。受付の違う女性に訊くと「今日は休みです」といった。

 私は残念がっても仕方がないので、すぐさま踵を返し、帰路につこうとしたその時だった。踵を返し、視線を上げたそこにはひとりの女性が立っていた。私とその女性は目が合ったまましばらく無言でいた。そこへ男性が声を掛けてきた。「真美、どうしたんだい?」といいその女性の背後に立った。女性よりも頭ひとつ背の高いその男性は、彼女のうなじの辺りを見た後、私の顔に視線を移したその瞬間、男性の表情は凍てついたように固まってしまった。またしても無言の空間が訪れたのだった。

「あのお、チケットならこちらですよ」と私は気を利かせニコっと笑い、後ずさりをしてカウンターの方に手を差し出すと、氷が解けたように二人は歩き出した。でもその表情は魂が抜けたような、心が空っぽにでもなっているような感じに見えた。

 受付の女性にお辞儀をし、チケットを手にした「真美」と呼ばれた女性は私の前を通り過ぎる際、軽く会釈をしながら「ありがとね、お大事にね」といった。それを聞いた男性は血相を変えて「おい、行くぞ」と女性の腕を牽いた。

「お大事にね」って、さっきママのところにお見舞いに来てくれた人たちなんだとピンと来て、私はお礼をいおうと振り返ったが、男性は女性の腕を鷲掴みにし、奥のロビーへと入っていってしまった。

 次のフェリーまでは、まだしばらく時間があるのだけど。

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